畝傍山の東麓、橿原市久米町に鎮座される「橿原(かしはら)神宮」。御祭神は『神武天皇・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)』。
第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられる『神武天皇』を祀るため、畝傍橿原宮があったとされるこの地に、明治天皇により、明治23年(1890)4月2日に官幣大社として創建。内拝殿の奥に鎮座される本殿(重要文化財)は、安政2年(1855)に建てられた京都御所賢所ですが、ここからではわずかに幣殿の千木が見えるのみ。
素木建:八脚門で切妻造:銅板葺の「南神門」。その向こうに整然と静まる境内。
緩やかな稜線を見せる畝傍山を背景に建つ入母屋造の外拝殿。秋の日暮れは殊の外早く、参拝者の姿もまばらになった境内。日暮れ前の穏やかな光の中に見るその佇まいは、神々しいほどの気に満たされています。
外拝殿回廊 内側より
外拝殿回廊 外側より
神楽殿
北神門は、大正4年に建造された唐破風造の平唐門。もと正門だったものですが生憎と修復中。足場の隙間からわずかに唐破風の一部が見えました。
外拝殿向かって右手に置かれた「さざれ石」
板塀に囲まれ、白い玉石を敷きつめた方形の庭「祓戸」。祭典に先立ち、宮司以下祭員が修祓(しゅばつ)を行う場所です。(修祓=身を祓い清める)
2007年の干支「亥」が描かれた巨大絵馬も、あと二ヶ月ほどで新しい主役に取って代わられます。「亥(い、がい)」は「とざす」の意で、草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態を表すとされます。それが日本で猪になったのは、単に動物に置き換えて覚えやすくする為だったとか(^^;)
南神門前広場の南方、奈良時代に造成された「深田池」は面積は約1万5000坪。畝傍山の南斜面から流れ込む雨水を水源とし、鴨やサギなどの憩いの場にもなっています。
第一鳥居と第二鳥居の間に設けられた「神橋」
第一鳥居に沈む夕日に見送られ、橿原の社を後にしました。
参拝日:2007年10月20日