tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

再びプノン・バケン

2011-10-31 22:41:18 | プチ放浪 都会編

 

プノン・バケンの山を降り、車で市内に帰る途中、帰路は見事なピンク色の夕焼けに包まれた。
・・・悔しかった。ツアーじゃなくて一人だったら、写真を撮りに山に引き返していただろう。
と言うこともあって、翌日、一人で再びブノン・バケンの夕日にチャレンジ。

一雨来そうな次の日の夕刻に、ぼくはブノン・バケンのふもとに降り立った。昨日と同じように、少女が声をかけてきた。見ると同じ少女だった。雨が今にも降りだしそうなこともあって、彼女を見た瞬間に、ぼくは日没のひと時を多くの旅行者や物売りがたむろするこの駐車場で、彼女と一緒にいようと決心した。
彼女の生活の一コマを見てみたいと思ったのだ。

昨日とおなじく、。「オニィサン エハガキ ヤスイヨ!」彼女はかごに入れた絵葉書やマグネットを売りに来る。
こちらも昨日と同じく彼女と目を合わせ、ニィと笑い、ただ首を横に振る。
「ごめんね。要らないんだ」
少女はあっけないほどにすぐにあきらめて、次の客を探す。その彼女に付かず離れずついていく。
彼女は振り返りこちらを見る。何か言いたげな彼女と目を合わせ、ぼくはまたニィと笑い首を横に静かに振る。
こんなことを3回繰り返したら、彼女はぼくを見て吹き出した。
哀しげに懇願した昨日の顔とは見間違えるような素敵な笑顔。こうして、ぼくらは仲良くなった。

売り子の大半は近所に住む農家の若い娘だった。彼女たちは基本的にはすごくシャイで、目を見ながら会話をしようとすると、向こうからふっと目をそらせてしまう。だが、いざ商売となったときには圧倒的な押しの強さを見せる。押して押して、押しまくる。そして、昨日、ぼくの心を惹いたように悲しげに引いてみせるテクニックも持っている。しかし、そのような懸命の売り込みにもかかわらず、観光客の財布の紐はなかなか堅く、売り上げはほとんどなさそうだ。

観光客たちが山から下りて、道路を渡ってミニバスに乗り込むまでの僅かな時間が彼女たちの勝負の時だ。観光客の姿が現れるやいなや、売り子達はダッシュで一斉に駆けていく。みんな必死だ。そして売り子達の客とのかけひきは凄まじいものだった。
ある売り子は右手に綿スカーフを持ち、左手には携帯ストラップ、キーホルダーやマグネット。バッグからココナッツ、コカコーラまでいろんなものを抱えて、お客の元へ駆け寄る。
相手が欧米人だと「Scarf one dollar! one dollar?」と声を張り上げ、日本人に対しては「安いよ、オネエサン?」に切り替わる。他にも中国語、韓国語まで挨拶ができるようだ。
売り方もすごい。
「one dollar for two?」
・・・へえ~、半額かあ。安いかも!
「ten dollar for ten!」
Σ(゜Д゜;! ・・・ん?めっちゃ安い・・・のか???

英語は簡単な挨拶ぐらいしかできない売り子が多い中で、昨日の女の子はそこそこに英語が話せた。「いつまでカンボジアにいるの?」といった会話を皮切りに、客待ちの間、ぼくと雑談の相手をしてくれた。客を見つけると飛び出していくが、商談に失敗してとぼとぼ帰ってきては、「あの中国の女の人は私を見ようともしない」とか、「さっきの男の人は、さんざん値切ったのに、結局何も買わなかった」とかあっけらかんとこぼす。

「これはどこで仕入れてくるの?」
ぼくは彼女がいつも抱えているアンコール・ワットのマグネットが入った包みの束を訊ねた。彼女には悪いけれど、おそらく中国製のそれはいかにも安っぽいものだった。
「シェムリアップの市場で買ってくるのよ」
彼女はそう答えた。マグネットの売値は一個一ドルだが、卸値はもっと安いという。

しかし、こんないかにもチープな土産は誰も買わない。アンコール・ワットに来る観光客は、世界遺産に感動し、アプサラダンスを眺めながら食事といった非日常性を求める裕福層だ。カンボジアでしか味わえない深遠なオリエンタリズムにあふれた民芸品や手工芸品など、日常にはない商品であれば売れるのかもしれない。どうだろう?

