tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

Dear フランキー

2007-05-31 20:01:33 | cinema

ある期間だけの契約の恋人。2流の脚本家が書きそうなテーマだ。テレビドラマなんかでは結構、見たことがあるような気がするし、映画「キャント・バイ・ミー・ラブ」や「赤い部屋の恋人(2001)」「マドレーヌ(韓国2002)」)」「因縁(韓国1997)」、また、韓国のドラマでは「1%の奇跡(韓国ドラマ)」「私の名前はキムサムスン(韓国ドラマ)」などがある。
(韓国の映画、ドラマは未見・・・・・・なんで韓国は契約恋人ものが多いんだろう。なんでだろう?)
契約恋人ではないが、「プリティ・ウーマン」もアシスタントとして契約したコールガールとの愛を描いており、こうした関係を描いた映画でもっとも有名だ。

一方、「Dear フランキー」は、契約恋人ではなく、契約父親がそのシチュエーション。もし、2週間だけ母子家庭に父親として雇われたらどうなるか、興味ある舞台設定のもとでドラマは進む。
この物語の主人公である母親は、父親の家庭内暴力から子供を救うため祖母を連れてスコットランド中を逃げ回る生活をしている。9歳の子供フランキーは幼い頃父の暴力により難聴になったのだが、彼には父の記憶がなくて父親は船乗りだと信じている。その設定のもとで、母親は父親になりすまして子供に定期的に手紙を出す。現実の世界なら、いつまでもうそをつき通せるはずもない。正直に子供に言う、これがやはり当たり前だろう。もし、嘘がばれた時、子供はもっと深い痛手を負ってしまうかもしれない。だから、傷が深くならないうちに、本当のことを教えるのが普通だ。
しかし、父親が外国航路の船員だと嘘をつき通すこと、これも子供のハンディを少しでも軽くしたいと思う悲しい母親の愛情からの行動なのかもしれない。子供は父親の背中を通して世の中を知る。いたずら盛りの子犬が、思わぬ遠出をしておっかなびっくりで帰ってくるように、はじめて困難に遭遇した子供達は、父親の言葉で人生を知っていく。だから、こどもに父親は必要なのだ。それが偽りの父親であったとしても。

世界中を航海している船乗りの父親を偽って子供に書く手紙は、いつだって同じ国の消印だった。切手収集家から各国の未使用の切手を買ってその手紙に貼り付けたとしても、子供でもその嘘は簡単に見破れる。
子供のことを思って母親がついたウソ。そのウソを補完するため、一生懸命、演技するいつわりの父親。いつしか、父親役は本気で子供のことを思うようになる。契約の父親。ビジネスライクの母親。これきりの関係。
だが、父親役は、困ってオロオロする母親をよそに契約以外のサービスをする。
「人をたまには信じてみてくれ」
よろいを着て生きていくことが必要だけど、世の中はそれだけじゃつまらない。

母親のウソを見抜いた上で、だまされ続けてるフリをする子供。難聴であまり喋らないが、父親へ宛てた手紙では饒舌でいとしい。彼への手紙がまたどこかから届くことを祈らずにいられない。いつかフランキーが、自分の言葉でいろんなことを語ってくれたら母親はそれで幸せだろう。


愛より強く/Gegen die Wand (against the wall)

2007-05-30 20:14:35 | cinema

もし、日本で偽装結婚をテーマにした小説を書くなら、どんなシチュエーションを想定するのだろう。やはり、日本で「合法的」に働く事を望む外国人を入国させるためというのが最初に思いつくことかもしれない。偽装結婚は、お互いに絶対に愛し合わないという点で契約結婚とは異なる。<偽装結婚も契約結婚も、やってることは同じだろう>と思うのかもしれない。しかし、偽装結婚は相手に束縛されないという点で契約結婚とは大きく異なるのだ。契約結婚では契約により相手を束縛できるし、相手が契約不履行なら契約は成立しない。束縛されるのを嫌うのなら契約結婚の前提がくずれてしまう。

