車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

飯盛山 会津白虎隊~其の二 in 福島県会津若松市

2024年10月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

「少年武士慰霊碑 白虎隊外戦死者」。「白虎隊士と同じ年齢で県内各地及び新潟・栃木・京都で戦い戦士した会津藩少年武士(14才~17才)六十二名の慰霊碑。」

「森新太郎・磐城大平口で戦死。16歳」「佐々木新六郎・越後赤谷で戦死。16歳」「藤森八太郎・越後津川で戦死。16歳。」「百瀬外次郎・越後石間口で戦死。17歳。」「椎野恒四郎・若松城で戦死。14歳。」・・・・

「遠藤嘉龍二・会津熊倉で傷、10月7日死。15歳。」「簗瀬武治・会津飯盛山で自刃。16歳。」「星 八弥・会津舟渡で戦死。16歳。」「若林八次郎・越後赤谷で戦死。16歳。」「安恵助三郎・会津小田垣で戦死。16歳。」・・・

「会津藩殉難烈婦の碑」。「この碑は、会津戊辰戦役で自刃 又は戦死した婦女子二百余名の霊を弔うため 昭和3年(1928)4月 旧藩士山川健次郎氏 (男爵、理学博士、帝大総長) 等の篤志家によって建てられた顕彰碑である。」現地案内

「飯盛山郡上八幡凌霜隊碑」。「17歳の『朝比奈茂吉』を隊長に45名からなる凌霜隊は、新政府軍との戦闘を繰り返しながら、会津西街道を北上。」

「道ハ一筋ナリ」「此の碑は戊辰の戦に、会津侯を盟主と頼み各地に転戦して若松城の籠城戦に参加し、白虎隊と共に奮戦死闘した美濃国郡上藩凌霜隊の事績を偲び、且つその霊を慰め永くこれを後世に伝えるため、郡上の石で郡民等の浄財によって建立したものである。」

「白虎隊受難士各霊塔」

「白虎隊殉難詩碑」。容保公の侍医:馬島瑞園作の白虎隊殉難詩「たたかひ今を限りとや思ひけん  十あまり五たりの男の子ども 飯盛山にて腹きりて死したりけるをうつし  画にせしを見て あはれさのあまりに」
紀州邸に幽閉されていた 容保公が、白虎隊自刃の絵を見て詠まれた詩【千代までと そだてし親のこころさへ 推しはかられて ぬるる袖かな 容保】

「鶴ヶ城址献納者 白虎隊士 遠藤 嘉竜二 墓碑参道」旧会津藩士:遠藤敬止の弟。

「ローマ市寄贈の碑」

白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市は、昭和3年、ローマ市民の名をもって碑を贈呈。碑の円柱は赤花崗で、ベスビアス火山の噴火で埋没したポンペイの廃墟から発掘した古代宮殿の柱である。基石表面にイタリー語で「文明の母たるローマは白虎隊勇士に遺列烈に、不朽の敬意を捧げんが為、古代ローマの権威を表すファシスタ党章の鉞(まさかり)を飾り永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」。裏面には「武士道の精神に捧ぐ ローマ元老院 及び市民より」と刻まれてあったが、第2次世界大戦後、”占領軍の命”により「」と共に削りとられた。

「フォン・エッツドルフ氏寄贈の碑」「昭和9年(1934)この地を訪れたドイツ大使館書記官エッツドルフが、白虎隊精神に感動して贈った碑。碑には、古来ドイツ国の「十字章」「会津の若き少年武士へ贈る 一ドイツ人」とドイツ語で刻まれ、翌10年に建てられた。この碑も”占領軍の命”により、文字を削られた後に撤去。昭和28年再亥のうえ復元されたものである。」二つの碑の顛末は「飯森フミ(三代目)」を参照してください

横面「嗚呼 忠烈白虎隊」。表面「白虎隊歌詞」。裏面「白虎隊詩」『小年団結白虎隊  国歩艱難戍堡塞(こくほかんなんほさい) 大軍突如風雨来(たいぐんとつじょふううきたり)  殺気惨憺白日晦(さっきさんたんはくじつくらし)・・・・・』

白虎隊記念館近くに建立された「白虎隊士の像」

場所は変わりますが会津若松駅前に建立された白虎隊士の像」

「酒井峰治と 愛犬クマ」の像。白虎隊の一人。1993年に酒井家の仏壇の中から峰治が明治時代に書き記した『戊辰戦争実歴談』を発見。敗走中に仲間とはぐれ自刃を覚悟した時、愛犬のクマと出会った事が書かれていました。「余の傍らを過ぐるあり よく顧みれば、愛犬クマなり。すなわち声をあげてその名を呼べば、とどまりて余の面を仰ぎみるや、疾駆して来たりて飛びつき、歓喜に堪えざるの状あり。余もまた帳然として涙なきにあたわず」生きる決意をした峰治は鶴ヶ城に入城、そうして昭和7年まで天寿を全うしました。

2000年に建立された「水戸藩諸生党鎮魂碑」「水戸藩諸生党、農兵隊の鎮魂碑建立の趣旨  戊辰戦争の明治元年(1868) 8月23日雨の朝、土佐藩兵を主力とする西軍が怒涛の如く鶴ヶ城追手紋に迫った時、北越戦線から会津に戻っていた諸生党などが駆けつけ危機を救った。その後城内の各門の防禦と城外各地で会津藩と共に奮戦し感謝された。時代の流れに逆らって信念を貫ぬき、消え去った人達に光をあてたい。 仰天会・栗栖平造 撰」

「報国誠忠天地鑒 勤皇丹心 聖君知」碑・・(文字に間違いがあるかもしれませんが・・・血を吐くような心の声が聞こえます)

「戸ノ口十六橋の石材」

明日は「飯盛山・宇賀神堂」「さざえ堂」の紹介です。

参拝日:2015年6月29日

 

コメント (4)
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