カンボジアは急成長している。投資ブームと建設ラッシュが押し寄せ、特に中国系企業や韓国企業からの投資が目立つ。日本企業ももっと投資に積極的にならないものだろうか。いつまでも「援助が必要な貧しい国」ではない。金銭を与えるのではなく、彼らにチャンスを与えて欲しい。でなければ、いつまでたっても幼い売り子たちはなくならない。同情を施される者は卑屈になる。それは人間として成長する上で心や性格に影響を及ぼしていく。彼女たちが有能な売り手であることは、ぼくが保証する。

そして、勉強とはいったいなんだろうと思う。中学から高校まで6年間、英語を勉強してもしゃべれない日本人に対し、彼女たちはロクに語学の授業も受けなくても、流ちょうに会話をこなす。生活に必要な知識は実戦で学んでいるのだ。
だが、この先、カンボジアで外国資本による雇用がはじまるとすれば、やはり学歴がものを言うことになる。学校の勉強は、集団社会での個の在り方を学ぶからだ。
・・・勉強しろよ。彼女に強くそう言って別れたのだが、澄んだまなざしで見送ってくれた彼女に、その大切さはわかってはもらえてなさそうだった。


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プノン・バケン

2011-10-28 20:47:54 | プチ放浪 都会編

 

彼の地の三聖山の一つと言われている「プノン・バケン」。山から見えるシェムリアップ一帯の風景はとても壮大で、夕日にあたりが染められて いく景色は生涯忘れられないものになるという。
889年に即位したヤショーヴァルマン一世は、城壁を巡らせた都市を建造した。その中心に位置したのがこのプノン・バケン。アンコール・ワットが造営される200年も前のことだ。

自然の急勾配を利用した参道を登ると広場 があり、奥にピラミッド式の遺跡がある。参道とは別の直線ルートによるが、象に乗って登ることもできる。
プノン・バケンはアンコール遺跡群の中でも最も高い位置にあるヒンドゥー教の寺院の遺跡だ。祠堂へは狭くて急な階段で、3点確保しながら上がらなければならない。・・・スカートじゃ登攀は無理。夕方、5時を回った頃から夕日を見に人が続々と登ってくる。 

熱帯モンスーン気候のカンボジアには日本のような四季はなく、季節は雨季と乾季に分かれている。雨季は5月下旬から9月下旬まで。雨季には、日中は晴れても、夕方にスコールがやってくる。ガイドが言うには、雨季に夕焼けは太陽が雲で隠れてほとんど見ることはできないそうだ。
それでも、晴れ男のジンクスを信じて待ち続けた。樹海の向こうに、太陽が沈んで行く。あたりに暮色が降り始める。
しかし、沈みゆく太陽は雲に隠れ、わずかに西の空を紅く染めはするものの、そのまま、地平線に分厚く陣取る雨雲の陰に隠れてしまった。

とっぷり暮れてしまったら街灯がなく真っ暗になるため、早く山を降りなければ危険だという。ガイドに急かされて足早に下っていく。
・・・と、駐車場に向かう途中で、物売りの少女に声を掛けられた。
「オニィサン エハガキ ヤスイヨ!」
かごに入れた絵葉書やマグネットを売っていた。
この土地に限らず、いくつもの発展途上国で目にする光景。
「お願い・・・」
哀しげに懇願する少女。ぼくは少女と目を合わせ、ただ首を横に振った。そういう人の方が多いからだろう、彼女はすぐにあきらめて、次の人に声を掛けに行く。彼女はその日の収益がなくて家に帰れないのかもしれない。彼女の悲しげなまなざしに、後ろ髪を引かれるような思いのまま、山をあとにした。  


