車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

飛騨一宮:水無(みなし)神社 in 岐阜県高山市一之宮町

2020年04月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山市一之宮町一の宮上に鎮座される「飛騨一宮水無(みなし)神社」。御祭神は「位山」を神体山とする『水無大神(御歳大神ほか14柱の総称)』。水無は「みなし(水成)」または、「みずなし」とも言われ、「すいむ」と音読することもあり、これには「水主」という意味があります。

「神代の昔より表裏日本の分水嶺位山に鎮座せられ、神通川、飛騨川の水主、また水分の神と崇め農耕、殖産祖神、交通の守護(道祖神)として神威高く延喜式飛騨八社の首座たり。歴代朝廷の崇敬厚く、御即位、改元等の都度霊山位山の一位材を以って御用の笏を献上する。明治維新、国幣小社に列し、旧来より飛騨一宮として国中の総社(総座)なり。飛騨はもとより美濃、越中、木曽に及んで分社、縁社二十余社を有する。」由緒より

拝殿左右より神域を守護されるのは、昭和28年(1953)9月建立の神狼さん一対。神門より外からの撮影なのでこれが精一杯ですが、全体的にとても精悍でスマートな印象。

丁度この時間に「車祓(くるまばらい)」の予定が入っていたらしく、神門の前には新車の生コン車が二台、神妙な赴きで並んでいます。

ご神事の邪魔をしてはならないので神門の写真は諦め、格子戸の隙間から木彫の神狼像を激写。江戸中期頃の建立と伝えられる一対の狼、そのカミソリを思わせるシャープな線は、今にも低く唸り声を発しそうで、見るものを圧倒させます。実は拝殿横の神狼さんは、この木像がモデルなんだそうです

市指定文化財の絵馬殿、棟札によれば、慶長12年(1607)に高山城主『金森長近』により、拝殿として造営。

絵馬殿には実に沢山の絵馬が奉納されており、欲を言えば全部紹介したいのですが際限ないので、ほんの触りだけ😓

境内の一画に鎮座される「末社:白川神社」、御母衣ダムの湖底に沈む予定であった長瀬・橋島地区の白山神社が合祀されたもので、場所を隔てても尚、かっての神域を見守っておられるようです。

神馬舎に安置されている「黒駒」は、『左甚五郎作』と伝えられる「稲喰神馬(いなはみしんめ)」。「白駒」は飛騨の工匠『武田万匠作』と云われる「祈晴の神馬」。特に白駒は「あ~あ・・😩」という写りですが、雰囲気だけでも伝わればと、あえて掲載😠

左・切り株状の檜は、絵馬殿の横に保存されている「御神木:拗(ねじ)の木」、文字通り左巻きにねじれています。右の「神杉」は、鳥居横に立つ樹高45m、枝張り幅20m、目通り6.45m、樹齢およそ800年の老杉で、県指定天然記念物。

境内の一角に『島崎正樹宮司』歌碑、あの著名な作家『島崎藤村』の実父です。

【 きのうけふ  しぐれの雨ともみぢ葉と  あらそひふれる 山もとの里 】

最後は、参道の一角に建立されていた「大原騒動大集会の石碑」。飛騨一円をまき込み、日本近代史に残る一大農民一揆となった「大原騒動」。この一揆によって水無神社の神主四名が、磔(はりつけ)の刑に処せられました。どの時代にも、どこの地にも、己をすてて民が生きる為に戦った人々がいました。その御霊・・安らかなれと、願わずにはいられません🙏🙏。

参拝日:2012年5月17日


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