わたしは冷え性でオトナになってもしもやけができる。
以前毛糸で編んである靴下をいただいて、初めて履いたとき
そのあったかさに感激し、それ以降冬は毛糸の靴下を愛用している。
しかし毎日履きたいところなんだけれど手編みの靴下は高価で、
また穴が開きやすい。
こんなふうに。
もうちょっと履くと、毛糸が切れてくる。
そうなる前になんとかしなくては。
最初は刺繍糸で格子状に補強していたんだけれど
面積がでかくなるとこうはいかない。
細めの毛糸に切り替えて、もう網戸を縫うようにザクザクザク!
早い早い。刺繍糸の倍くらい早い。しかし見てくれが悪い。
ふと見ると「赤カブ」な色合い。
かなり厚くなっている。
これで洗濯すれば、縮んでさらに強くなるはず。
はき心地も意外とよく。
さて次はそろそろ禁断の「靴下編み」に挑戦しようか・・・。
(いったい何度このセリフを言っているのか)
布団で寝ていたころ(笑)は陶器湯たんぽ入れてました。
今は布団で寝ていないから。
重ね履きしていてめっちゃ破れます。
よくヌイヌイとります。
年末最近は新調したから少し解放されました。
近いうちにお二人にお会いしたいです 農閑期中に
太ったネコと大きいネコに挟まれて寝ていますが
汗をかくくらいで。
そのぶん重いんですが。。。
top down、 toe up
などのやり方はこのためにあるのかと思って
おりました。
いずれにせよ靴の中に隠れてしまうので気にならない
のです。
糸はこの際、色、太さなどは手持ちの中から
適当に選んで色々の様子になればなるほど
自分が歩いた山、道などのことが誇らしげに
思い出してよ!と主張しているかのようです。
個人的には暖かい靴下も結構ですが、
就寝前にワインを一杯というのも
とても良い冷え性対策と思っています。
いずれにしても今が一番の教育の山、
(労力、費用など)とお察しします。
年を取るとあの頃は忙しいけれどやりがい
があった、などとは決して申しません。
無事に通り過ぎてよかったよかった
と思うだけです。そしてワインを一杯ですね。
いつかはわたしもこうなりたい。。。
実は今なんとか室内ばきをかぎ針で編み上げたところなんですが、
編み物がものすごく苦手なわたしは編み図がなかなか理解できず
何十回(大げさに言っているのではなく)も解いて編み直して
そしてようやくできたら、夫にも大きすぎる特大サイズになってしまって。
しょうがないので洗濯して縮めて履いてますが
まだ大きい。
きっとtenfingersさんの靴下たちはその修復歴が靴下の人生を物語っているのでしょう。
そういう長生き靴下はまた愛着がありますよね。
寝しなのワインはあったまるんですね。
確かにうちは「教育の山」の登山途中、おそらくまだ
5合目あたりでしょうか。
週一のワインの日(だいたい決まっている)でも
一本500円くらい。
いつかゆっくり寝しなのワインを楽しむ日を夢見て
日々がんばるとします。
靴下は修繕するのは簡単ですよ。
破れたところの少し手前でチョキチョキ切り落とし
て、そこから輪針あるいは針3本に目を拾って
何もなかったかのように編めばいいのです。
その時糸は靴下の脇よりやや上に毛糸を
繋ぐのが良いと私は個人的に思っています。
つなぎ目がころっと足の裏や、靴との間で
足にあたることがあるからです。甲でも良いですが
靴ひもの締め具合ではやはり歩く度に
甲に靴づれができることがあります。
日本ではあまりありませんが、筒状に編んで
つま先だけ左右から富士山のように減らしながら
編むのもあって、あれなら、かかとは履くたびに
回転させて一か所だけが摺りkれないように
できます。ただし、歩き方、履き方かわかりませんが
これに向かない靴下ができる恐れもあって、
歩く度に「たごまって」しまうものが
できるかも知れません。
たごまるは神奈川県の方言かもしれません。
袖や靴下がだんだんしわや丸まりにより
どこかにたまることを言います。
教育の山は夫の名言だと思っています。
費用、労力、重要性など、これほど
気力を費やすものはあまりないでしょう。
終わったときには本当にほっとしましたよ。
靴下じゃないのに、室内ばきなのに。。。
実は今インフルエンザに小二の息子とかかって
治る途中なんで、いろいろな靴下の編み方や
なおし方などをパソコンで見ているのですが
tenfingersさんの棒針でのお直しの仕方も出ていました。
これだと仕上がりがきれいですね。
もう片方の緑の靴下が穴あきになりかけているので
これでやってみようと思います。
(しかし編み物初心すぎてわたしは目を拾うのさえやっとなのです)
靴下を編むのはいろんな国の人がいろんな編み方で
いろんな柄を楽しんで編んでるんですね。
動画でもアメリカ、イギリス、ここはどこかな?と思うところ、
もちろん日本もありましたが
言葉が通じなくても通じていても、編み物の編み方に国境はなく
手先を見れば一目瞭然!
実は見ていてどう編んでいるのかわからないわたしですが
世界中の編み物しているひとの姿に自分もここの中のひとりなのかな、と思ってふふふと笑ってしまいます。
足のほうに難があるのかも???
靴下は傷んだところを切り落とす前に
太い毛糸針に糸を通してあらかじめ一目ずつ
糸に目を拾っておいて、それから心配なく
要らない部分をおとし、落ち着いてその糸
から編み針に目を移すと二度手間のように
思いますが、ずっと確実に早くできます。
私はアメリカでその拾った目をどんどん編んで
最後はその糸の続きを毛糸針にとり
針にかかっている目を順次くぐらせて
絞って終わり、というのも見ました。
あるいは最後は2本の針に2等分して
上下交互にはぎ綴じをするというのも見ました。
日本では考えられないぐらい手編みの靴下
が現実的な場所での究極の作業ですね。
ものを大事にするというレベルではない、
もっと原始的な動機があるように思います。
でも古今東西貧しくても贅沢でも足を温めて
にこにこ暮らしたいという気持ちは一緒。
愛用の靴下がどんなに満身創痍でも
ママがまた復活させてくれたとなると
どんなにか気持ちも温まることか、
自戒を込めて励もうと思います。
ドイツ婦人のおばあさんとかの手記などを読んだりしますと
どうもこの「工夫」のようなものが好き、と言いますか。
ひとの生活の面白さだなあーと。
なんでも便利になってしまって、機械が掃除してくれるとか
ボタン一つで料理もできるような世の中ですが
こんな面白い「生活」をしなくなっていいのかな。
すごく面白いのに。
毛糸の工夫も、繕いも、野菜を切るのも、煮込むのも。
さてわたしの初靴下はもうすぐ片方編み終わります。
一部自己流ですが。
もう片方編めるのだろうか?不安です。