何しろ見所が一杯ありすぎて、ついついあれもこれもと欲張るから、時間が足りなくなって、後半はいつも駆け足。駆け足散策ですが、弁天崎公園には私の好きな句碑や歌碑があるのです。そして、それを全部探して、写真に収めておきたいのです😠
と言うことでまず最初は、歌人『佐々木信綱』が和倉を訪れた時、『大伴家持』を偲んだ歌。
【 宇た人の 国守巡り 見し日にも 山清らに 海しづかなりけむ 】
続いて東京出身の俳人『能村登四郎』、明治44年に生まれた彼が没したのは平成13年、かなりの長寿です。
【 春潮の 遠鳴る能登を 母郷とす 】
弁天崎公園内の句碑のラストは、俳人『高浜虚子』が、万葉の歌人『大伴家持』を偲んだ句。
【 家持の 妻恋船か 春の海 】
全部とか言いながらたったの四つ・・(^^;) 実は他の場所にも句碑・歌碑があるらしいのだけど、付近には興味を惹くあれこれがあって。たとえばこの湯呑場の背景一面の銀板。何やら時代がかった絵は、天文学者『パーシバル・ローエル』が訪れた明治22年の「能登の國・和倉温泉雲濤楼の図」。
次は「涌湧開発七士賛美の碑」。かたわらの碑には和倉の里歌。【 涌湧浦涌湧浦と 家なら七つ 嶋に湯が出にゃ 誰行こや 】(和倉・和倉と言うが、七軒しか家が無い貧しい村、お湯が出なかったら誰も行くものか)・・ やっかみにもとれる里歌ですが、逆に言えばそれほど大勢の人が押し寄せたと言う事ですよね。
温泉街の埠頭備築に多大な寄進をした、穴水町の回船問屋『七海屋兵右エ門』の頌徳碑。海中の温泉という立地条件であれば、船で来る人もきっと多かったのではないでしょうか。
え~~~と・・・お地蔵さん・・ですよね。変なおじさんじゃないですよね? お口周りの煤・・一体どこに顔を突っ込まれたんですか??
まだまだ見たい場所もたくさん有るのですが、あまり遅くなると今夜の車泊に差し支えます。 何しろこれから和倉の総湯で、ゆっくりと温泉を楽しまなければならないのですから😄
自分で作った温泉玉子を食べて、ゆったりと温泉につかって・・すっかり和倉温泉のと・り・こ!😄 ああ、大好きな義姉を連れてきてあげたい。
ラストは和倉温泉観光協会PRキャラクター『わくたまくん』。『わくたまくん』は和倉温泉を発見した白鷺が産んだ「たまご」。 持っているオレンジのバッグには、3つ子の温泉たまごが入っていていつも一緒に遊んでいます。
本当はもっと沢山いてどれもこれも可愛すぎて、でも流石に幾ら何でもという事で自重😓
訪問日:2015年5月20日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます