何度も何度も「編み物できるようになりたい」と言い続け、
簡単に編み物できるキットを買ったり
知人に少しずつ教わったりしてきたけど
ちょっと今回は山を一つ越えた気がする。
それは「靴下」を棒針で編むことができたから。
よく見ると左右柄が違う、カタチも大きさも違う、ひきつれている・・・
反省点は数々あれど完成して履くことができるという、それだけで満足。
この冬は室内ばきも一足できたし(とうてい写真upできない仕上がり)
ネックウォーマーもできた。
何度も何度もほどいて、苦手な「目を数える」ことをくりかえし。
前から気がついていたんだけれど
わたしは「数を数える」ことがとても苦手です。
パッと見てみかんが5個、とかわからない。
ひとつひとつ見ても途中で分からなくなって、何度も数え直す。
そんなわたしが編み物をやるというのは、とても時間を要するものでした。
ウールの匂いが好きなのか、猫が靴下にスリスリする。
スリスリするだけでなく、噛み噛みして足で蹴りつける。
その辺に脱ぎすてることはできない。大事にせねば。
きっと今まで心の中で練習していたのでしょう。
素晴らしい出来上がりですね。
私も中高時代家庭科で編み物があったとき
靴下、手袋を編んで、家族がなぜマフラーから
取り組まないのかしらね、と言われて
なるほどと思った記憶があります。
靴下はサンタも履けるような、手袋はドラキュラの
手袋のようだったけど、いまだに大事にしています。
編む手も心も編んでいる姿を見る回りの人をも
慰める編み物をずっと楽しんでください。
「んん〜できない、わからない〜」と夢にも出てきました。
私は一つにはまると、そればかりになってしまって
家事の少しの合間にも数段なら編める!と編み棒を持つ始末。
そして無謀にも次は猪谷さんの靴下に挑戦しよう!と思っています。
いきなりのエベレスト登頂。どうなることでしょう。
編む手も心も編んでいる姿を見る回りの人をも
慰める編み物・・・
いい言葉ですね。何度も読んでしまう。
いつか自分の子どもたちも、編み物でもなんでもいいから
何かを自分の手で作り出す楽しさを知っている
おとなになってほしいです。
自分に何か起こったときに、我に帰ることができる楽しさ。
tenfingersさんは中学高校のとき、もう手袋や靴下を編み上げて
いたんですね!すごい!
なんだか今の私、その頃のtenfingersさんと重なるような。
歳は30以上違いますが気持ちは同じ、だと思います。
編んだのです。決して自主的に選んだのではありません。今見ても指と指の間は穴だらけ、こういう
難しいことをやらせた教師は何を考えていたのでしょうね。
ちまさんの方がずっと真剣でまじめだと思います。
いろはも知らないのに和歌を詠めと言われたような
ものです。
友達とふざけあいながらやりました。
私も数え間違い、勘違い、はいつものこと。
横綱に着せるセーターなの?と言われたり
裾と胸とでは模様が微妙に違っていて、
???となったりいつもドラマティックです。
カーディガンを編むと右前身ごろを2枚編んで
しまったり、赤ちゃんの靴下を編んで、結局
自分の室内履きにぴったりの大きさになったり
しました。
でも私の編んだマフラーをしていた娘が
電車に乗って居眠りしていて、降りる駅に近づいたので立ち上がろうとしたらううっつとなったので
見るとお向かいに座っていたおばさんがどうやって
この柄ができているのか?と手に取って見ていたので
引っ張られたのだそうです。
私より娘が喜んでいたので編んで良かったと
思ったこともあります。ぜひ一生のお友達として
毛糸と編み針を大事にしてください。
私もこんな場面に遭遇してみたい。
やっぱり編み物は「共通言語」なのかしら。
tenfingersさんの編まれたそのマフラーが、
電車で乗り合わせたおばさんを惹きつける言語だったんだなーと。
編まれたものたちが、人と人を結んでさえいる気がします。
娘さんとおばさんの交わした、ほんの短い時間と会話を想像していますが、あったかいニットみたい!
今のところ私の編み物道具はお恥ずかしながら
100円ショップの輪針やかぎ針なんですが
取り急ぎこれでちゃんと編めるようになったら
いい輪針を買おう!と励みにしております。
毛糸だって色のきれいなアクリル毛糸で
四角だって丸だって編めば、10年ぐらいは
お風呂や洗面台を洗えます。しかもほとんど洗剤は
一滴ぐらいでいいのです。編み物の集まりに行く途中に
かぎ針や小物道具を忘れていたのに気が付いて
お世話になったことは何度もあります。
わたしはここで輪針を二本買って、
今かかとだけを練習しています。
もう5回目ですが、ずっとできずに繰り返しました。
数を数えるのが本当に苦手なので、
猪谷さんの靴下のかかとを編むとき、
途中でおかしくなってしまう。
しかし。
わたしにとって難易度の高いこのかかと編みが
クイズを解くたのしみのようになって来てしまって
編み物とは違う路線を走っているような気がします。
さて本番はいつ編み始めるのかしら。
編物は見た目と実際にやるのとでは
ムードも労力も全然違います。
ミス・マープルのように殺人の謎を
解きながらなんて無理。
現実は頭の格闘技のようなものですね。
あまり練習していないで、現実的に
考えてはどうですか。
下手は下手なりに作品になれば、
感慨がひとしおです。
「こう作らねばいけないんだー」と思い込んでいました。
そういっているとおそらくこの先出来上がらないかもしれないですね。
そろそろガーッと編みたいです。うずうず。
昨日こちらの高校入試が終わり、わたしも仕事がひと段落しました。
気分的に子どもたちと同じ開放感を味わっていて
もらった毛糸を染めてワクワクしています。
編むまでの助走が長すぎですね!