香登大内集落に鎮座される「大内神社」の傍に、市指定文化財の「香登一里塚」があります。かっては街道の南北に一対であったものですが、南塚は跡形も無く、今は石積みの北塚だけが残されています。
大内神社~境内社:稲荷神社は、神門をくぐった先の向かって左手に鎮座されています。
境内社ゆえか、岡山神社庁のHPにも詳細は無く、由緒とうの詳細は一切ありません。が、御祭神は『宇迦之御魂(うかのみたまの)大神』と言うことで間違いないと思われます。
稲荷と言えば「宝珠」が普通と思っていたのですが、こちらの屋根には「笹紋」が使われています。もしかしたら社を建立された方の家紋か何かでしょうか?
唐破風の拝殿、向背彫刻は荒れ狂う波間から身を乗り出す玄武。
本殿の左右より神域を守護されるのは備前神狐一対。阿形さんは明治19年(1886)に伊部村の『森寛行』氏、吽形さんは年代不詳ですが『木村龍平』氏によって建立。
本殿西後ろに鎮座されていた阿形のみの神狐さん。明治5年(1872)『児嶋貞作義徳』氏によって建立されました。
他にも小さな神狐さんが岩の隙間に肩を寄せ合うように置かれていましたが、その大半は体に欠損があり、何とも痛ましく思えます。
境内の左手に並ぶように建立されているのは「征露凱旋記念碑」と、自然石「天下泰平」と刻まれた碑。この地から出征された方々の命の証しが残されています。
参拝を終え、漆喰壁と本瓦で作られた参道をさらに上に登っていくと、市街が見渡せる場所に出ます。
眼下には元禄16年(1703)建立の大内神社の本殿があり、右手には稲荷神社の拝殿の屋根も見えます。見渡す先に見えるのは、山陽新幹線と香登の市街。おだやかな五月の風が心地よく頬を掠めてゆきます。
参拝日:2010年5月7日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます