千葉市稲荷町に鎮座される「稲荷神社」。御祭神は『豊宇気比売命、久久能知命(くくのちのみこと)』
由緒に【往昔、『日本武尊』が東夷征伐のため上総国へ赴く際、当地に「御駒(馬)」を放ち、この「地主神」に夷賊退治の無事達成を祈り誓いを立てた事から、此の地は「駒ヶ原」と呼ばれ、『豊宇受大神』を祀り「駒原神社」とした。その後、大治元年(1126)千葉常重が猪鼻に館を構えて以来、千葉氏の守護神として「御達報 稲荷」と称した。】
拝殿の懸魚には白雲の中を飛ぶ鶴、逆巻く波間から顔を覗かせる向背の龍の彫刻も見事。
拝殿前左右より神域を守護される神狐さん。阿形さんは自由に遊びたいと駄々をこねる小狐を押さえ、吽形さんは作法どおりに「宝珠」に手を置き、まじめくさった顔で、その様子を見ています。
拝殿の屋根の上から感じる視線に思わず見上げると、何とそこにも可愛らしい狐さんが・・!! きっと、さっき阿形さんが抱いていた子狐は、あそこまで行きたくて、駄々をこねていたのかもしれませんね。
境内の一画の一段高く築かれた場所に「忠霊碑」と「八紘一宇」の碑。「八紘一宇」とは、日本書紀の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を現したもの。きちんと出典を学びもせず、愚かな自虐史観のみで「悪しき言葉」と言い募る愚者には、億万分の一も理解できない美しい言葉です。
もう一つの碑は、『花沢紋十』が製造を創めたと記録に伝えられる「甘藷澱粉製造発祥之地記念碑」。『青木昆陽』が幕府の命によって下総国馬加村(千葉市幕張町)に甘藷を試作したのが享保二十年(1735)。 それから百年の後、この地において「甘藷澱粉」の製造が創められた旨が詳しく記されています。
参拝日:2014年5月21日
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