この映画で取り上げられたのは偽装結婚だ。場所はドイツのハンブルグ。都会にありがちな、パンクミュージック、アルコール、ドラッグ、セックスであふれた街。男と手をつないだだけで兄に殴られて鼻を折るような、厳格なイスラム教徒の家庭を逃げ出して自由な恋愛を得ようとするトルコ人移民の女と、愛する妻を亡くし人生を捨ててドラッグに明け暮れるトルコ系ドイツ人の男の物語だ。
"I wanna live Cahit. I wanna live,wanna dance, wanna fuck, not only with one guy. Do you understand?"
<たくさんの男と自由にファックしたいの>と女は言う。そして偽装結婚により、誰に憚ることなくドラッグやクラビング、セックスに耽る「自由な生活」を謳歌する。
しかし、お互いに相手を束縛しない2人だったはずなのに、やはり相手をよく知りたいという欲求が起こる。
2人がようやく結ばれそうな、雰囲気になりやれやれと思うと
"I can't! I can't! If we do it, you are my husband, and I'm your wife."
男はこの瞬間に、自分が女を愛していることに気づき、女は男を愛しているからこそ男とのセックスを拒む。いい男を見ればだれとでも寝る女なのだが、男を束縛したくなる自分が恐いのだ。

2人がようやく結ばれるまさにその時に、女の気が変わって・・・・・・というパターンは、オリバー・ストーン監督の「U turn」で、あのジェニファー・ロペスが射精瞬間のショーン・ペンを拒むシーンを思い出させる。感情移入して観ていると、ものすごいフラストレーションを抱くことになる。

女を愛してしまった男は、嫉妬に駆られて女を侮辱した女のアヴァンチュール相手を撲殺してしまう。ムショに入れられた男に面会する女。
"I will wait for you." 「待っているわ」
女は愛する男から遠く離れ、イスタンブールという「異郷」で生きる意味もなく一人で日々を過ごすものの、次第に懶惰な生活に身を持ち崩していく・・・・・・。
出所した男が、女に会いにイスタンブールへ。
"Are you strong enough to stay between me and her?
- Are you strong enough to destroy her life?"
俺達の仲を引き裂くほど、お前強いのか?
-女の人生をぶっ壊すほどあんたは強いの?

原題「Gegen die Wand」は(壁に対して/against the wall)の意味だ。この映画には様々な壁が描き出されている。きびしいイスラムの戒律や、トルコの家族制度、底辺労働しか生きる道のない移民を取り巻く環境など。日本語の題の「愛より強く」は、どうしようもない壁が強く立ちはだかることを意味しているのだろうか?
この映画、愛について語るセリフが切ない
"Love is a carousel! Always in a circle, but you only have a wooden horse!"
愛は回転木馬だ。木馬しか持たずにいつもサークルの中だ。


ハード・キャンディ

2007-05-29 20:00:46 | cinema

"I promise to get rid of all the evidence.....or not."
「証拠は消してあげる・・・・・・かも♪」
そう来たか!

忘れられない1枚の絵がある。20数年前に旅先のパリの街角で見かけた絵だ。はでな帽子をかぶった道化師の肖像が描かれていた。道化師のメイクした顔が力強いタッチで描かれていて、微笑ともつかない表情の奥に深い悲しみをたたえた目がこちらを見ていた。その絵が気になって次の日もその街角にたたずみ、飽きることなくその絵を見続けた。英語で”Very Impressive"というやつだ。絵は饒舌だった。人生に起こったであろう様ざまな起伏を語りかけていた。学生の貧乏旅行でお金に余裕がなかったぼくは、絵を買えるはずもなく心にきざみつけていた。いつか再び出あうことがあったら買おうと。その後訪れたパリであれこれ探したが、あの絵ほど心に残る絵とであうことはなかった。
後日、子供の頃に観た映画「卒業」で、ミセス・ロビンソンの家の部屋に道化師の絵が飾られていたことを知った。心の奥に潜んだ記憶が、その道化師の絵を見た時に思い出されたのかもしれない。それ以来、華やかな舞台の上の道化師を見ると、いつも決まって悲しい気持ちを思い出してしまう。

