車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

小手姫(おてひめ)と峯能(みねのぶ)観音堂 in 福島県川俣町

2024年09月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

古くから福井、群馬と並ぶ絹織物の産地として知られ「絹の里」として栄えてきた川俣町。町の産業と伝統を紹介する施設として昭和63年(1998)に「おりもの展示館」が整備されました。

HPの引用から「今からおよそ1,300年前、崇峻天皇の妃・小手姫は政争に巻き込まれ、蘇我馬子に我が子を連れ去られてしまいます。嘆き悲しんだ姫は、我が子を捜し求めて全国行脚の旅に出て、やがて川俣に辿り着きます。小手姫は、川俣の風土が養蚕に適することを見抜き、養蚕と糸紡ぎ、機織りの技術を人々に教えました。」

これが「絹の里」川俣のルーツと伝えられ、鎌倉時代に編纂された「吾妻鏡」の文中には、「安達絹千疋(あだちぎぬちむら)」の一文が登場し、古くから貢物として重用されていた事が伺えます。さて、それでは噂の「小手姫像」に会うべく、川俣町寺久保にある「川俣町中央公園」へ。

公園を歩き進むと、眼下に「川俣中央公園:音楽堂」が見えてきました。毎年10月中旬の3日間、国内最大級のフォルクローレ音楽祭がここで開催されるそうです。

公園から一望する川俣のまちなみ。

音楽堂を横目に見ながらさらに上に進んでいくと、唐突に開けた場所に見上げる大きさの「小手姫像」がそびぇ・・もとへ💦、佇んでいます。像の高さは7m。作者は川俣町ゆかりの彫刻家『橋本堅太郎』氏。

文字だけだと伝わりにくい7m。御亭主殿に並んでいただきました😊

像の右には養蚕の様子を描いたレリーフ

左には機織りの様子。

ところで・・先の小手姫の伝説とは別に「天皇の寵愛が衰えたことを恨んだ小手子は、献上された猪を見て天皇が漏らした物騒な呟きを馬子に密告・・それがきっかけとなり崇峻天皇は馬子らにより暗殺。幸いにも蜂子皇子は厩戸皇子の計らいで京を逃れ、後に、山形県の出羽三山の開祖となったと伝えられていますが、事情を知らない小手子は蜂子皇子を捜し、父と娘:錦代皇女とともに東北に落ち延びました。しかし長い旅の途中に皇女を亡くした小手子は、故郷の大和の風情に似た川俣町に桑を植え、人々に養蚕の技術を伝えます。時が過ぎ、蜂子皇子に会えないことを悲嘆した小手子は、川俣町の大清水で自らの命を断ちます。」・・女の浅はかさが招いた結果と言ってしまうには哀しく切ない伝説。

「小手姫像」の近くにひっそりと祀られる「峯能(みねのぶ)観音堂」

小手姫と共に都から逃れた父『大伴糠手(おおとものぬかて)』は、危険から身を守る為に『秦峯能(はたのみねのぶ)』と名を変え、川俣町で暮らしたと云われます。朱塗りの観音堂には、峯能が宮中を出る時に持ち出したとされる如意輪観世音が安置されたと伝えられています。

境内にひっそりと祀られる「小手姫像」

御詠歌【 飯坂を 登れば峰の雲晴れて 誓ひも高き 松風乃こえ 】

参拝日:2015年6月23日


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2 コメント

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だんちょうさん (tibineko)
2024-09-07 11:13:31
おはようございます
ここ数日、やっと早い時間であれば
棚にお米が見られるようになりました

いつまで続くかわからない状態だったため
何軒か探し回って疲れ果てていましたが
騒動直前に普通に買いおいていたお米と
代替えの麺類等で、何とか無事に米騒動から脱しそうです
お値段の高いのは・・これはまぁ仕方ないですね
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Unknown (necydalis_major)
2024-09-07 09:18:04
だんちょう

おはようございます。
今朝は朝から米を買うために石狩のとれのささとへ来て並んでいます。
3キロの玄米1100円。
30袋入荷だそうで、一家族一袋です。

そちらはコメ足りてますか??
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