tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

北の桜たち

2012-05-07 22:56:01 | 遠野(岩手)
  
  

今年の春は、駆け足だった。
天気の変動が激しく、また変動のスピードも例年以上に速かったような気がする。

連休後半を襲った記録的な豪雨。東北縦貫道はあちこちで通行止め。そして、終日、豪雨。
緑をさらに育てる穀雨なのだろうが、いささか降り過ぎ。
春の訪れを感じていた桜の花。満開になったと思ったら散るのも早い今年の様子だった。今か今かと気温の上昇を待ちこがれ、一斉に開花したのだから分かるような気もする。
遅れた分だけ、春は駆け足だ。

一本桜で有名な桜たち。ヤマザクラと共にエドヒガンは非常に長寿だ。
樹齢300年を越える石割桜。小岩井農場の一本桜は樹齢100年という。
人気のソメイヨシノが銘木になりづらいのは、台木より成長が早く接木した部分が60年ほどで空洞化し朽ちて枯れてしまうからのようだ。

・・・美人薄命。
植えられて40年も経つと大木となる。多くの花見客が訪れ、ソメイヨシノの根元を踏みつけるようになれば、樹勢が衰退し腐朽菌の侵入を許すことになる。美人に生まれたソメイヨシノの宿命なのだろう。。

北の桜たち。その力で日本を元気にしておくれ。


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記憶に残るお弁当 下田ダイバーズ


ぼくらはけっして忘れはしない

2012-03-22 22:54:14 | 遠野(岩手)

 

NHKニュースウオッチ9で、石巻工業のセンバツ高校野球の戦いを見て胸が熱くなった。多くの人が彼らの真摯なプレーを見守ったことだろう。
「あきらめない街・石巻 その力に俺たちはなる」
彼らは立派だ。
残念ながら1回戦で敗れはしたが、一時は4点差をはね返すなど、最後まで諦めないプレーを見せた。

震災時、石巻工業高校は野球部員30人が部活動中だったらしい。校舎の三階以上に避難して無事だったもののグラウンドは水没、用具のほとんども失ったという。
グラウンドを覆った水は5日間引かず、松本監督には「野球をしていいのか」と自問した。たじろぐ監督の背中を押したのは、部員の親御さんの言葉だったらしい。
「家も仕事もなくなった。楽しみは子供が野球をしている姿を見ることだけだ。早くやってくれ!」と・・・。
彼tらは4月22日の授業開始に合わせ、使用可能となったグラウンドの一部でボールを使った練習を再開する。
が、またひとつ、問題が生じた。
数々の苦難を乗り越えて、二十一世紀枠での甲子園初出場。だが、予算がない。出場校を選ぶ際に、お金が集めにくい被災地ということを考慮してないことに非難が集まった。

それでも石巻から甲子園の大舞台へ。彼らはとうとうやってのけた。
彼らの戦いをぼくらはけっして忘れはしない。


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新年あけましておめでとうございます。

2012-01-05 22:38:06 | 遠野(岩手)

 

昨年の日本の状況を考えて、新年のあいさつを敬遠される方も多いようだ。
だが、正月休みに訪れた東北は、確実に復興に向けて希望の灯がともっていた。
・・・震災に勝ててはいないけれど、負けてはいない。
福島、宮城、岩手の皆さんが動き出していました。

そしてぼくも、自分と共にある仲間たちを信じられる思いがうれしい。

いい一年を。
皆さまと共に、いい一年を。
皆さま あけましておめでとうございます。


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遠野まつり 神々との共演

2011-09-25 21:19:11 | 遠野(岩手)

 
 

人気の民芸のもう一つ、遠野の神楽は、大出早池峰神楽(神人神楽)、山伏神楽、早池峰山伏神楽の2系統がある。大出早池峰神楽は拍子の遅い、女性的で優美な舞、山伏神楽は速いテンポで、荒々しく活発な舞だ。
仏の化身とされる鬼に似た面をかぶるのだが、鬼ではなく仏なので面には角はない。

この遠野の神楽は、大宝年間(701~704年)、修験道の祖である役小角が念仏とともに踊ったのが起源とも、大同年間(806~810年)に羽黒山の僧が、荒沢鬼渡大明神で大日如来の化身に伝授されたともいわれる。
踊り手は、胸当て、鎖帷子に赤いタスキをかけ、手平鉦、太鼓、笛の囃子方の曲目にあわせて舞い踊る。念仏剣舞の一種であり、邪気を払うための反閇と呼ばれる独特な足運びで舞う勇ましい神楽。衆生済度、悪魔退治のために行われるのだが、ビリーズブートキャンプも真っ青の炎天のもと相当な体力が要求される踊りだ。

さて、前置きはこれくらいとして、本題はなにゆえの神楽?
邪気を払うためと言ってしまえばそれで[終わりなのだが、炎天下に面に鬼着という重装備。相当の体力と精神力を求められる。それ故に、嘔吐を覚え、幕内で倒れ込む踊り手もいるという。
そういう窮地を見るにつけ、何が楽しくて舞っているのかと、端から見て不思議に思う時がある。

伝統としての重責に耐えているようにも見えるが、心の中では「鬼」と同化しつつある踊り手もいるのではないだろうか?つまり、昔、山伏たちは我が道を歩まんと、母国から旅立っていった。すべては、大御神の意思に在りしと・・・。

上手に舞いたいといった自我にとらわれることなく、ひたすら自らの内なる世界へと深く入って行く。自分自身を追いこんで、伝説の鬼の生きざまを観客に魅せる時、踊り手の形相もその鬼面と同じくして「鬼」にとなっているように思えてならない。神々の心の叫びだ。


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遠野まつり 神々の叫び

2011-09-24 22:20:29 | 遠野(岩手)

 
 

遠野のしし踊りは、幕をもって踊る幕踊り。
寛永4年、八戸より転封された南部直栄が、「南部ばやし」に引き続き、民芸に理解を示したのがこれ。

徳川秀忠が将軍職に就任するために上洛する際、関東・東北・甲信の諸大名をあわせて10万人規模の軍を率いた。それに南部直栄も宗家南部重直に従って従者を連れて参加。
その上洛途中の遠州掛川は秋祭りの最中だった。
さて、南部直栄の従者の駒木村海上の角助( 覚助)は、そこの土地のしし踊りに見入ってしまい、領主の行列一行とはぐれてしまう。その土地の踊りの師匠は、迷子になってしまった角助を弟子にして面倒を見る。その後、角助は練習に精進し踊りをすべてマスター。師匠は立派に成長した角助の幸せを願い、角助と2人で遠野に赴き、直栄に事の次第を述べ、平伏謝罪、許しを懇願。

民芸に理解のある直栄は、角助の罪を許して、その踊りを後世に伝えることにした。
こうして歌詞とその踊りや囃しの曲譜200余種は巻き物として遠野に伝わり、領内の神社の祭典などには、十教団体が競って出演・奉納するようになったのだ。


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