「この顔に ピンときたら コメントへ!!」 と二日前のブログに書きましたが、実はその日の内に「この顔」に遭遇しています。 阿礼神社や三島山神社の超ユニークな狛犬さんに比べると、洗練されてきたのか手慣れて来たのか、より狛犬らしくなっていますが、阿吽の後姿(尾)が、絶対に『赤羽要人さん』の狛犬だと主張している!(と・・思う)
いきなりの書き出しですがいつも通りに手順を踏んで・・・塩尻市北小野に鎮座される「信濃の国二ノ宮:小野神社」。御祭神は『建御名方命』。
由緒「神代、建御名方命が諏訪へ移る際しばらくこの地に留まられた。崇仁天皇の時その旧跡に祭神を勧進奉斎する。のちに日本武尊が東征から凱旋の折に駐留した霊跡と伝わる。大同年間(806~810)、坂上田村麻呂は中房山掃討のさいに戦勝祈願し、のちに社殿修営および剣を奉納。木曽義仲は越中に兵を進めるさいに牛炬火を奉納して加護を祈ったとされる。矢彦神社とともに、信濃国二宮として尊崇されてきた。永禄七年(1564)に武田勝頼が梵鐘を奉納。慶長十九年(1695)には松本城主・小笠原秀政が社殿を修復。寛文十二年(1672)四月、本殿2棟ならびに八幡宮本殿・勅使殿が類焼されるも、同年九月、松本藩主・水野忠直によって再建される。」
祭礼の為、境内の写真をきちんと残せなかった事が残念でならず、6年後の春にやっと再訪が叶い、改めて画像に残した小野神社の拝殿・片拝殿。
拝殿の奥に御垣に囲まれた社殿。画像中央、杉の木の右手に見えるのが御門屋造りの「勅使殿」。真後ろに一間社流造の本殿・左に八幡宮本殿。左に副本殿が並んで鎮座され、いずれも県宝の指定を受けています。また本殿・副本殿とあるのは、御柱の年に御遷替される為です。
拝殿前左右より神域を守護されるのは大正7年8月建立の『(絶対に!)赤羽要人』による狛犬さん一対。
感動したので別の角度から、どうですか、この最高のカップル感😍
阿形さんの尾は鬼の角タイプ。吽形さんの尾はホイップクリームタイプという特徴的な後姿も!!大サービス😍
杉の巨木に守られるように建つのは、切妻造り妻入りの神楽殿
小野神社:一の御柱と二の御柱。三・四の御柱もあるのですが探しきれていません。御柱となる木は樹齢150年前後、直径は約1m、重さ約10t前後の「赤松」が選ばれます。七年に一度の大祭・・・その熱気を想像するだけで身が震えます。
いつもはひっそりと鎮座される境内社群も、2010年参拝のこの日は年に一度の祭礼とあって御神灯が下げられています。
『武田勝頼』寄進の梵鐘がおさめられていた鐘楼
ちょっと笑ってしまった謂れを持つ市文化財指定の「梵鐘」。要約すると「永禄7年(1564)、武田勝頼が戦勝祈願のため小野神社へ寄進。江戸時代以前の鐘としては、極めて勝れており、特に竜頭は特殊な型をしている。 ところが、いつの頃からか村人が雨乞いの為、上の山から霧訪山へ引き上げて鐘を打ちならし、帰りは山頂から転がし落としたので、鐘の一部は破損し、鐘銘も磨滅・・以下略」
境内北東端にある「小野神社の庭園」は、大正中期に庭師:萩原苔山によって作庭されたもので下段の池・中段の池・上段の池からなる池泉回遊式庭園。
社叢の深い緑を映しこんだ水の色は、揺らぎ一つ見せず静かで・・それはこの上なく神秘的でもあり、未知なる世界への入り口にも見えて身がすくみます。
同じ池の画像なのに、秋の日暮れ前と春の昼下がりでは、木々や水の色さえこんなにも違って見えます。
2016年の訪問の際に見つけた句碑には1996年に開催された「全国短歌フォーラム in 塩尻」での撰者3人の歌が刻まれています。
【ひらひらと 峠越えしは鳥なりしや 若さなりしや 聲うすみどり】
【日くれ径 幼きものら摘みためし ほたるふくろに 灯の点りこよ 】
【さみどりの 朴の新芽のひらく庭 夢のごとくに 母われを呼ぶ 】
小野神社の紹介、長くなるので続きは明日のブログで
参拝日:2010年10月3日&2016年4月26日
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