北葛城郡広陵町(こうりょうちょう)は奈良県の中西部、北葛城郡の南東部に位置する町です。 橿原市、香芝市、大和高田市、河合町、上牧町、田原本町、三宅町と隣接。奈良県の町では最も人口が多く、町名は「和名抄」にある大和国広瀬郡の「広」と、丘陵地帯の「陵」から名づけられました。特別史跡である巣山古墳や、竹取物語ゆかりの延喜式内社・讃岐神社が鎮座するなど、古い歴史を有しています。「町の木:モクセイ」「町の花:ヒマワリ」を制定。町では「いにしえのロマン:かぐや姫のまち」をキーワードとして様々な取り組みが成されています。
キャッチフレーズは「元気でやさしい町づくり」
明治22年(1889)、町村制の施行により、広瀬郡馬見村・瀬南村・百済村・箸尾村が発足。
1897年、郡制の施行で広瀬郡が北葛城郡に変更。
1927年、箸尾村が町制を施行、北葛城郡箸尾町となる。
1953年、馬見村が町制を施行、北葛城郡馬見町となる。
1955年、北葛城郡馬見町・瀬南村・百済村が合併、北葛城郡広陵町が発足。
1956年、北葛城郡箸尾町を編入、現在に至ります。
マンホールには汚水・雨水ともに「かぐや姫のまち」の文字と、竹取物語に由来する竹林がデザインされています。
こちらには汚水・雨水ともに「町の花:ヒマワリ」がデザインされています。
昭和33年1月17日制定の町章は「広の図案化で、丸は町の和。上に伸びた形は発展を象徴。」公式HPより
マンホールにも書かれた「かぐや姫のまち」は、竹取物語ゆかりの神社「讃岐神社」が鎮座している事に由来します。竹取の翁は『讃岐の造(みやつこ)』と呼ばれていることから、竹取物語の舞台は大和国の広瀬郡散吉(さぬき)郷(現広陵町三吉)と考えられること。また、かぐや姫に求婚をした五人の貴族が住んだと想定される藤原京からも十分に通える距離であること等が元となっているようです。
さて・・この竹取の翁が住んでいたと言われる地について、奈良にはもう一か所「高取町」がそうではないかと云われています。高取(たかとり)と竹取(たけとり)の語呂から、竹取の翁の住いは当地だったのではないか。都が飛鳥に置かれていたとするなら、距離的には高取町は物語でいうところの「都の外れ」・・・古の物語は決して単なる「お伽噺」ではないというのが私の持論(笑)。色々と考えを巡らせると「もしかしたら」とか「ああ!!そうなのか!」と頷ける云い伝えや事柄に出会え、小さな旅もより深く楽しいものになっていきます。
撮影日:2009年6月27日&2018年4月28日
バイクタンデムでのマンホール収集が主目的だった奈良県。ブログを書き終えて改めて振り返ってみると、名所旧跡・寺社への訪問がほとんど無かったことに改めて気付いてしまいました。いつでも行けると思っていた場所。でもお出かけ手段が車中泊に変わってからはどうしても遠方が主になり、そのうち・・そのうちで・・今更ながらに「ああ・・残念だったな (-_-;)」。
明日からは同じ近畿地方の「兵庫県」シリーズです。