車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 島根県江津市

2018年04月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

江津市(ごうつし)は島根県西部の石見地方に位置し、北部の東西につづく海岸段丘と、南部の丘陵地帯からなる自治体です。中国地方最大の江の川の河口に位置し、古くは江の川河口の港として発展。江戸時代には北前船の寄港地として栄えました。日本国内で北緯35度線が通る最西端の市であり、また 東京都からの移動時間距離が全国で最も遠い市とされ、「東京から一番遠いまち」などとPRしています。「市の木:黒松」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「元気!勇気!感動!ごうつ ~江の川が育むイキイキ協働体~」「湯の町(温泉津)・川の町(江の川)・窯の町(石州瓦)」

明治22年(1889)、町村制の施行により那賀郡江津村・都野津村・都濃村・渡津村・川波村・二宮村・跡市村・浅利村・松川村・江東村・川平村・上府村・下府村・国分村・有福村が発足。

1914年、江津村が町制を施行、那賀郡江津町となる。上府村、下府村、国分村が合併して那賀郡国府村が発足。

1922年、都野津村が町制を施行、那賀郡都野津町となる。

1940年、江津町が都濃村、渡津村と合併、改めて那賀郡江津町が発足。

1951年、国府村が町制を施行、那賀郡国府町となる。 

1954年、江津町が都野津町、川波村、二宮村、跡市村、浅利村、松川村、川平村、江東村と合併、江津市が発足。

1955年、国府町が有福村と合併、改めて那賀郡国府町が発足。

1956年、江津市が、那賀郡国府町本明・上有福地区を編入。

2004年、江津市が邑智郡桜江町を編入、現在に至っています。

雨水マンホールには「柿本人麻呂と依羅娘子」、「星高山・新江川橋・江の川」「市の花:ツツジ」がデザインされています。(高丸線跨線橋の近くに設置)

「星高山・新江川橋・江の川・桜」それに「市の花:ツツジ」がデザインされています。(市役所の敷地内に設置)

雨水用プラ枡蓋

「新江川橋」と「江の川」

2004年10月1日制定の市章は「頭文字の「G」を基本にして、中央から外に向かって伸びる2枚の翼は石央の中核都市として飛躍する姿を表現するとともに、これを取り囲む円は江津市、桜江町両市町の「和」と「団結」をもって、より大きく、よりすばらしい希望に燃えて発展していく新市の姿を象徴しています。新しい江津市の基本理念である「元気」(赤)・「勇気」(緑)・「感動」(青)をイメージできる色で表現しています。」公式HPより

昭和29年10月8日制定の旧市章は「「江ツ」を鳥の形に図案化したものです。」

防火水槽・消火栓

制水弁

量水器

江津市のPRキャラクター『人麻呂くんとよさみ姫』。飛鳥時代の歌人である柿本人麻呂が、妻のよさみ姫と共に ごうつ万葉大使として現代にタイムスリップしてきました。 縁のある江津市のために、多くのイベントに登場して活躍しています。

撮影日:2011年5月15日&2019年4月16日

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古代装束の三人は、「道の駅:サンピコごうつ」マスコットキャラクター『海彦・山彦・川彦(サンピコ)』。三人のヘアースタイルがそれぞれの名前を表しています(*^^*)

江津市後地町、国道9号線沿いの「道の駅:サンピコごうつ」では、二度に渡って車中泊をさせて頂きました。手がるなお惣菜もあり、どれも美味しく頂く事ができ、偏食家の私にも大満足。車で旅をする者にとって、このような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

 


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