マンホール撮影の途中にふらっと立ち寄った二つの寺社。本当に通りすがりに手を合わせた程度なので、きちんと画像も残していません。でもそのままボツにするのが惜しまれ、あえての紹介です。
岡山市北区御津金川に鎮座される「七曲神社」。御祭神は不明。「もと佐波山の麓に御鎮座であったのを、慶長八年日置忠俊が金川を領有するとともに、城山の東五丁ほどの山麓に奉遷したという。寛永九年池田光政が備前に国替えとなって、小神富久を新に神事を執行わせた。寛文九年に現在地に奉遷した。延宝二年卜部兼方が神籬・正印霊を御筥におさめて遷宮した。延宝三年日置忠明が新社殿を造営した。その後度々修築したが、現在の社殿は昭和十三年に竣工したものである。」岡山神社庁HPより
鳥居の内より神域を守護されるのは刈り上げ頭がとてもユニークな狛犬さん一対。材質の硬さを思うとこの細かい彫刻は賞賛に値します。
大きく裂けた口でにんまりと笑う阿形さん・・・誰かに似ていると思ったら・・御津彦様!😲! 毎年10月の例祭には獅子舞が奉納されるそうですが、案外こちらの獅子・狛犬がモデルなのかもしれませんね。
鳥居のずっと奥、茶色い山肌をさらした臥龍山の中腹に鎮座される御本殿には明治3年に建立された備前宮獅子さんもいたそうですが、あの山肌を見た時点であっさり挫折。唯一の心残りは、忠魂碑に並んで建立されていた『滝善三郎・義烈碑』を見逃した事。
金川地区はかって備前池田氏の家老:日置氏の陣屋町として栄えて来ました。慶応4年に起きた神戸事件において、その責めを一身に負って切腹した日置氏の家臣『瀧善三郎』。事件の詳細は「滝善三郎・慶応4年・神戸事件・切腹」で検索すると、詳しく述べられています。その碑の前に立てなかった事が悔やまれます。
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七曲神社と並ぶ地に境内を構える「日蓮宗不受不施派本山:龍華山・妙覚寺」。これも御縁と思い参拝させて頂きました🙏🙏。
建長四年(1252)12月の銘が刻まれた、岡山県指定有形文化財の梵鐘。傍らの案内に寄れば、「銘によれば はじめ御堂関白藤原道長の建立になる京都法勝寺の末寺備前金剛寺の鐘になり。天正十年高松城水攻めに使用され、その後長く土中に埋まる。後明治三十八年妙覚寺の有となり県下三鐘の一に数えらる」
珍しい寺紋の鬼瓦、天狗の羽団扇に似ているとも思ったのですが、葉の数が七枚なのでそれとは違いますね。下の説明をもっとよく見ておけば良かったのですが・・
そういえば、帰路に通った宇甘川に架かる三谷橋には、親柱に天狗の絵のレリーフがありました。御津金川地区にはそういった伝説があるのでしょうか?
その橋から見える山の中腹に、まるでモニュメントのように聳える土柱を見ました。もしかしたら岩柱なのかもしれませんが・・
ズームで・・コレが何なのか今も気になっているのに、さっぱり正体が分からない😩
参拝日:2013年3月20日
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