旧鳳至郡能都町(のとまち)は石川県能登半島の中北部、奥能登に位置した町です。地名は、能登の都へという願望に由来してつけられました。 26kmに及ぶ海岸線には良港が多く、多数の漁船が富山湾を中心に活動しています。「町の木:赤松」「町の花:のときりしま」「町の鳥:シラサギ」「町の魚:ブリ」を制定。
町内に在る「真脇(まわき)遺跡:縄文館」の脇には「日本漁業発祥の地」と刻まれた碑があります。
明治22年(1889)、町村制の施行により、鳳至郡宇出津町・三波村・神野村・鵜川村・山田村、珠洲郡小木村が発足。
1908年、鵜川村と山田村が合併、新たに鳳至郡鵜川村となる。
1921年、小木村が町制を施行、珠洲郡小木町となる。
1939年、鵜川村が町制を施行、鳳至郡鵜川町となる。
1955年、鳳至郡宇出津町、三波村、神野村の一部、珠洲郡小木町が合併、鳳至郡能都町が発足。
1956年、鳳至郡鵜川町を編入。
2005年、鳳至郡柳田村・珠洲郡内浦町と合併し、鳳珠郡能登町となりました。
マンホールには町章を中心に、「町の木:赤松」と、「町の魚:ブリ」がデザインされています。
昭和50年6月1日制定の町章は「町の基幹産業たる漁業の魚と、水稲の発芽をもって農業をあらわし、能都町の「のと」と併せて和を図案化して平和の町を表徴したもの」合併協議会資料より
プラ汚水桝
「能都町」の自治体名がある消火栓。漢字の変換がわかる蓋もやがて消えるのかもしれません。
冒頭で紹介した真脇遺跡は、縄文時代前期から晩期にいたる集落跡の遺跡。そこから発掘される史料は非常に豊富で「考古学の教科書」などとも呼ばれています。またその遺跡からは夥しいイルカの骨が出土し、古代においてイルカ漁が行われていた事を示唆しており、「日本漁業発祥の地」と称しています。ちなみにこの巨大な顔は真脇遺跡公園にあったモニュメントで、特に意味は有りません(笑)
撮影日:2011年10月17日&2015年5月22日
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