会津若松市門田町一ノ堰村東にある「会津娘(あいづむすめ):髙橋庄作酒造店」。髙橋庄作酒造店が酒造りをはじめたのは明治はじめ、戊辰戦争後まもなくのことと言われています。
「その土地の人がその土地の米と水を使い、その土地の手法で仕込む『土産土法の酒造り』を目指す」をコンセプトに、酒蔵の目の前の自社田で農作業に勤しみ、寒くなれば白漆喰壁に赤瓦屋根の酒蔵で、自ら収穫した酒米をつかって酒を醸す。・・・と、ここ迄調べていて素通りできるようでは「酒好き」とは言えないと力説するご亭主殿。ハイハイ、後でね😅。
会津若松市材木町、薄黄色の漆喰で仕上げられたが外壁が特徴の「林家住宅」。昭和2年(1928)築の木造漆喰壁下見板張り、入母屋瓦葺二階建。大規模邸宅として、国登録有形文化財に、また市歴史的景観指定建造物にも指定されています。
瓦葺き屋根の下の庇は銅板葺きですが、外から垣間見るのはこれが限界。人様のお家は、文化財で有ろうと無かろうと、遠慮しながらが当たり前なのです。
会津若松市川原町、「関善吉薬局」は大正4年(1915)築の土蔵造2階建、瓦葺。旧下野街道に北面して建つ土蔵造二階建で、正面に下屋を付し、外壁は黒漆喰で出桁造の軒先まで塗込めています。下屋境に防火対策で漆喰塗の大型引戸を備えるなど、当時の商家の有様を示すものとして国登録有形文化財、市歴史的景観建造物の指定。
会津若松市西栄町、「日本基督教団若松栄町教会」は明治44年(1911)築。木造2階建、下見板張りで鉄板葺。
塔屋付のゴシック式教会堂で、会堂部の外郭はラテン十字を描いており、ヴォーリズ設計の福島教会を手本としたと伝えられています。45度振った玄関部に尖塔付きの角塔をたちあげ、礼拝堂内のタイバーを用いた架構も時代性をよく示しており、貴重であるとして国登録有形文化財に指定されました。
当寺、近くの「会陽院」に薬局生として、医学・英・仏語を学んでいた『野口清作』、後の『野口英世』は、明治28年(1895)に19歳で洗礼を受けており、敬虔な英世の精神を今に受け継ぐ教会は、野口英世青春通りのシンボルとして活用されています。
会津若松市東栄町、「会津若松市役所」は昭和12年(1937)築で、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造り3階建て。装飾柱にはアカンサスの葉飾りと渦巻き模様があり、古代ローマの建築様式の一つ「コリント式」を模したものと案内に書かれています。
アーチ形の正面玄関から中に入ると、まず上り階段にある大きなステンドグラスが目に入ります。
ステンドグラスの模様は「會」の字をデザインした市章がモチーフ。こうした例は全国的にも非常に珍しいと言われています。
「ステンドグラスの作者は記録が残っておらず、長らく不明だったが、県外の研究家からメールがあり、磐梯町出身の大田広喜の作品だと分かった。明治から昭和のステンドグラス創成期を支え、インテリアデザイナーとして活躍。新宿ほてい屋(現伊勢丹)の内装も手掛けたとも伝えられている。大田は本庁舎落成の翌年、歩兵第29連隊(若松連隊)に入隊し、日中戦争で戦死。これが遺作になったという。」福島民友新聞HPより
何処を切り取っても美しい内装。こんな市役所なら、用事が無くても毎日立ち寄ってしまいそうだわと話していたら、後ろを通りかかった人がクスッ😊と微笑んで会釈をして下さいました。
登録文化財にも、市歴史的景観指定建造物にも指定されていませんが、素晴らしい建物を見せて頂きました。
ここから会津藩縁の「御薬園」に向かいます。どんな景色、どんな心象風景に出会えるのか楽しみです。
訪問日:2015年6月30日