派手な衣装に身を包み、大きな鼻にユニークなメイクをして大げさな身振りで人々を楽しませる道化。しかし、人によっては愉快な存在であるはずの道化師に心の底から恐怖を覚える人もいる。いわゆる道化恐怖症だ。ハンバーガーショップに行くのさえ、怖くて行くことができない人もいるらしい。人は道化に対して2種類のイメージを抱く。パーティに現れて皆を楽しませる典型的な道化のイメージと、そして悪夢の中に現れ狂気を秘めた笑顔のまま人を苦しめる道化のイメージである。道化恐怖症は、幼い子供がはじめて見るピエロやクラウンに対して本能的に恐怖を覚えるのに似ているのかもしれない。

この映画、あどけない顔をした14歳の少女と30なにがしの男が出てくる。2人は3週間前にパソコンのチャットで知り合い、会話がはずむ中で会うことになる。お互いに警戒しながら顔を会わせるのだ。会った2人は、相手を"impressive"とほめあう。海外では、人真似でない独創的な人間が尊敬を集める。だから、日本と違ってユニークとか印象的という言葉はほめ言葉だ。だが、会った2人はそれぞれに、別の目的を潜ませていた。
14歳と言う年齢は微妙な年齢だ。14歳よりも若ければ、単なるガキだ。ガキが何を言おうとウザイだけ。ガキがナイフをかざして襲ってくると、それはチャッキー(チャイルド・プレイ)の世界。怖いには怖いが、怖さの質が違う。また、14歳よりも年齢が上であれば、もうほとんど大人。ストーカーであれ、パラノイアであれ、人生経験のある大人であればそいつの恐さは想像の範囲にある。
しかし、14歳のあどけない笑顔の向こうにある狂気を推し量ることは困難だ。こどもと思ってタカをくくっていると、そのたびに予想が見事にはずされて、思いかけない恐怖を味わうことになる。ちょうど、前が見えない暗闇の中を、ジェットコースターで滑走するような感じだ。だから怖い。笑顔がかわいければかわいいほど、押し寄せる怖さはどんどん深まる。
表情をほとんど変えずに精神的に男を追いつめていく少女。一方、男は怒ったり、叫んだり、恐怖の感情をあらわにする。感情の揺れは、ピークを過ぎればおさまる。人はいつまでも、怒りや悲しみのピークを保ち続けることはできない。相手の感情がおさまるのを待つことで、様々なトラブルをかわせることも少なくない。しかし、少女には怒りや悲しみなどの感情の起伏がほとんどない。むしろ、楽しみながら男を追い詰めていく。だから一層、少女が不気味に思える。14歳という少女の年齢設定は、まさにポイントをついた年齢と言える。映画を観ている観客は、笑顔のまま恐怖のどん底に突き落とされ、息をつく暇もなく、なんども、さらなる深い恐怖へ突き落とされていくのだ。

この映画、実はもっと怖いものがある。あどけない顔でミステリーのネタバレをするブローガー。これは正直にコ ワ イ。信じられないのなら、ぼくと3週間、チャットしてみません?
さて、そろそろ恐怖のドン底に・・・・・・
「こ の 映 画 の 結 末 は  
パーンチ!(o゜Д゜)=======O三★)゜◇゜)三★))゜□゜)三★))゜○゜)  イ テ ッ・・・・・・」

