風に吹かれてみたくなった。
南大東島かあ。
「この島の自然は 人々は 風とともに生きている」らしい。
「風のマジム」は、南大東島が舞台。
沖縄のサトウキビを使って沖縄のラム酒を作った、「金子祐子」さんをモデルにした小説。
一時期、ラム酒に凝ってた。一般的なブランドは、ひと通り飲み尽くしたつもりだった。
「COR COR」という名前のラム酒が、「風のマジム」のモデルとなったことを知り探した。
目を閉じると、サトウキビ畑が浮かんでくる。風のざわめきの中で、サトウキビが揺れている。
「風の味」。
“おばあが言ってた『風の酒』、君が感動したほんもののラムを造れる自信がないんだったら、たとえ数字でごまかせても、この事業はうまくいかない。”
「事業開発」に携わる人であれば、誰しもが感じる心意気だ。自分が心の底からやりたいとの「想い」、そしてやり抜く「自信」が無ければうまくいきっこない。
やぱ、数字だけじゃなくてやりぬく勇気と根性・・・ハートなんすよね。
“まじむこみてい”真心をこめて向き合っていきたいと感じさせてくれた本。何事にもね。。
原田 マハ 講談社
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・・・「願いはかなう、思いは伝わる」よね。
若き女性ピアニストと花火師の恋は、突然終わりを迎えた。 それから十余年…。
伝説と化した「恋する花火」と「恋するピアノ組曲」が残った。
ご存知の通り、これは「天国の本屋~恋火」のキャッチコピー。
ここで登場する「恋する花火」とは、「その花火を見ればふたりの恋は成就する」というもの。
最近の派手な色のケバイ花火とは一線を画した、古い日本の花火だ。
徳川家康が感動したという「和火(わび)」。
硝石・硫黄・木炭を主として作られた火薬で、色は赤橙色のみ。
実際、浮世絵にも、当時の花火の色は赤橙色一色で描かれている。
ここに来て、このほっとするようなシンプルな色合いの花火がまた復活しているようだ。
江戸時代初期から維新前までに日本の煙火師達が工夫を重ね作っていたという花火。
人に夢を与える仕事である煙火師。
「天国の本屋~恋火」では、亡くなる前の花火大会で恋人が花火を上げてくれないのを知って若き女性ピアニストは泣き崩れた。
花火から全く遠ざかり伝説の花火を封印してしまったかの煙火師。彼はどんな思いで最後の花火を打ち上げたのだろう。
「恋する花火」と「恋するピアノ組曲」が最後つながっていく場面では、久しぶりに涙がじわりとにじんだ。
ちょっと優しい気持ちになりたい時にどうぞ。
『天国の本屋 ~恋火~』
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”老人は審(いぶか)しさうな眼つきをしながら、ぢつと杜子春の顔を見つめました。
「何、贅沢に飽きたのぢやありません。人間といふものに愛想がつきたのです。」”
芥川龍之介の杜子春の一節だ。
杜子春は仙人から2度も金銀財宝のありかを教えてもらったが、この物語の主人公の河野勝男は3億の宝くじを当てて、それを機会にデパート勤めを止めて敦賀の海辺の町へと引っ越しては、仕事に就かず投資もしないでリタイアに近い生活を始める。急に大金持ちになっても、質素に暮らすところが杜子春とは違うところだ。彼には仙人になる素質があったのだろう。そして物語は、河野の所に「ファンタジー」と呼ばれる、何の役にも立たない神様が現れて一緒に生活をはじめるところから幕を開ける。
世俗を超越する河野。雷にうたれても、どんな誘惑が来ても、大きく生活を変えることはない。無常の世の中でつまらない余生を送るくらいなら、いっそ俗世を捨てて仙人にとでも彼は考えているのだろうか。近親相姦という心に大きなトラウマを持つ彼は、癒されることのない傷口とうまく折り合って生きてきたのだろう。そして、彼を取り巻く2人の女性。どちらも大切にしたいけれどそうはいかない関係だが、彼は永遠に関係が進展しないように見える女性を選び、過去に姉との関係から負った心の傷を埋めきれないまま、体を重ねない淡々としたつき合いを続ける。その果てに悲しい別離が訪れ、そして、ふたたび、もう一人の女性との関係が浮上して物語はクライマックスへと向かう。行く先は絶望だろうか。それとも希望なのか。
”「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかつたことも、反(かへ)つて嬉しい気がするのです。」
杜子春はまだ眼に涙を浮べた儘、思はず老人の手を握りました。”
雷に撃たれても耐えてまで仙人になろうとしてなれなかった杜子春は、仙人になれなかったことを素直に喜んだ。人間らしく生きるのが一番なのだ。一方、雷に生涯で2度打たれた河野は失明し、敦賀の海辺の町でたった一人、ことさら仙人のような孤独の暮らしを送る。
鈍い青の日本海。雷をつれてくる黒い雲。河野は砂浜でチェロを弾き続ける。幸せって、確かに”ありのままを満足すること”なのかもしれない。それが孤独な生活であっても。
