予備知識の不十分さが露呈された當麻寺の冬牡丹でしたが、それでも花は綺麗でした。私たちが何を期待しているのかなんて花には関係の無い事で、強いて言うなら調査不足だった自分たちの責任かと(笑)
それはさておき、流石に古い歴史に裏打ちされた當麻寺だけに、実は仁王門から続く門前町も中々見ごたえがあるのです。
門前町の画像は、本格的にマンホール収集を目的で歩いた時のものなので、枚数としては非常に少なく・且つお粗末なのですが、それでもお蔵入りさせるには惜しい町並(^^;)。
江戸時代以前より、多くの参拝客で賑わったであろう當麻寺門前には、そうした参拝客の為の旅籠が多くあり、今も往時を偲ばせる佇まいが残されています。『釜めし 玉や』さんは、築160年余の「元旅籠:玉屋」。建物は登録有形文化財の指定を受けています。
こちらでの一番の収穫は何と言ってもこの「鶴松図」の鏝絵!!ご亭主殿はバイクに乗ったまま待機していた為、現物を見たのは私だけ。後でたいそう悔しがっておりました(笑)
他にも「米屋・菊屋・扇屋・大坂屋」など多くの旅籠があったそうですが、今はそれを教えるものは何も残っていません。それでも立ち並ぶ家屋はどれも素晴らしく、いかにもな雰囲気を漂わせています。
黒漆喰の壁から飛び出ているのは、かなりの太さの木の枝・・・現役でいるのか、それとももう枯れてしまったのか・・ここからでは知る良しも有りません。
参道途中で見かけた天満宮のお社。素通りは憚られ、でも時間に急かれての駆け足参拝。
拝殿前より神域を守護されるのは、関西ではお馴染みの、いかめしいお顔の狛犬さん一対。足元にまかれた細い注連縄、拝殿のものとお揃いでしょうか。
マンホール撮影のためと言いながら、ついつい横道に逸れてしまう私、バイクにまたがってゆっくりと移動するご亭主殿の顔は・・想像しない事にします(笑)
當麻の里に展開される「白鳳ロマンの道」。そこには様々な歴史が今も息づいています。大津の皇子が眠る二上山。相撲取りの祖とされる『当麻蹴速(たいまのけはや)』の塚も残されています。聖徳太子、中條姫・・・古代の歴史が好きな人なら、一度は耳にした事のある人たちが確かにこの場所にいて、生きて、泣いて、笑って・・・それはまさに壮大な歴史ロマンの舞台でもあった場所。
上記の看板が有る「二上ふるさと公園」の一画に、何処に続くのか分らない石段。ご亭主殿は無謀にもチャレンジしかけましたが、三十段ほどであっさりと引き下がりました(笑)。この石段、実は四百五十六段もあったそうで・・・引き返してくれて良かった(^^;)
訪問日:2009年7月11日