<ブログの作者を天に代わってオシオキしました。月光仙子>


博士の愛した数式

2007-05-28 20:20:40 | cinema

ここに古代ギリシャや中国、エジプトやローマで使われていた秘術「数秘術」がある。生年月日や姓名を数字に置き換えて、各桁の数字をひと桁の数字になるまで足し合わせ、最後の数字がその人の運命を表す数字というわけだ。数秘術は許された者にのみ伝授され、一般には極秘だった。

数秘術を引き継いだのはピタゴラス。紀元前、古代ギリシアの数学者、哲学者だ。その後、数秘術はプラトンに引き継がれ、西洋占星術やタロット等とも結びつき、ユダヤ教のカバラの書物によって補強され、ルネッサンス期にはヨーロッパで隆盛を極めた。西洋の占いでその名残を目にした方も多いだろう。

古代ギリシアで、数秘術を研究していたピタゴラス。ピタゴラスは長い外国留学の後に学校を開き、そこで彼が学んだ数学、哲学、自然科学を教え、弟子とともに数秘術の研究にはげんだ。この学校でも、弟子たちはそこで学んだことを口外することは固く禁じられた。また弟子たちの発見したことはすべて師のピタゴラスの発見とされた。

中世の錬金術が化学の基礎を築いたように、数秘術も数学の基礎を築いた。ピタゴラス学派は、数論、幾何学、そして音楽 にまで数多くの業績を残している。
有名なのはピタゴラスの定理。おなじみの直角三角形の3辺の長さの関係を表す等式だ。それから、無理数の発見。最初は無理数を否定していたピタゴラスは、無理数を口外した弟子を溺死させたとも伝えられている。
また、三角形の内角の和は180度であること、正五角形の作図、弦の長さを半分にすると1オクターブ高くなるというピタゴラス音階も著名な業績の一部だ。

そして業績のなかに完全数(perfect number)の発見もある。
例えば「6」のように自分自身を除く約数の和が、もとの数と等しくなってしまうものの発見だ。
     6の約数={1,2,3,6}
     6以外の約数の和=1+2+3=6
6が最小の完全数で、2番目は28。このことは、神が6日間で世界を創ったこと、月が地球のまわりを約28日で回ることと関係があるとしている。この完全数。コンピュータが使われるようになって完全数を発見しようと多くの数学者が努力したが、現在でも23個しか発見されていない。

友愛数(amicable numbers)の発見もピタゴラス。ある人から友人とは何か開かれたピタゴラスは
「それはもうひとつの私だ。たとえば220と284のようなものだ」と答えたらしい。
これは、220の約数(ただし220は除く)の和が284になって、284の約数(ただし284は除く)の和が220になることを言う。

220の約数={1,2,4,5,10,11,20,22,44,55,110,220}
   284 = 1 + 2 + 4 + 5 + 10 + 11 + 20 + 22 + 44 + 55 + 110
284の約数={1,2,4,71,142,284}
  220 = 1 + 2 + 4 + 71 + 142

友愛数は現在では550組も発見されている。その中で一番小さい数の組が220と284だ。(220, 284)の次に求められた友愛数は(17,296、18,416)である。この友愛数はフェルマーにより再発見された。その後、オイラーにより60余りの友愛数が求められている。

レオンハルト・オイラー(Leonhard Euler, 1707年4月15日 - 1783年9月18日)は、18世紀最大の数学者・物理学者・天文学者(天体物理学者)だ。複素解析におけるオイラーの公式(Euler's formula)とは、指数関数と三角関数の間に成り立つ等式だ。

ln(cos(x) + i sin(x)) = ix
(ここで "ln" は自然対数)

また、x = π のとき、オイラーの等式と呼ばれる

e + 1 = 0

が導かれる。この式は、全く起源の異なる重要な定数、円周率 π とネイピア数 e が、極めて基本的な数、0(加法の単位元), 1(乗法の単位元) および虚数単位 i によって結びついているのがわかる。この見事な調和を示すことから、オイラーの等式は、"人類の至宝" とも呼ばれる。
「ほら、全く生まれも素性も違う3つの数が、ここで、まるで友達のように仲良く一緒になるんだ。そこに1が加わると0が生まれる。素晴らしいでしょう。」
そこには、数学について知らなくても、自然の奥深さに対する古代からの驚嘆を共有してしまうものがある。