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アンコール・ワット

2011-10-27 23:07:54 | プチ放浪 都会編

 
 

アンコール・ワットは、アンコール遺跡群の中で最大級の規模だ。スールヤヴァルマン2世により、12世紀の前半から半ばにかけ造営された。ヒンズー寺院として建てられ、王の死後は霊廟となり、のちに仏教寺院に。
東西1500メートル、南北1300メートルの四方形。海を表しているという周囲の濠は幅190メートル。正門にあたる西塔門から東に伸びる西参道は長さ350メートル。途中 の両脇には経蔵と聖池がある。

カンボジアの寺院は基本的に東向きだが、アンコール・ワットは逆の西向き。スールヤヴァルマン2世が死んだ後にこのアンコール・ワットを霊廟にしたため西向きにしたという。表門を抜けると5つの塔が見える。神々がいるヒマラヤの峰を象徴するという塔だ。十字型テラスを経て第一回廊に至る。
寺院の中心部は順次高くなって行く第一、第二、第三の回廊と、十字回廊、2組の経蔵、それに中央祠堂からなる。最上部の第三回廊の四隅には尖塔があり、中央には最大の中央祠堂の尖塔が立つ。その高さは地上65メートル。
壁や柱には、現地語で「デヴァター」と呼ばれる天女(アプラサス)の1500体もの彫刻が施されており、それぞれの髪型は異なるらしい。・・・らしいと書いたのは、1500体すべてを見比べるのは時間的に無理だからだ。中央祠堂には登らずに一生懸命見比べていたのだが、無理無理。。
第一回廊の壁面は宗教説話を表した彫刻で知られている。海の泡からすべてが生まれたとする「乳海撹拌」。アンコール・ワットの彫刻は当時の宗教観を表していて、戒律や戒めと共に、当時の人々を魅了したであろう壮大な宇宙ロマンも。

駆け足でアンコール・ワットを回り、東出口へ。振り返ればおびただしい数のトンボが頭上を飛んでいた。西日に照らされた塔がシルエットとなって空に浮かんでいた。


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アンコール・トム

2011-10-26 22:07:30 | プチ放浪 都会編

 
 

世界遺産として有名なアンコール・ワットから2kmほど北へ行ったところにクメール語で「町、都」を意味する「アンコール・トム」の遺跡がある。こちらも世界遺産。四方それぞれが一辺3kmという巨大な敷地を持つ寺院で、東西南北、全てに門が設けられている。門には四面塔があり、それぞれ仏面が彫られている。外側を取り囲む第一回廊と、その内側に設けられた第2回廊。回廊の中心には、高さ43メートルのバイヨン(Bayon)という寺院がある。

南門を歩いてくぐり、内部の深い森の中を車で抜けると、その先にこのバイヨンが見える。バイヨンは、増改築が行なわれたために複雑な構造になっていて、ガイドがいないと道に迷ってしまいそう。まるで迷路だ。ぼくのように方向音痴の方は要注意。
第一回廊の壁面には浮き彫りがあり、また観世音菩薩とされる顔を刻んだ多数の人面塔がある。
このバイヨンが建てられたのは12世紀。ジャヤヴァルマン七世によって建てられた、古代インドの宇宙観による神々が暮らす寺院だ。

アンコール・トムには、いくつもの寺院遺跡がある。その中のひとつ、ヒンドゥー教の寺院だったバプウォン遺跡。地上から約2mほどの高さの参道は両脇が池だったそうで、空中参道と呼ばれている。
ガイドの説明によれば、シャム(タイ)の王子を預かったカンボジアの王は、臣下たちの「シャムの謀略」との助言から、預かった王子を殺してしまう。王子を殺され激怒したシャムの王は、大軍を攻め入らせ戦争が始まる。カンボジアの王妃は「今度は我が子の命が危なくなる」と、この寺院に隠したそうだ。そんな謂れから、この寺院は「子隠し」というの名前があるらしい。

