tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

おしゃれ泥棒

2008-01-09 23:41:08 | cinema

おしゃれ泥棒 (HOW TO STEAL A MILLION 1966)

オードリー・ヘップバーンとウィリアム・ワイラー監督といえば、すぐに思い出すのが「ローマの休日」。某小国の王女と新聞記者とのロマンチックで切ない恋の夢物語。あまりにも有名な“世紀の妖精”オードリー・ヘップバーンのアメリカ映画デビュー作だ。それから13年目。
こちらは、美術品の収集家に見せかけた贋作づくりの天才の一人娘ニコルとBurglar(家屋に侵入する泥棒 夜盗)シモン・デルモットの組み合わせ。ニコルは父親の仕事を止めさせようといつも胸を痛めているし、泥棒と名乗ったシモンの正体は実は違っていたりするのだが・・・・・・。
基本的にこうした2人の組み合わせを持ってくれば、”HOW TO STEAL A MILLION”の原題そのままのコメディタッチのストーリーになるのがごく自然な結果だ。実際に、映画のポスターやDVDのパッケージからすぐに内容が想像できるように、パリを舞台にしたロマンチックでちょっぴりスリルも楽しめるスクリューボール・コメディとなっている。

このスクリューボール・コメディ。正確な定義は、1930~40年代前半に量産されたコメディの総称でハリウッド黄金期の恋愛コメディを指す。スクリューボールとはもともと野球でいうところの「左ピッチャーが投げるシュートボール」。数少ない左ピッチャーが投げる変化球だ。転じて「奇人・風変わりな人間」の意味で使われる。つまり、スクリューボール・コメディとは、ちょっと風変わりなカップルが引き起こす恋愛コメディのこと。
こうした自由闊達でちょっと男勝りなヒロインが、上流階級に属するちょっと変わり者の主人公(男性)と反目しあううちに、いつしか恋に落ち大混乱のあげく恋のハッピーエンドを獲得するというストーリー。現在の日本や韓国の恋愛ドラマに脈々と受け継がれているまさにラブ・コメの王道で、あれこれ手を変え品を変えドラマのシチュエーションを変えて作り続けられている。
さて、本作。自分の家に忍び込んできた泥棒。銃が暴発し、そいつを拳銃で撃ってしまう。こんなシチュエーションでスタートする。実際にこんな状況になったら、どんなに2人が美男美女でも普通は恋愛感情は起きないだろう。ところが、考えられないことが起こるのがフィクション。2人は協力して最新式の厳重な警戒下にある美術館から美術品を盗み出すことになる。

何度も繰り返す警報の誤動作から、警報システムを止めてしまう人為的なミスは、最近の映画にもあったような気がするがどの映画だったか思い出せないでいる。たぶん、この映画がはじめてなのだろう。完璧なシステムの穴はとんでもないところに存在するものなのだ。

父親の作った贋作をぜひ盗み出すため夜の美術館に2人で潜入。数々のドタバタの末、体が密着せざるを得ない狭い小部屋の中でお互いの恋心を認めあう2人。このあたりは、スラップスティックのドタバタからシチュエーション・コメディの要素まであり興味深い。エンディングは、名作”ローマの休日”で見せたような大円団のどんでん返し。見事なオチに感心させられる。
ウィリアム・ワイラー監督が贈る元祖ラブ・コメ。ストーリーに色々荒さが目立つが、誰が書いてもこんなストーリーにしかならないだろう。
オードリー・ヘップバーンと2人きりで暗く狭い部屋に閉じ込められたら・・・・・・天国だろうなあ。って、こんなオチしか書けないボクは、やっぱりスクリューボールしか投げられない!?


ヒットラー最後の12日間

2008-01-08 20:23:12 | cinema

これまでの戦争によって苦しんだ各時代の罪なき人々を追悼したい。

「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」- あまりにも有名なチャールズ・チャップリンの言葉だ。この言葉は正確には原子爆弾を落としたアメリカを皮肉ってのもので、ある意味で戦争の一面を良く現している。ただし、敵の非戦闘員を1人でも殺せばそれは犯罪である上に、結果として勝利がなければ戦争犯罪人としての重責を問われるのが現実。
ヒットラーは政権下のドイツ、および、その占領地域においてユダヤ人などに対して組織的に民族虐殺を行った上に、第2次世界大戦の敗戦直前に敵軍の砲撃に虚しく抵抗し、逃げ惑うベルリン市民を見捨てた。だから、ヒットラーが歴史的な戦争犯罪人であることは間違いない。だが、それにしても何故、ヒットラーは敗戦が決まるまでのドイツで英雄として君臨できたのであろうか。
この映画で描くように、ナチス自体は当時でさえも国民から敬遠され、その総統であるヒットラーの秘書になることは多くの親類が反対している。こうしたナチスに対する国民の声が明確な形とならなかったのは、ドイツ国民と反対勢力をほぼ完全に近い形で封殺するナチス親衛隊(SS)とゲシュタボ組織が徹底した弾圧を行っていたからである。ヒットラーはその方向性を間違えなければ、他人を成功に導くリーダーとして大なる素質を持っていた。熱意をもって独断的に方針を決め、決して諦めることなく周りを従えていく。そうした人物を総統に祭り上げたナチスだった。