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか?・・・背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。」
何年もの時間の中で、失い続けるかに見える勝男のもとに、一人の女性が会いにくる。会いにくる人がいる・・・・・・。
誰かのことを想い、誰かに想われている。それが、人生なのかもしれない。
この小説で、気に入っている点は、死を前面にして涙を強制するような書き方じゃないことと、性描写がないこと。まさに、ファンタジー仕様。
この本を最後まで読めそうもないと途中で思った。それほど内容はとても残酷で信じられないほどの虐待方法が書かれている。気になって、ネットで”DAVE PELZER Lies"をキーワードにして調べてみた。どうやら、この作品の大部分はフィクションであり、作者のデイブは本国アメリカにおいて『プロの虐待家』(虐待問題を利用して利益を得る人)として批判を受けているようである。
あまりにもショッキングな内容に、真偽のほどをどうしても確かめずにはいられないが、それでも、小説として非常に読みごたえがあり、逆境に立たされながらも必死に生きようとする少年の姿に感動をするとともに、虐待問題について深く考えさせられる本だ。
幼少のデイブは、暴力的な虐待に加えほとんど食事も取らせてもらえなくなる。唯一自分を助けてくれていた父親も、母親の執拗な攻撃に根負けし、家に帰ってくる回数が減ってくる。家庭での虐待は日を追う毎にエスカレートする。また、食事を与えられていないデイブは空腹を満たすため外でごみをあさったり、盗みをはたらき、そのため学校でもいじめを受ける。
さらに、彼の年少期は絶望的な状況で終わる。両親が離婚してしまうのだ。
「ごめんよ」と小声であやまる父親。「父さんにかばってもらえなくなって残念ねえ」と他人事のように言う母親。
“せめて母さんが情けをかけて、さっさと殺してくれますように”そう願うしかなかった彼の年少期。
その後、見かねた学校や病院が動き出し、母親から親権を剥奪させるところから第2部「青春編」が始まる。彼の里親やソーシャルワーカーたちは様々迷惑をこうむるも、忍耐強く彼を見守り自立を助けてゆく。
「完結編」において、自立を果たした彼はその後に児童虐待を防止するためのシステム作りに活躍し、全米、全世界的な称賛を受けることになる。
「自分を変えられるのは自分だけだ。どんな時も希望を捨てずに今を生きよう」
カリフォルニア州史上最悪の児童虐待を受けた彼の体験の告白は、母親に対してさえ、過去のすべてを許して未来を生き抜くための愛とやさしさに満ちた言葉で終わっている。
人は本当に自分以外の人を許すことができるのかもしれない。許すことで、自身がさらに成長することは確かなことだろう。事実、彼は母親に感謝さえしている。あの虐待が彼に人生を、愛を教えてくれたのだと。人間にはまだ可能性がある。母親を嫌いだというのは簡単だ。誰にでもできる。そうして、児童虐待の家庭をつくっていく。現実の問題として、母親を許すことができる人間は、一体何人いるのだろう。すごい小説だ。
夏への扉 (=・ェ・=)( ロバート・A・ハインライン、ハヤカワSF)
何がきっかけだったのかはわからない。唐突に思い出した。久しぶりに村上春樹なんかを読んだからなのだろうか。日曜日の午後、FMから流れる山下達郎を聞いたからだろうか。それとも昨日の夜、サーフィンに出かけようと数年ぶりに友達から電話で誘われたからだろうか。
因果関係はまったく不明なのだが・・・・・・。
山下達郎の”Ride On Time”の5曲目に”夏への扉”がある。その元にネタになっているロバート・A・ハインラインの夏への扉。
「この本を読むと元気になれる」
昔、我が家で飼っていた雌の猫が網戸を登って外へ出せと爪でガリガリしていた。子猫時代ならともかく、どう見ても網戸の強さよりも体重の方が重い。にもかかわらず、夏の日の外へ出せと鳴いていた。ってことを、さっき、唐突に思い出してしまって心がくすぐったくなった。
護民官ペトロニウス』という、大仰な名前の付いた猫。通称「ピート」。飼い主ダニエルのボストンバッグに居座り、ジンジャエールをこよなく愛する猫だ。ピートは冬になると、家なかに、夏につながっている扉があると信じて疑わない。扉の一つ一つをチェックして夏への扉を探している。夏への扉を探すのをけっしてあきらめない。 ・・・・・・あの本の表紙を見るたびに背中をうしゃうしゃと撫で回したくなる。
このSFで、一貫してるのは「未来は過去よりも良い」といった未来志向に他ならない。ハインラインは、本書の中でダニエルに、過去に生きるよりも、未来のほうが断然良いに決まっていると言わせている。
「この本を読むと元気になれる」のは、このような未来志向の強さにあるのだろう。
読み慣れない文体に、最初戸惑うこともあるのだが、読み進むにつれて気にならなくなってくる。さあピート、 旅に出よう。 ここから扉を開けて夏の季節へ。