珈琲1杯の値段は昭和35年に60円、昭和45年に120円、現在300円前後であろう。昭和30年の頃の物価は、ビール1本=125円、もりそば=25~30円、天丼=150円、総合雑誌=120円 であるから、コーヒーの相対価格は現在とさほど変わらない。日本では、お茶をする際の選択肢として、日本茶や紅茶、ウーロン茶などのバリエーションがあるから、コーヒーはアメリカ、西ドイツ、フランスに次いでよく飲まれているものの、1人当たりにすると西ドイツや、フランスの1/3くらいらしい。
野生のコーヒーの原木は、エチオピアをはじめ、アフリカ大陸のあちこちで見つかっている。エチオピアのアビシニアン高原にあったコーヒーの原木は、1470年に南アラビアのイエメンに移植された。そして、15~16世紀にはイスラム教と密接な関係を持ってアラビアのイスラム教圏に広まった。現在コーヒーは、赤道を中心としたコーヒーベルトと呼ばれる熱帯・亜熱帯地方の様々な国、約60ヶ国で栽培されている。
コーヒーの発見にはたくさんの伝説があるが、その内、メジャーなものは「僧侶シェーク・オマール」と「ヤギ飼いカルディ」の二つである。
「僧侶シェーク・オマール」の話は、イスラム教国での発見説で、13世紀頃のイエメン山中で、回教徒アブダル・カディの『コーヒー由来書』(1587年)に記されている。アラビアのモカ(現在のイエメン)に住む人気の高い祈祷師であるオマールが、ある日、モカ王の娘の病気を祈祷で癒した。そのとき王女に道ならぬ恋をしてしまった。それが王に発覚し、オマールはオーサバの山中へ追放された。山中をさまよい歩いたオマールは、一羽の鳥が赤い木の実を啄んでは陽気にさえずっているのを見つけた。空腹だった彼は、その木の実を持ち帰り、試しに煮出して飲んでみると疲れが嘘のように消え去って元気になった。時を同じくして、疫病が流行り苦しんでいたモカの人々に、オマールはその木の実を飲ませて沢山の病人を救った。その功績により、許されて再びモカへ戻り聖者として人々に崇められたらしい。その木の実は病気を治す薬としてそれ以降使われるようになったと言う。
「ヤギ飼いカルディ」の話は、レバノンの言語学者ファウスト・ナイロニの『眠りを知らない修道院』(1671年)に記されているものである。ヤギ飼いのカルディは、ある日放し飼いにしていたヤギたちが、昼夜の別なく非常に興奮しているのを発見した。調べてみると、どうやら丘の中腹に自生している灌木の赤い実を食べたもようだ。近くの修道院にこのことを告げると、修道僧が試しに食べてみたらしい。そうすると、気分はみるみる爽快になり、体中に活力がみなぎってきた。修道僧は、この実を持ち帰り他の修道僧たちにも勧めた。それからは、徹夜の宗教行事の時に、睡魔に苦しむ僧はいなくなったとのこと。
ワインは人を”酩酊”させるのに対し、コーヒーには”覚醒”の効果がある。カフェインは、摂取後、血流にのり約30分で脳に到達する。言うまでも無く、カフェインは計算力や記憶力の向上、疲労の抑制、運動能力の向上に役立つ上、カフェインは交感神経を刺激する作用を持つ。先の「コーヒー哲学序説」の中で、宗教は官能と理性を麻痺させる点で酒に似ており、哲学は官能を鋭敏にし洞察力と認識を透明にする点でコーヒーに似ているとある。古来、酒を重要視して人々を完全に支配下おいた宗教であるが、その昔に比べれば宗教に依存しない人々が増えた。宗教は、それを信じることによってつらい現実や死の不安に対処するかわりに、その問題から逃避し死を虚無的に捉えることによって不安を克服するすべを教える。人類の歴史においては、確かに逃避が必要な悲惨な時期もあった。しかし、先進国を中心として逃避するしか手が無かったつらい問題から徐々に解放されていくと、更なる改善を求めて現実に立ち向かうことが必然だ。宗教よりも哲学が必要になる。宗教から離脱した人々は、コーヒーを飲んで酔わなくなり、惰眠もむさぼらなくなった。芸術も含めて近代文明の急激な発展は、コーヒーが人々に与えた思考のひらめきによるところがあるのかもしれない。