ナチスの突撃隊(SA=Sturmabteilung)は、1921年、勢力拡大のため活発に街頭活動をしていたナチ党員を防衛する目的で結成された組織だ。SAは無制限に隊員の受け入れを行ない、最盛期には300万人にもなりドイツ国防軍(10万人)をしのぐ勢力に膨れ上がっていった。そのSAが天才扇動家であるヒトラーの政権獲得を推し進めた。ドイツ国防軍が、プロイセンのころから貴族出身の誇り高い職業軍人の集団だったのに対し、ヒットラーが伍長上がりだったこともSAがヒットラーを支持した理由のひとつである。ナチ首脳のゲッベルス、ボルマン、ヒムラーなどが、会計士、郵便局員、教育監督など小市民階級の出身者だったのとは非常に好対照だ。

だが、急拡大のSAと国防軍との摩擦が権力基盤に危機を招くと判断したヒトラーは、SAを党の統制下に置き暴走するSA分子を排除する。それが「血の粛清」である。
1934年6月30日、ヒトラーはレームらSA幹部らを急襲、逮捕、ただちに情け容赦なく処刑した。処刑には「国家緊急防衛措置」として裁判手続きが省かれた。処刑の対象はSAだけにとどまらず、反ナチの保守派、党内の左派勢力など合わせて数百人が殺害されたようだ。「長いナイフの夜」と呼ばれるこの「レーム事件」は、評判の悪かったSA幹部を粛清したことで市民には好感をもって受け入れられた。そして、この事件から国民のヒトラー崇拝がはじまった。レーム事件は大量殺人であったにもかかわらず、ドイツ国民はヒトラーの断固たる措置を歓迎し、ヒトラーの威信は高まることになる。ナチ組織の腐敗、幹部の目にあまる増長ぶりに、国民はヒトラーがナチスを抑圧してくれることを期待したのだ。また、宣伝相ゲッベルスはヒトラーを清潔な政治家、党利党略をこえて国民全体のことを考える人物として演出した。だが、ヒトラーの人気はそうした演出によるものだけではない。人々は、清潔なヒトラーを支持することで、腐敗したナチス幹部を批判したのだ。

ヒトラーは政治的天才であったが、決して英雄ではなかった。また、戦況を冷静にかつ的確に把握する能力に欠いていた。理想だけで突っ走るヒットラーの独裁政治に終焉が来るのは当然のことだった。それでもなお、ヒットラーを崇拝し続けた人々は、戦争の狂気に駆られていたとしか言いようがない。ヒトラーは「ドイツ民族のためのドイツ」をその政治目標にした。当時のドイツは第一次大戦の敗北によりすべてを失った上にユダヤ資本に支配され、1929年の世界大恐慌によるマルク大暴落とそれによる再起不能なほどの超インフレが国内を襲っていた。ドイツの民族利益をユダヤから守り、旧ドイツ帝国の領土を奪回しようとする狂気がたやすく支配しがちな背景があったのだ。

平和な時に「戦争反対」を叫ぶものは星の数よりも多い。しかし、自分の命をも狙われるようなこのような状況下でも「平和」を訴えられるのだろうか。第2次世界大戦の戦時下、当時の日本のマスコミは「大政翼賛会」への全面的な支援をはじめ、こぞって「戦争賛美」を行い、民衆を悲惨な戦争へと扇動したことは歴史が明白に物語る。その同じ時代にチャールズ・チャップリンは、自らの身の危険も顧みず「反戦」を訴えた。台頭するナチスの恐怖の中、「独裁者」を製作。恐怖によって世界を征服しようと企む「独裁者」を容赦なく「滑稽な愚人」として描き笑い飛ばしている。当時、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大していたヒトラーは、この映画を知り激怒。ナチス全軍にチャップリンの殺害を命令したという。

