久米島の東約800mに奥武島があり、久米島と海中道路でつながっている。奥武島の東にはオーハ島があり、その先にははての浜が延びる。
「はての浜観光サービス」の船長さんによれば、オーハ島の住人は3名。80代の二人のオバーとオジーが住み、漁で生計を立てている。
オーハ島と奥武島をつなぐのは電線だけ。大潮の干潮時には、この電信柱の下を歩いて奥武島・オーハ島の行き来が出来るらしい。
奥武島の浜辺に亀の甲羅のような形をした畳石があり、久米島町の観光名所にもなっている。
火山から流れ出した溶岩が長い時間に侵食されその断面が露出すると、多くの場合、多角形の柱が林立したような「柱状節理」を見ることができる。
これは、溶岩が冷えて固まるときに、溶岩の温度低下とともに体積が収縮し、そのために溶岩に規則的な割れ目ができることによる。
つまり、溶岩の割れ目の生成メカニズムは、田んぼのひび割れの生成にも似ている。
また、久米島の畳石は、この島がかつては火山の噴火でできたことを物語っている。
畳石で見られるように、多角形の柱の断面は六角形であることが多いのだが、ハスの実のように必ずしも正六角形では なく、四角形、五角形、七角形、八角形のこともある。多角形の柱の方向は重力の方向(上下)とは無関係で、溶岩が冷えた時のマグマー固化の界面に対して垂直になる。したがって、ドーム状の溶岩の場合は、岩の中心から柱が放射状に発生しているように見える。
割れ目の間隔は、溶岩の化学組成にもよるのだが、ゆっくり 冷えた場合ほど大きくなる。柱状節理は溶岩だけでなく、マグマが地下で冷え固まった100mの幅に達する「岩脈」や 「岩床」にもよく見られる。
つまり、久米島の畳石は、久米島の生誕の記録でもあるわけだ。太古の地球内部からのメッセージ。
この岩は、どれだけの長い年月を見つめてきたのだろうか。
沖に見える、昨日潜った巨石トンバラをパチリ。 としている彼女をパチリ。
いやあ、足フェチにはたまらないっすね~。
「中に巨大なハチの幼虫が住んでいるという・・・」
これ書いてたの知らない若い男の子2人組みっす。出会えた?
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