「空中の宮殿」あるいは「天上の宮殿」といった意味を持つピミァンアカ遺跡。こちらは11世紀初頭に建てられたヒンドゥー教の寺院だ。
その昔、この寺の中央塔には9つの頭を持つ「ナーガ(蛇神)」が宿っていた。その蛇は夜な夜な、みめ麗しき美女に姿を変えて王の前に現われる。王は、妻と寝る前にその蛇と交わることを無理強いされたとのこと。美女には9つの頭があったんだろうか・・・。

Victory Gate ( 勝利の門 ) へ向かう道を挟み、像のテラスと向かい合うようにしてPrasat Suor Pratが建っている。塔をつないだ綱で綱渡りをさせていたことから「綱渡りの塔」の名前がある。また、王宮北側に位置するライ王のテラスの側壁には無数のデヴァター(天女)が、テラス上には「らい王」と伝えられる男性の坐像がある。
蛇を殺してその返り血を浴びてライ病になってしまったという王。その手には指がない。
(ガイドによれば、村の人がライ王とあがめてきた像の中から碑文が出てきて、その像はライ王ではなく、閻魔大王であることが最近になってわかったらしい)
閻魔大王には、奥方が2人いる。その1人は花を、もう1人は「閻魔帳」を持っていて記帳しているそうな。・・・かみさんが2人もかあ。そりゃひょっとして地獄じゃね?


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ココナッツと椰子(は違うんだ!)

2011-10-25 22:30:20 | プチ放浪 都会編

 
 

シェリムアップの町中では、あちこちでココナッツ・ジュースが売られている。硬い実の上をちょっと切り、中の果汁をストローで飲む。どうやら、天然のココナッツ・ジュースには当たり外れがあるらしく、甘くておいしいものもあれば、全然甘くなくて青臭いものもある。
このココナッツは樹高は30mに達する大きな木の果実だ。葉は羽丈葉で長さ5mにもなる。果実はやや先が尖った楕円形で、大きさは約20~30cm。外果皮の色はくすんだ緑色。花は、雌雄同種の大きな円錐状の花序で、先端部に雄花が付き、基部に雌花が付く。
ココナッツは、ジュースとして、あるいは、ココナッツ・ミルクとして利用し、実の内側を食べ、殻は干して燃料にすることができる。
ガイドによれば、ココナッツは現地語で「ドーン」という・・・らしい。らしいと書いたのは、「ドーン」と発音しても、他のカンボジア人には全然伝わらなかったからだ。微妙に発音が異なるようだ。

一方、椰子の木。別名、砂糖椰子といわれるもので、カンボジアの人々の生活を支える「生命の木」だ。
果実の内側のゼリー状部分を、生食やシロップ漬け、砂糖煮や缶詰などにする。
また、花穂を切り落とした後に竹筒を挿し込み集めた花序液はそのままヤシジュースとして飲用する他、煮詰めて砂糖(パームシュガー)に。また、花序液を醗酵させて、椰子酒やビールや蒸留酒、酢などを製造する。
椰子の木の葉っぱは帽子や屋根材に、そして幹は高品質・多目的の建材にすべてが無駄なく利用される。
乾季の農村でよく目にするのは、竹やプラスチックの筒を天秤棒で運んでいる人の姿。彼らが運んでいるのは、ヤシの木に登り集めたジュース。家の前にあるかまどで、大きな鍋に入れて煮詰める。道路沿いに家々のかまどが置かれていて、その煙がたなびいている。

ということで、ココナッツと椰子の木は違うんだよとガイドに言われ、なるほど、椰子の木の葉っぱはウチワみたいな形で違うんだなと理解した。だが、南太平洋の熱帯諸島でよく見るヤシの木は、いったいどっち?と聞かれるとさっぱりわからない(爆)。


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