山口市吉敷赤田、湯田温泉駅の北西4Kmの吉敷川沿いに鎮座される「赤田(あかだ)神社」。御祭神は『大己貴命(おおむなちのみこと)・猿田彦大神(さだひこのおおかみ)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・柿本人麻呂大神』。
由緒「成務天皇9年9月9日(139)、島根県の出雲大社より「大己貴命」の御分霊をお迎えし、良城大神宮としてお祀りしたのが始まりといわれる。養老元年(717)に現在地に還座し、地名から赤田神社と呼ばれた。周防五社の一つに数えられ、4番目に当たる事から「四の宮さま」と称される。現在の社殿は、江戸時代中期から後期の建立といわれ、本殿は三間社流造りで、意匠をこらした妻飾りが施されている。」公式HPより。
拝殿後方にわずかに見える御本殿。
拝殿の石段上・左右より神域を守護されるのは、文化年間(1804~1818)建立の何とも陽気な顔立ちの狛犬さん一対。東大寺別当:清水公照氏の作品にこんなお顔の造詣があったと思うのですが・・・まさかこの狛犬さんがモデルとか??
拝殿:正面
拝殿の天井には吉敷出身『内藤鳳岳』作「八方睨みの龍」
イナバウアーも真っ青の、のけぞり姿勢で写した龍、腰が折れるかと思った・・・😓
拝殿向拝の彫刻額は同じく吉敷出身の『吉田岩亀翁』の奉納。
本殿向かって右横に鎮座される「境内社:恵美須神社」、御祭神は「事代主命・蛭子命・市杵島姫命」。合祀「瀧神社・佐畑神社・天御中主神社・須賀神社」
由緒「摂津国の西宮神社より勧請。吉敷郡木崎に鎮座していたが、約130年前に赤田神社境内に移築。この時、近くにあった四社も共に遷され、恵比須神社に合祀。」
本殿手前右側に、吉敷川の禊場。御祭神である『大己貴命』はここから見える絶壁がお気に召し、この地に鎮座したいとご神託をされ、赤田の地に還坐されたと云い伝えられています。
駐車場の都合で一の鳥居・二の鳥居・神橋も画像に残せないままの参拝となりました。鳥居の代りにはなりませんが、境内に建立されていた謎の石碑を。注連縄が掛けられている所を見ると、神社縁の物である事は確かなようです。
吉敷佐畑、帰り道に見かけて立ち寄った道路広場に「刀匠二王之碑」。
「刀匠二王氏と大内文化」と題した案内には「刀匠二王氏は鎌倉時代、大和国から移住、子孫は防長の地で刀鍛冶として活躍した。吉敷地区にも永享年間に二王守綱という刀匠がいた。二王作の刀は実戦的なものでなく、装飾的な美術品の要素が高く、輸出用の刀として大内文化を支えたetc.・・」
さらに同じ場所には有形文化財指定のホタル塚・『吉井勇』の歌碑
【 うつくしき 蛍の群れのかがやきを このうつし世のひかりともかな 】
参拝日:20012年11月18日
こんばんは。
立派な竜の彫り物ですね。
天井にあるのなら
確かにイナバウワーですね!
腰お大事にしてくださいねー😆😆
真面目な話、寝転んで写したいと思いましたとも!
島根県の某神社の拝殿の天井に
「素晴らしい強大な龍の彫刻」があるのですが
そこではござを貸してくれるのです。
寝転んで写せるようにって・・・
まさか、サルとヒトをお遊びで追加したなんてことはないでしょうね。笑
「人麻呂」「火止まる」から火防とされた様ですが・・いつ、どういった繋がりでとなると・・不明のままです。
境内社でなく本殿に共にですから、きっと、当初にはそれ相応の理由があったんでしょうね。
私の乏しい知識では、日本はかって大和朝廷と出雲王国の二つの勢力が対立していたそうです。
恵比寿・大黒様を祀る神社は出雲王朝系だそうですから、赤田神社もその流れかもしれませんね。身転んで龍の写真というやり方が、出雲大社似ています。
日本の歴史には、深いものがあります。
実はわたし、大国主命を大黒様と同一視することに断固反対しているのです😅
だって同一視の理由が
「大国」が「だいこく」と読めるからと言う理由なんですよ。
で、事あるごとに「違う」と熱弁。
神様相手に料簡狭いです(笑)