桜井市三輪、「山辺の道」の始まりである三輪山の麓に鎮座される「大神神社」。式内社(名神大社)で大和国一宮。御祭神は「三輪山」を神体とする『大物主大神』。旧くは「美和乃御諸宮」、「大神大物主神社」と称し、中世以降は「三輪明神」に。明治時代に「大神神社」と改名。大鳥居は、昭和天皇御在位60年を奉祝して、昭和61年5月28日に建立。高さ32.2メートル、柱間23メートルの日本一の大鳥居で、その向こうにご神体山が美しく横たわるのが見えます。
由緒「『古事記』によれば、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとある。『日本書記』でも、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂・奇魂」であると名乗られたとあり、三輪山に鎮まることを望まれた。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮しずまられたという。」公式HPより
大神神社は「三輪山(三諸山)」を神体山として拝するようになっている為、ご神体が鎮まられるための本殿をもたず、拝殿から三輪山そのものを仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残します。
寛文4年(1664)、4代将軍徳川家綱によって再建された国重要文化財の拝殿。棟札には、金屋の茂左衛門と手代福本又次郎を番匠棟梁とし造営されたものとあり、それ以前は三ツ鳥居とそれに続く瑞垣が巡るに過ぎなかったと云います。
営造物の中において中枢の地位を占める重要文化財の三ツ鳥居(三輪鳥居)は拝殿の奥深くにあり、そこから「辺津磐座(へついわくら)」までが禁足地とされています。山中には上から「奥津(おきつ)磐座」・「中津(なかつ)磐座」、「辺津磐座」があり、麓の山ノ神祭祀遺跡などからは、古墳時代中期以降の土器や勾玉などが出土しています。
二の鳥居から続く参道は神域らしい張り詰めた空気に満ち、見上げた瞬間におのずと伸びる背中。ゆっくりと深呼吸をして一礼。
手水舎で参拝者を出迎えるのは酒樽に巻き付く蛇体。祭神である『大物主神』は蛇神であると考えられ、水神または雷神としての性格を合わせ持ち、稲作豊穣、疫病除け、醸造などの神として特に信仰を集める神とされています。
手水舎の後方に「しるしの杉」。「三輪の大神のあらわれた杉、神の坐す杉とされていました。しるしとは、示現のことで、当初、神杉として信仰されていたすべての杉のことを指していました。この杉も覆屋が作られ、根本だけが残っています。」公式HPより
「巳の神杉」は、大物主大神の化身とされる白蛇が棲むことから名付けられた御神木。樹齢500年とも言われ、幹の周囲には蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされています。
「衣掛(ころもがけの)杉」は、謡曲「三輪」に知られる『玄賓(げんぴん)僧都』の衣を掛けられたという神木。周囲10メートルにおよぶ株が大切に保存されています。
心身を祓い清めるとされる祓戸の四神が祀られる「祓戸(はらえど)神社」。神社に参拝の時は先ずここにお参りをし、俗世の汚れを払うのが正しい参拝手順となります。
三輪の神と人の子である女性の恋物語を伝える「夫婦岩」。神の鎮まる磐座の一つとされ、縁結び・夫婦円満のご利益があるとされています。
古来より『大物主大神』が鎮まる神の山として信仰されてきた「三輪山」。高さ467メートル、周囲16キロメートル、面積350ヘクタールのお山は松・杉・檜などの大樹に覆われ、一木一草に至るまで神宿るものとして尊ばれてきました。木々が生み出す命の気を体いっぱいに吸い込み、次なる聖地「大神氏」の始祖が祀られる地へと向かいましょう。
参拝日:2006年10月9日