プノン・バケンの山を降り、車で市内に帰る途中、帰路は見事なピンク色の夕焼けに包まれた。
・・・悔しかった。ツアーじゃなくて一人だったら、写真を撮りに山に引き返していただろう。
と言うこともあって、翌日、一人で再びブノン・バケンの夕日にチャレンジ。
一雨来そうな次の日の夕刻に、ぼくはブノン・バケンのふもとに降り立った。昨日と同じように、少女が声をかけてきた。見ると同じ少女だった。雨が今にも降りだしそうなこともあって、彼女を見た瞬間に、ぼくは日没のひと時を多くの旅行者や物売りがたむろするこの駐車場で、彼女と一緒にいようと決心した。
彼女の生活の一コマを見てみたいと思ったのだ。
昨日とおなじく、。「オニィサン エハガキ ヤスイヨ!」彼女はかごに入れた絵葉書やマグネットを売りに来る。
こちらも昨日と同じく彼女と目を合わせ、ニィと笑い、ただ首を横に振る。
「ごめんね。要らないんだ」
少女はあっけないほどにすぐにあきらめて、次の客を探す。その彼女に付かず離れずついていく。
彼女は振り返りこちらを見る。何か言いたげな彼女と目を合わせ、ぼくはまたニィと笑い首を横に静かに振る。
こんなことを3回繰り返したら、彼女はぼくを見て吹き出した。
哀しげに懇願した昨日の顔とは見間違えるような素敵な笑顔。こうして、ぼくらは仲良くなった。
売り子の大半は近所に住む農家の若い娘だった。彼女たちは基本的にはすごくシャイで、目を見ながら会話をしようとすると、向こうからふっと目をそらせてしまう。だが、いざ商売となったときには圧倒的な押しの強さを見せる。押して押して、押しまくる。そして、昨日、ぼくの心を惹いたように悲しげに引いてみせるテクニックも持っている。しかし、そのような懸命の売り込みにもかかわらず、観光客の財布の紐はなかなか堅く、売り上げはほとんどなさそうだ。
観光客たちが山から下りて、道路を渡ってミニバスに乗り込むまでの僅かな時間が彼女たちの勝負の時だ。観光客の姿が現れるやいなや、売り子達はダッシュで一斉に駆けていく。みんな必死だ。そして売り子達の客とのかけひきは凄まじいものだった。
ある売り子は右手に綿スカーフを持ち、左手には携帯ストラップ、キーホルダーやマグネット。バッグからココナッツ、コカコーラまでいろんなものを抱えて、お客の元へ駆け寄る。
相手が欧米人だと「Scarf one dollar! one dollar?」と声を張り上げ、日本人に対しては「安いよ、オネエサン?」に切り替わる。他にも中国語、韓国語まで挨拶ができるようだ。
売り方もすごい。
「one dollar for two?」
・・・へえ~、半額かあ。安いかも!
「ten dollar for ten!」
Σ(゜Д゜;! ・・・ん?めっちゃ安い・・・のか???
英語は簡単な挨拶ぐらいしかできない売り子が多い中で、昨日の女の子はそこそこに英語が話せた。「いつまでカンボジアにいるの?」といった会話を皮切りに、客待ちの間、ぼくと雑談の相手をしてくれた。客を見つけると飛び出していくが、商談に失敗してとぼとぼ帰ってきては、「あの中国の女の人は私を見ようともしない」とか、「さっきの男の人は、さんざん値切ったのに、結局何も買わなかった」とかあっけらかんとこぼす。
「これはどこで仕入れてくるの?」
ぼくは彼女がいつも抱えているアンコール・ワットのマグネットが入った包みの束を訊ねた。彼女には悪いけれど、おそらく中国製のそれはいかにも安っぽいものだった。
「シェムリアップの市場で買ってくるのよ」
彼女はそう答えた。マグネットの売値は一個一ドルだが、卸値はもっと安いという。
しかし、こんないかにもチープな土産は誰も買わない。アンコール・ワットに来る観光客は、世界遺産に感動し、アプサラダンスを眺めながら食事といった非日常性を求める裕福層だ。カンボジアでしか味わえない深遠なオリエンタリズムにあふれた民芸品や手工芸品など、日常にはない商品であれば売れるのかもしれない。どうだろう?
カンボジアは急成長している。投資ブームと建設ラッシュが押し寄せ、特に中国系企業や韓国企業からの投資が目立つ。日本企業ももっと投資に積極的にならないものだろうか。いつまでも「援助が必要な貧しい国」ではない。金銭を与えるのではなく、彼らにチャンスを与えて欲しい。でなければ、いつまでたっても幼い売り子たちはなくならない。同情を施される者は卑屈になる。それは人間として成長する上で心や性格に影響を及ぼしていく。彼女たちが有能な売り手であることは、ぼくが保証する。
そして、勉強とはいったいなんだろうと思う。中学から高校まで6年間、英語を勉強してもしゃべれない日本人に対し、彼女たちはロクに語学の授業も受けなくても、流ちょうに会話をこなす。生活に必要な知識は実戦で学んでいるのだ。
だが、この先、カンボジアで外国資本による雇用がはじまるとすれば、やはり学歴がものを言うことになる。学校の勉強は、集団社会での個の在り方を学ぶからだ。
・・・勉強しろよ。彼女に強くそう言って別れたのだが、澄んだまなざしで見送ってくれた彼女に、その大切さはわかってはもらえてなさそうだった。
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