若くしてヒットラーの秘書となった女性が当時を振り返り、状況に流されるままにナチスに加担したことを深く後悔して言う。「(状況がよくわからなかった。でも)若いことは理由にはならない。しっかりと目を見開いていれば・・・・・・」
ナチスとは全く無関係な市井の若き女性まで、戦後数十年たった今も深い慙愧の念を覚えさせる戦争というものに恐怖を覚える。映画の最後、登場する人物たちの現在の状況が略歴となってスクリーンに流れるが、どうにか生き延びた人々の名前が出るたびに心を打つ。がんばって生き抜いたんだねと。それと同時に、生きる権利を否定されて殺害されたすべての人々に対し追悼の気持ちがこみ上げてきてならない。


かさ地蔵の秘密

2008-01-07 19:58:18 | プチ放浪 都会編

大晦日の賑わいを見せる新横浜駅前。最高気温5度という寒空の下、配ったティッシュの数は、なんと500個。テレクラのティッシュ配りとは違うくて、あのCMでよく踊ってるやつ。某消費者金融。友達のお姉ちゃんが正社員で頼まれた。単発のバイトって個人的にすごく好き。日雇いみたいだけど。でも格好がかなりやばかった。まるでサンタがギャルになったような真っ赤なジャンパーに、パンツ見えそうな真っ赤なミニミニスカート、その上真っ赤な帽子。でも、そう言う格好をするだけで、ティッシュの売れ行きがとても良くて驚いてしまった。昼前に配り終えてしまったバイトの帰り道。

今年初めてといえる寒波で、予報では午後から雪になるらしい。長光寺前で右折して坂を登り、宮ノ下の交差点を過ぎて幼稚園の前を通りかかる。道路に面したところにある小さなお堂。中に右手に杓を持った錫丈を持った小ぶりの石地蔵さんが立っている。お地蔵さんの前には誰があげたのか栄養ドリンクのビン。手前の花瓶には枯れてしまった花がそのままになっていた。もう、長いこと誰もお参りしていないのかもしれない。帰宅途中、時々、このお地蔵さんに手を合わせるけど、勝手にこちらの都合でお参りされるほうも大変かなと想い、最近は感謝だけにしている。自分のお願いはしなくなった。お願いは、近所の神社の初詣の時だけ。願いを叶えてもらえるよう、いっぱいお賽銭をあげて。
今日も足を止めてお地蔵さんに手を合わせた。よく見ると近所の子供たちのいたずらだろうか。お地蔵さんの顔に白いチョークでおしろいが塗られ、目には炭のアイラインが描かれていた。しかも、寒空の下、鼻先の一部が濡れて鼻水が垂れているように見えた。どうしよう。でも、まわりには誰もいなかったので、バッグからポケットティッシュを出して顔をきれいにしてあげた。今年一年、無事に過ごせたことを感謝しながら・・・・・・。そして帰宅して、一人でゲーム。昼から降り出した雪は夜半に本格的になって、いつもなら友達と行く初詣は中止。

翌朝、玄関口で騒いでいる兄に起こされた。雪は止み、天気は回復。一面を真っ白に染めた雪は朝日にあたってキラキラ輝いていた。兄は家の玄関に”まめがき”が置いてあると言う。”まめがき”ってなんだろう。見てみたらそのままだった。銀杏のような小さな柿がたわわに実った一枝。実は熟して黒くなっていて、干し柿のように白く粉を吹いている。兄が一粒つまんで口に入れ、「うまい」と一言。それにしても、近所に豆柿を植えている家などなく、なぜそんなものが玄関に置いてあったのか不思議だった。さらにもう一つ、不思議といえば、夕べ降り積もった雪に一筋の大きな跡が。40cmぐらいの幅だけを雪かきしたように、そこだけが圧雪されてずーっと歩道の向こうまで続いている。

犬の散歩がてら、兄と一緒に雪の上に残った筋状の跡をたどってみた。歩道の上のなにかの跡は、駅の方に1kmほど続いていて、幼稚園前の交差点まで。お地蔵さんがいるお宮の4段の石段のところで途切れていた。そして、お宮の中に置かれているはずのお地蔵さんが倒されて石段の下に。
「だれがやったんだろう!?」
兄は雪を払ってお地蔵さんを抱え起こすが重くて大変そうだ。兄を手伝って、2人でお宮の中へ。
「ひょっとしたら、お地蔵さん、雪で滑って、すっころんだのかしら・・・・・・」
「バカ。お地蔵さんが動き回るわけねーべ」
兄がバカにしたように私を見た。
「冗談よ」
そう言った私に、お地蔵さんがニコッと笑ったように見えた。
白い雪でいろんな事をキレイにしてくれて、新しい年がスタートした。


