地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

たのたの庵

2010年03月18日 | 食べ物
 


庵主さんの優しい笑顔には会えなかったが、相変わらずランチは美味しかった

 このところ、友人達と会った際のランチの機会が、何とも多くなっている。そんな時に利用するお店は、多くの場合友人が選んでくれる。ただ、私が選ぶ場合は、お気に入りのお店となる。フランス田舎料理の「プチマリエ」、そして和食の「たのたの庵」だ。どちらもママさんの笑顔が魅力的だ。

 とりわけて、最近珍しくよく利用するのが「たのたの庵」だ。私の場合には、いろんなお店の味を楽しみたいというのが基本にある。ただ、「たのたの庵」は利用するには少し遠いが、料理の美味しさとその雰囲気の良さ、加えて庵主催の優しい笑顔に惹かれて、月に一回位は利用してるように思う。

 今日も雨が降る中で、「たのたの庵」に行った。お店に入って、すぐに庵主さんの笑顔がないことに気付いた。多くの場合は、車から降りてお店に入る前に、お心遣いで「いらっしゃい」の声が聞こえてくるのだが。ともあれ、今日は所用で外出しておられた。少しだけ残念な気がした。それでも、ランチはいつものように美味しかった。

 ところで、今年の9月に「岡山かってに地麦酒祭」(仮称)の開催準備が進んでいると聞く。県内の全ての地麦酒の出品について了解がもらえたとのことだ。県内の全ての地麦酒を飲める機会が用意されるとは、とても嬉しい。そんなニューを聞くだけでワクワクしてくる。なんだか、応援したい。そんな思いだ。

 
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山田太一

2010年03月18日 | 映画・テレビ
 


読売新聞に連載されていた「時代の証言者」、脚本家山田太一の巻は終わった

 2月9日から読売新聞に連載されていた「テレビドラマ 山田太一」は、昨3月17日の27回目で終了した。山田太一も倉本聰などとともに、その名前だけで舞台やテレビを観たりする好きな脚本家の一人であり、この連載は毎回楽しみにして読んだ。

 「ある男がなぜ殺人を犯したかより、なぜあの奥さんと結婚したのかの方がよりスリリングだ」とのアメリカの脚本家の文章を引用して、「自分が漠然と考えていたことを表現してくれたという思いがしました」と書いている。

 そして、「自ら殺人などの犯罪は禁じ手としました。犯罪ものは時代や社会のゆがみを描きやすい。でも、多くの人は犯罪に走る手前で踏みとどまっている。ドラマチックじゃないけれど、大多数の人の現実を書こうと」と書いている。まさに、山田太一の世界を表現する言葉だと思う。

 そんな山田太一の連載を読んで、彼が脚本書いた作品が観たくなった。1982年に笠智衆が主演したNHKドラマ「ながらえば」、そして85年の「冬構え」、87年の「朝の秋」の三部作をはじめ、たくさんのテレビドラマを録画したビデオが我が書棚にある。

 今日、その中の一本の「ながらえば」を観た。とても素晴らしいドラマとなっている。少しだけ老いてきただけに、我が身になぞらえて、とても感慨深く観た。涙が止まらなかった。

 ところで、このドラマの笠智衆について、「自分なりに工夫したつもりだが、笠さんの無手勝流にはかなわなかった」との宇野重吉の漏らした言葉を、連載の中で紹介している。こうしたたくさんのエピソードを、連載ではとても楽しく、かつ興味深く読ませてもらった。笠智衆も宇野重吉も今は、鬼籍に入っている。とても寂しい。

 それにしても今回の連載では、松竹の助監督としての大船撮影所時代の話やテレビドラマ、舞台、小説と山田太一のたくさんのフィールドについて、語っていただいている。全27回を切り抜いて保存した。なお、写真には山田太一が新聞に連載した二つの小説『丘の上の向日葵』(1989年、朝日新聞社刊)、『君を見上げて』(1990年、新潮社刊)等を貼っておく。

 
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