神戸市須磨区(すまく)は六甲山系西端の鉢伏山・鉄枴山が海近くまで迫る神戸市の西部に位置した町です。「須磨」の地名は隅っこの「スミ」が転訛し、それに当て字したものといわれ、『源氏物語』や治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いなどに、その名を見る事が出来ます。また、須磨海岸は古来より白砂青松の美しい砂浜を持つ海岸として有名で、多くの人に親しまれてきました。 須磨海浜公園の一角には、明治17年(1884)に木造灯台を改築し、日本最古の鉄骨製灯台として国の登録有形文化財となった須磨の赤灯台「旧和田岬灯台」があります。
明治22年(1889)、町村制の施行により、八部郡須磨村が発足。
1896年、須磨村の所属郡が武庫郡に変更。
1912年、須磨村が町制を施行、武庫郡須磨町となる。
1920年、 神戸市に編入。
1931年、神戸市での区制の施行により、神戸市須磨区となりました。
山陽須磨駅前にある「須磨駅前商店街」に設置されたマンホールは。戦国歴史ロマン紀行「一の谷源平古戦場」と、「ようこそ須磨へ」の文字。
「須磨寺 源平の庭」は、平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘、さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、多数の重宝(じゅうほう)や史跡があり「源平ゆかりの古刹」として知られる寺院。
「敦盛塚」は、源氏の武将『熊谷直実』に討たれた『平敦盛(16歳)』の供養塔。
「現光寺」、江戸時代の地誌によれば、この地が『光源氏』の居住地であると伝えられ、昔は「源光寺」「源氏寺」とも呼ばれていました
「松風村雨堂」、都から流されてきた在原行平(業平の兄)が美しい姉妹「もしほ」と「こふじ」に出会い、「松風」「村雨」と名をつけて愛しました。行平帰京の後も姉妹の想いは変わらず、行平の須磨での住居の傍らに建てた庵跡。
「須磨離宮公園」は、鉄拐山、鉢伏山を含む傾斜地と海岸沿いの松原から形成された景勝地。
「網敷(つなしき)天満宮」は、菅原道真が大宰府への左遷の途上で立ち寄り、その際に里人が綱で円座を作ったという伝承を持つ神社。
「白砂に椰子の木」「ようこそ須磨へ」の文字。
「須磨海岸」の文字と「ヤシの木」、白砂に並ぶ「ピーチパラソル」
「市立須磨海浜水族園」
「ようこそ須磨へ・須磨水族館マンホール」は、JR須磨駅付近の若宮商店街に設置。下の四つのマンホールは、若宮小学校の子供たちが描いた水族館の絵です(*^^*)
須磨海浜公園・須磨海浜水族館路上タイル画
撮影日:2008年5月5日&2009年9月19日