大神神社を後にして向かったのは「若宮獣燈」が指し示す先。
桜井市三輪に鎮座される「大神神社」の境外摂社で「大直禰子(おおたたねこ)神社」。御祭神は三輪の大神様の神孫『大直禰子命(おおたたねこのみこと)』。祭神の母君である『活玉依媛(いくたまよりひめ)』と、大和の国づくりを手伝ったとされる『少彦名命』が配祀されます。
由緒「御祭神大直禰子命は、御本社大物主大神の御神孫で、第十代崇神天皇の御代に神託によって茅渟県陶邑(堺)より大神神社の初代神主として召されました。大神氏の始祖であります。この神社は、奈良時代には大神寺、鎌倉時代には大御輪寺として、本地仏十一面観音(現在国宝・聖林寺安置)と併祀されていましたが、明治の神仏分離以後は大直禰子神社として祀られます」境内案内より
若宮社の拝殿は大御輪寺の本堂だった建物で、奈良時代の大神寺創建当初の部材も残っており、重要文化財の指定。
鳥居の内より神域を守護されるのは、明治43年建立の浪花系の狛犬さん一対。お腹まで届く巻き毛のたてがみが、この上なくお洒落。
境内に設けられた「御饌(みけ)石」。駒札には「この御石はお正月のご神火祭りの時に、久延彦神社に神饌をお供えする石です。知恵の神様 久延彦神社にお参りできない方はここから遥拝して下さい。」
大神神社のご祭神と活玉依媛との神婚譚に由来する「おだまき杉(緒環杉)」。「活玉依姫の元に、夜な夜な大そう麗しい若者が通ってきた。姫はほどなく身ごもった為、両親は若者の素性を姫に訊ねたが、姫も分からぬまま。そこで両親は、床のまわりに赤土をまき、苧環と呼ばれる糸巻きの糸を針に通して若者の着物の裾に刺すよう教えた。翌朝、糸を辿っていくと、糸は戸の鍵穴を通って、三輪山まで続きこの杉のところで終わっていた。」奈良の昔話より
鳥居の向こうに見える大神の社前町
青い空いっぱいに広がる真っ白なうろこ雲は、秋の気配を伝えてどこまでも広がっています。
〆鳥居の先は狭井神社への参道で「くすり道」と呼ばれており、薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられています。時間的な制約で、鳥居前からの参拝だけで失礼させて頂きました。
三輪山の麓に鎮座される「久延彦神社」。御祭神である『久延毘古命』は、世の中の事をことごとく知っている智恵の神と古事記の中に記されています。
久延彦神社から見る大和三山。山並みの向こう、輝きを失いつつあるお日様に急かされて三輪の地を後にしました。
参拝日:2006年10月9日
さしずめ「おおたたねこ神社」なら「大きなお母さまの猫の神社」(〃∇〃)
三輪山が古の昔より人々に崇拝されてきたという事実
それは例えば、日本人の感性の中に、美しく天に聳えるもの、すなわち天界に通じる場所というイメージがあったのではと思うのです。
その最たるものが「富士山」で、古代より富士山そのものが御神体として仰がれてきました。
何処よりも天に近く、他の何よりも秀麗で、けれど容易に手の届かない、
遥かに仰ぎ見る神が座すに相応しい姿。
奈良盆地をめぐる青垣山の中で、ひときわ美しい姿を見せる「三輪山」
その美しい姿に、人は神の姿を重ねて来たのではと思うのです。
やまと言葉・・日本人のかな文化は世界に誇れる文化だと思います。
お習字で書く「いろは文字」の美しさ。
惚れ惚れします(*^^*)
私の場合は歴史や事実を紹介する文章なので、どうしても漢字を多く用います。
文字から意味を知る・・これが可能であるのも日本人ならではの感性ですね。
特に、日本独自の漢字は、やまと言葉と同じく、別な意味で美しくゆかしく感じられます。
まかろんさんとお話していると、つい何でも耳を傾けてくれる気がして、おしゃべりになります🌸
こう見えても、よほど親しい人以外には「いちおう!」寡黙なんですよ(笑)
明日は週一の主人のリハビリ、頑張って一緒に学んできますね。
どう見ても猫の神社に思えてしまいますね。
神社の方にそんなつもりはなかったでしょうが😅
>大神神社の初代神主として召されました。
初代がこうしてばっちり分かっているって、すごいですね!
それにしても、今さらですが、
三輪山がどうしてそんなに崇敬されたのでしょう・・。
有名なので、考えたことなかったですが、
改めて不思議に思います。
狭井神社、良いですねぇ。
すっごく何気なく鎮座されてる。
そして
>世の中の事をことごとく知っている智恵の神
tibinekoさんはこの神さまのご加護でも
いただいたのでは?😊
昨日のコメントへの返信と、
写真展記事へのコメント、ありがとうございます。
tibinekoさんの言葉は本当に美しく・・。
写真展記事へのコメントは、
tibinekoさんの心の琴線に届いた、と嬉しかったです🙏
(サイトに返信出しました😊)
tibinekoさんはお寺よりは神社寄りなのですね!
私もです!!
お寺も仏さまも、大好きですよ?
仏さまは仏さまで、神社にない安らぎと穏やかさがあります。
お線香の匂いも好きだし・・。
でも、どちらかと言われれば、
私も日本の神さまの方が性に合うと感じます。
(これはほんとに人によりけりの話だと思います)
別に日本人なら、という話では全くない、
と強調はしておきたいですが、
でもこれだけ日本に同化して永くても、
どこか、仏さまは・・
やっぱり外国由来だな、と感じるところがあります。
私ごとですが、
私は物語(や詩)を書くときには、熟語をできるだけ使わないようにしています。
漢字も、使わないで分かるなら、使いません。
日本人の無意識領域にまで、届く言葉は・・
やまと言葉だと感じるからです。
どれだけ簡単な熟語でも、
ほんとうに無意識領域に語りかけるには、
どこか引っかかりを感じるのです。
借り物、作り物、という感じで。
その感覚を・・仏さまやお寺に感じます。
話が長くなりましたが、
お話を重ねるたびに、tibinekoさんの心映えの
ゆかしさ、かぐわしさ、一方で
武家の子女のごとき毅然とした激しさや気骨が
美しいと思うばかりです。
どうぞ今宵はなごやかな夜をお過ごしくださいね🌸
被害は洗面台が引き受けてくれました(笑)
もうね、三輪と聞くたびに「酒蔵商法」が頭から離れなくなりましたよ。
先日、この話を友人にしたら非常に感心していました。
神社さんのお商売って「お札」だけじゃなかったんだ!と(^^;)
今日の「そして酒蔵商法で復活」、絶対に喜びそう。
大直禰子命、古事記では意富多多泥古命は大物主大神直系子孫で、第10代崇神天皇と同期の人
崇神天皇は三輪山至近に都を移し三輪山の神を祀り祭政一致政治を行ったとされることから、大神氏は創成期のヤマト政権において祭祀を司る中枢的存在だったんでしょうね。
その後蘇我氏による仏教の導入もありその地位は低下しますが、とりあえず奈良時代までは文献にも登場しますが・・・
昨日の投稿で大神大社も江戸期に再興されるまで寂れていたとあったので、三輪氏も平安以降は市井に埋没してしまったんでしょうねえ…
そして酒蔵商法で復活!