80分間に限定された記憶、全編を通してあちこちに織りこまれた数式。そして、映画はそこから他者へのいたわりや愛情の尊さ、すばらしさを訴える。共通項のなかった数学者と家政婦と義姉の3人に子供が加わることで見事に調和して関係ができる。生まれるのはやさしさ。そしてこの映画も「事故による記憶障害」と「数学」、それに「野球」という全く関係のない3つに「愛」が加わることで新しい何かが生まれてくるに違いない。


ブラックベリー

2007-05-27 20:01:41 | herb, plant

「沢口靖子(さわぐちやすこ)」と「川口ジャスコ」が似ていることを、人類史上はじめて発見したのは陣内孝則。
そして今日、ぼくは「ブラックベリー」と「ブラッドベリー」が似ていることを見つけた。
「ブラッドベリー」は、ソルトレーク五輪男子ショートトラック1000メートル決勝で最後尾についていたが、前の選手が全員転倒し、クッションに衝突。彼らをまたぎ、そのままゴールして金メダルの表彰台に登った選手のことではない。SF作家レイ・ブラッドベリのことだ。

ブラックベリーの白い花は、ノイバラの花に似ている。花びらが散った後のブラックベリーは、雄しべが線香花火のようになる。カナダバラ科キイチゴ属に分類される植物の一種。米国中部原産で、落葉半つるである。この実の結実期は7月から8月上旬だ。
ブラックベリー・ワインを書いたのはジョアン・ハリスJoanne Harris。フランス人の母とイギリス人の父との間に出生し、現在、夫・娘と共にイングランド北部の街に居住している女流作家だ。母から娘へのかけがえのない愛情、そして、見ず知らずの町で出会った住民への愛、恋した青年への愛。すべての愛を、いろんな味のチョコに変えて映し出した映画「ショコラ」の原作者といった方が通りが良いかもしれない。
ジョアン・ハリスは、「ブラックベリー・ワイン」でワインと少年時代の記憶がもたらす魔法を描いている。舞台はフランスの小さな村ランスクネ・スー・タンヌと、虚無の街ロンドンと炭鉱の町カービー・マンクトン。現代の描写と、少年時代の記憶が交互にでてくる。
ジェイ・マッキントッシュは、執筆に行き詰まりロンドンで荒んだ生活を送っている。少年時代に炭鉱の町カービー・マンクトンで出会った老人ジョーとの夏の思い出を描いた作品は、ベストセラーとなったが、それは14年前のことだ。世界中の珍しい野菜や果実を育て、ワインやジャムを作り、かつての冒険を熱っぽく語るジョーにジェイは夢中になった。心強い助言者でもあるジョー。しかし、ジョーはある日忽然と姿を消す。カービー・マンクトンを再び訪れたジェイは、その昔ジョーの作った6本のワインを見つけ持ち帰る。そして、そのワインの不思議な力に導かれるように、南仏の田舎村ランスクネに移り住むことを決心する。謎と愛と友情が絶妙に溶け合ったワインがもたらす小さな奇跡。ランスクネには懐かしいジョーの亡霊が待っていた。

ブラックベリーは格別 の思い入れがある。 イギリスのホテルは朝食つきだ。パンとミルクを添えたコーヒーのコンチネンタル・ブレックファストってやつ。パンに添えられたホームメイドのブラックベリージャムが忘れられず、日本でフォションのジャムを買ってみたりも したが全然違ってた。サマセット・モームが「イングランドでおいしいものを食べようと思えば朝食を三回食べよ」と書いたが、そのために世界中に植民地を求めなければならなかったとされるほど評判の良くないイギリス料理のなかで朝食は楽しみのひとつだ。