大和郡山市の矢田丘陵東部、この地に有形・無形の民俗文化財を収集する「奈良県立民俗博物館」があります。「郷土の風俗慣習及びこれに伴う生活用具等、生活の推移の理解に欠くことのできない資料の保存と活用を図り、加えて県民文化の向上に資するため、1974年に開館した」公式HPより
【大和民俗公園は、26.6haの広大な敷地を有する都市公園で、自然との共生の場「里山」を活かしながら、「みんぱく梅林」「みんぱくしょうぶ園」のほか、四季折々の草花や、森林浴・ウォーキングなども楽しんでいただけます。また、公園内には昔懐かしい江戸時代の民家15棟を「町屋」「国中(奈良盆地)」「宇陀・東山」「吉野」の4ブロックに分けて移築復原しており、自由に見学できます。】・・・と言う言葉に釣られ、肌寒い三月の朝、バイクタンデムで「江戸時代の民家」と「梅林」を見に来ました。
園内で最初に目にする建物は、高市郡高取町上土佐に所在していた「重要文化財・旧臼井家住宅」。建築年代は明らかではありませんが、構造手法上、18泄紀前期頃の建築と推定。
土間の一角に半円に配置された竈(かまど)は、主食、副食、湯茶用と幾つにも分けられており、居住者の多さが伺えます。復元されたものなのか、それとも現状で移築されたものなのか・・黒光りする窯が印象的。
大和高田市永和町から移築された「県指定文化財・旧鹿沼家住宅」は、代々米屋を営んだ家。表側の庇部分には格子を飾り、二階の両端には袖壁を付け、中央部に出格子を飾るなど町家特有の姿をよく表しており、建築年代は文化9年(1812)。
時代劇のロケなどにも使われたと言う民家は、橿原市中町より移築された「県指定文化財・旧吉川家住宅」。建築年代は良くわかっていませんが、当家の過去帳によれば、元禄16年(1703)に山ノ坊村より分家した頃の建築と推定。自作農の典型的な農家で、主は代々庄屋を務めたといわれています。
これもまた、そのまま時代劇の中に登場しそうな佇まいの「県指定文化財・旧赤土家離座敷」。もと香芝市狐井から移築されたもので、系図によれば楠木氏を祖とする農家で、庄屋を務めたと伝えられています。正面に屋根だけが見えているのは「県指定文化財・旧萩原家住宅」。桜井市下に所在していた農家で、主は組頭を務めたと言われています。
「国中集落」を出て「宇陀・東山集落」へと向う途中にあずまや風の一角を見つけ、ちょっと一休み。そこには「矢田熊五郎狐」が鎮座されており、首には大層な注連縄まで掛けられています。
「昔、この公園の地に、熊五郎と言う名の狐が住んでいました。熊五郎狐は
大和郡山の中でもたいそう神通力を持った狐であったそうです。村人たちが困ったときは、いつのまにどこからともなくやって来ては助けてくれたそうです。それでいつの日からか、熊五郎様、熊五郎様と人々に崇められるようになりました。今でも、この公園の東側にある小高い丘の上には熊五郎大明神と言う石碑が残っております。ここにある熊五郎狐の前にしゃがみ、あなたの願い事を心に念じ手を打って見てください。手を打つとコーン・コーンと言う声が響けばきっと願い事を叶えてくれます。」
さてさて、ご亭主殿は何を願い念じて、手を打っていたのでしょう(* ̄  ̄)b
矢田熊五郎狐さんがいる場所からすぐの小高い丘に「木馬(きんま)道」と呼ばれる通路が敷設。聞きなれない言葉ですが、これは木材を運搬する為に作られた木の線路のようなものといえばわかりやすいでしょうか。吉野の山深い地域に暮らす人々にとって、木材は貴重な財産であったと思います。それゆえに・・山で生きる人の知恵が生み出したものとは言え、随分過酷な労働であったと思うと・・足が止まります。
「宇陀・東山集落」最初の建物は、山辺郡都祁村大字針より移築された「旧八重川家住宅」。代々農業を営んでいたと伝えられており、建物の形式手法上から19世紀前半頃とされています。
どこか懐かしい匂いのする土間、太い梁には職人の遊びでしょうか?弓と矢が象られていますが、もしかしたら何かの呪いなのかもしれません。
八重川家住宅のすぐ隣に位置する、「重要文化財・旧岩本家住宅」。宇陀郡室生村黒岩からの移築で、農業林業を営み庄屋年寄りを務めたと伝えられています。
屋内に展示されていた「糸繰車」を指差しながら、高知の曾祖母の家にも同じようなものがあったと懐かしそうに教えてくれるご亭主殿。蚕の為の「ヤマグワ」も、お蚕さんの蚕部屋も、どれも懐かしい光景だそうです。
最後は吉野郡十津川村人字旭字迫(セイ)より移築された「県指定文化財・旧木村家住宅」。「迫」は吉野山中でも更に山深い峡谷の中にあり、「迫と背中は見ずに死ぬ」と人々に言わしめた程の秘境だったとか・・そのような地にも人の暮らしがあった事に驚くよりも、完成された住環境に感嘆せずにはいられません。
民家集落を抜けて、140本の梅が植えられた「みんぱく梅林」へ。途中の道々には何とものどかな田園や畑の風景が広がり、その都度足が止まり中々先に進めません(^^;)
こちらの梅林は、蝋梅・紅梅・白梅との事ですが、流石に一番早い蝋梅は見られませんでした。ふんわりと漂う梅の香りの中をそぞろ歩けば、時間の流れが殊更に緩やかに感じられ、時折聞こえるウグイスの鳴き声も子守唄のよう。
訪問日:2006年3月21日