風を求めて(9)

2008-01-06 23:42:40 | 日記
最近の休日の行動パターンだが、スキーに行く日を除いて3時間以上の自由な時間があれば、いつも車を走らせて海岸へ行きパラグライダーの機体(キャノピー)の立ち上げに行くことが多い。というのも、山のテイクオフ場まで行けば片道3時間以上かかるし、早朝から出かけて帰宅は夜遅くなってしまう。その上、ここのところ1ヶ月ぐらいは週末になると南風で風が弱かったり、あるいは、寒い日は強い北風が吹いたりで、フライトができない週末が続いていたのだ。山の上のテイクオフ場で風が悪ければ、いい風が吹くまで待つしかないのだが、何にもすることがない。たまにテイクオフ場の整備に駆り出されるが、そんな日は肉体労働で疲れ果てて終わりのことが多い。
今日は、天気予報では北風、風速5m。午後からすることが無くなったので、さっそく車を飛ばして富津岬へ。しかし、着いてみると風向きは南風。しかも快晴で気温は15℃以上まであがっていたかもしれない。
最初は3mぐらいの弱い風。やや苦手な風だ。もっと苦手なのは7mを超えるような強風。ということで強風対策のため、キャノピーのあがる方向を修正しながらゆっくりとあげる練習をするべくがんばって機体を上げていた。
キャノピーを頭上に持ち上げるのをライズアップと言う。そして、頭上でぴたりと止めてコントロールするのをグランドハンドリング(グラハン)という。ぼくは、ライズアップとグラハンを別々に考えていた。というのも、実際のフライトの時は、とにかくキャノピーを上げなければ飛べないので必死で上げる。キャノピーが上がりさえすれば、キャノピー自身の性能からいつもなんとか頭上にとどまってくれるからだ。だから、課題はグラハンではなく、ライズアップと考えていた。
だが、キャノピーをゆっくり立ち上げると、ちょっとした力の係り具合で左右へキャノピーは暴れる。かなりの時間、キャノピーの立ち上げに悪戦苦闘していると、見かねたモーターパラグライダーの人たちが色々と教えてくれた。
「キャノピーは一発勝負で、一気に上げた方が良い。左右に暴れるようなら、やり直せばいい」
コツをつかめば簡単なことだった。キャノピーをゆっくりコントロールしながら上げると言うのは至難の技のようだ。それよりも、思い切って立ち上げて、グラハンの練習をした方が上達は早そうだ。
気温が上がって半袖のTシャツで練習しているうちに、風が7mオーバーに。やや強風が僕にとってベスト。まるで人が変わったようにキャノピーをバシバシ立ち上げて、頭上で5分以上ピタっと止め続けていた。今日は、なんとか苦手なライズアップを克服できたような気がする。

Sky High - freeTempo


ロマンスの神様

2008-01-05 19:56:21 | プチ放浪 山道編

冬が確に暖かくなってきている。
いろいろなところで言われているが、地球温暖化は確実に進んでいる。今年は昨シーズンよりも雪が多めのようだが、長い目で見ると真冬の平均気温は上がり続けているし、天気図を見ても冬型の気圧配置になるのが年々顕著に遅くなってきている。その結果として初雪が遅くなったり、雪の降るエリアが狭まってきている。
tetujinの幼い頃は、もっとたくさん雪が降ったのを覚えている。しかも、雪は手で握っても雪球が握れないくらいのパウダースノーだった。今は、地球規模でウインタースポーツ競技に影響が出るほど降雪が少なくなってきている。標高1500m以下の地域のスキー場は、日本に限らず今後全滅する恐れがあるようだ。ここ数年の間、FISワールドカップスキー、そしてその次の世代を担うワールドカップ以下のFISレースなども続々中止になった。この状態で行くと標高1500m以下の地域は、人工降雪機を導入してのスキー場に移行していくしか存続の道がない。しかし、それにはあまりにもエネルギーを使うため環境に対する影響が問題だ。今後のスキービジネスは、スキー以外の事業をしてキャッシュフローを確保し、それをスキーへ投資することが必要になってくるかもしれない。さらに温暖化が進めば、スキーやスノボというスポーツの存続は厳しいものにならざるを得ない。
ウインタースポーツを楽しむこと自体が種々の設備の稼動につながり、エネルギーを消費して地球温暖化を招いていることに引け目を感じてしまうのだが、搬送効率の高いゴンドラを利用したり電車を使うなどできるだけ環境に影響の少ないものを選択していくつもりだ。それがせめての罪滅ぼしになればと考えている。

Romance NO Kamisama