「岩国領主・吉川(きっかわ)氏の居館は江戸時代初めの慶長8年(1603)ごろ、横山の山麓に完成しました。居館は当初「御土居(おどい)と呼ばれ、元禄11年(1698)に「御館(おたて)」、明治元年(1868)には吉川氏が悲願だった岩国藩主として認められたことから「御城(おしろ)」と改称されました。」山口おもしろ学より
明治13年(1880)、旧岩国藩主吉川家の居館跡に建てられた旧制岩国中学校。後に山口県立岩国高等学校となり、昭和43年(1968)、跡地に「山口県立岩国中学校跡地・山口県立岩国高等学校跡地の碑」が残されました。
高校の移転に伴い、跡地一帯は「吉香 (きっこう) 公園」として整備。「吉香神社」や「武家屋敷跡」「白蛇観覧所」など、多くの歴史的遺産を有し、市民や観光客に人気のスポットとなっています。
石積基壇上に建つ、寄棟造・桟瓦葺の「旧吉川邸厩(うまや)門」。吉川経健が建設した邸宅の長屋門で、桁行30mと長大で、近代の大邸宅の様子を今に伝えているとして、2004年7月に国登録有形文化財に指定されました。
岩国藩五家老の一つ「香川家長屋門」。香川氏の表門で岩国市の建造物としては最も古いものの一つであり、当時の武家屋敷の構えをよく残している事から、昭和41年 (1966) に山口県の有形文化財に指定されました。
元禄6年(1693)に『香川正恒(まさつね)』が建立。長屋門の設計・建設は、大工の『大屋嘉左衛門(おおやかざえもん)』が行ったと云われています。嘉左衛門は、18歳で錦帯橋架橋事業に参加しており、元禄時代の大橋(錦帯橋)の架け替えでは棟梁を務めた人物です。
長屋門の外観は、道路からいつでも自由に見ることができますが、内側の見学は、門が開いている時にのみ可能。ただし内側は、現在も個人の住宅であり、庭などに立ち入ることはできません。😊
続いて、江戸時代中期に建てられた中流武家屋敷「旧目加田家住宅」。
目加田家は、天正年間に『吉川元春』に召し抱えられ、その後、吉川家が岩国に移封された際に藩主広家に従い、この地に居を構えた家系。特徴ある両袖瓦 (りょうそでがわら) と平瓦を使用した二平葺き (にひらぶき) は岩国城下町に見られた地方色です。
錦川が氾濫し横山地区が冠水することを想定してか、武家屋敷としては珍しく二階が造られていますが、表通り側(玄関側)には二階窓がなく、上位身分の武士も通る路を上から見下ろすことがないように配慮されているなどの特徴もあります。
入母屋造りの建物は、簡素ながら端正な構造で、250年を経た現在も当時の武家屋敷形式をよく伝えており、数少い本格的な武家住宅の一つとして、昭和49年 (1974) に国の重要文化財に指定されています。
旧岩国藩主吉川家に伝来した歴史資料や美術工芸品が収蔵されている「吉川史料館」。
正門として使用されている「昌明館 (しょうめいかん) 付属屋長屋門」は 寛政5年(1793) に「七代領主:吉川経倫(つねとも)」の隠居所として建造。江戸時代に一部改造されてはいるものの、当時の姿をよく留めており、1995年には岩国市の有形文化財に指定されています。
長屋門内から見る、お庭の景色
「木菟の手水鉢」のモニュメント-「岩国初代藩主:吉川広家の墓の傍らに木菟の手水鉢があります。これは広島藩国家老「上田宗箇(そうこ)」より寛永二年に贈られたものであり、吉川広家公が枝垂桜を贈った返礼として届けられたものと伝承。~略」
長屋門沿いの一画に建立されていた「立志の碑」。子どもたちへの訓戒と題し、「一、規律ある習慣を作れ。二、誠実にして真摯なれ。三、秘密を有すること勿れ。四、約束を守れ。五、他人に親切なれ。」岩国藩主:吉川経幹公の第三子・吉川重吉公の言葉が刻まれています。
🌸🍀吉香公園~見て歩き、しつこく明日に続きます👍
訪問日:2013年4月20日&2015年11月19日&2017年11月27日
こんにちは!
毎日暑くて汗ダラダラ(笑)
嫌になりますね。
かといって冬は寒くてこれまた嫌ですね。
素敵なところですね、北海道の松前城みたいです。
花の手入れをしていると
もう全身ににジワ~~~~~と汗が
でシャワーをして着替えて
後はクーラーの効いた部屋へ避難
なんてそんなにうまくはいきませんね^^;