年内でお店を閉める「の村」、焦っていたが今日やっと最後のランチを楽しんだ
今日は我が懐と同じように激しく冷え込んだ。格別に寒く、午後からは風花が舞った。関ヶ原あたりで雪による倒木のために、新幹線も一時期ストップするほどだった。
ところで、私が西大寺の五福通りにある家庭料理の店「の村」と出会ったのはいつの頃だろうかと思い出そうとするが、どうにもはっきりしない。そうは言いつつも、開店してそんなに間もない時だと思う。何しろランチを限定10食程度といった時期のことだ。それで、お店は大丈夫だろうかと心配したほどだ。
しかしその後、そんな「の村」には大変にお世話になった。美味しいランチを食べさせてもらったのは当然だが、我が仕事で、「はだか祭り」で知られる「西大寺会陽」を記録映像に収める作業の際には、拠点基地とさせていただいた。
そして何よりは、湯布院の高級旅館・亀の井別荘の主人・中谷健太郎さんに講演をお願いして、その夕食をどこにするか思案した時だ。何しろ高級なもの、美味しいものは食べ尽くしているであろうから、生半可なお店ではどうにもならないと考えた。そんな時に思い浮かべたのが「の村」だった。9月の初めであり、まだ残暑厳しい中で、当時の「の村」にはクーラーもなかった。
しかし「の村」のおかみさん・さとちゃんは、「五福通り」界隈の人たちと「井戸端会議」なるゆるやかな組織をつくり、まちづくりに取り組んでいた。そして何より、さとちゃんは若い頃にポルノ映画などの脚本も手がけており、「湯布院映画祭」の仕掛け人・中谷さんには最適のお店だと考えた。
「料理は2000円を超えたら、考えられない」とのお声をいただき、お任せしてお連れした。中谷さんから「まいりました」との評価をいただいた。そして帰る際に、さとちゃんが中谷さんに色紙をお願いすると、「ちゃんと書いて送ります」の言葉通りに、後日送られてきた。「呑むならの村 観るなら映画」と書かれたその色紙は、今もお店にかけられている。
その「の村」は、来年のお正月に放映されるNHKテレビドラマ「とんび」の撮影の舞台ともなっている。また、「五福通り」では、「ALWAYS 三丁目の夕日」(正、続とも)のロケでも使用されている。2012年のNHK土曜ドラマスペシャル第一弾、重松清原作、堤真一、小泉今日子出演の「とんび」は1月7日(前編)、14日(後編)と放送される(どちらも夜9時から)。そして「続 ALWAYS 三丁目の夕日 ’64」は1月21日から劇場公開される。まさに新年早々から、毎週西大寺「五福通り」そして「の村」が、日本全国に登場することとなる。
そんな「の村」のさとちゃんは生まれ故郷の北海道で手作りのお泊まりどころを開設し、その関係もあり「の村」は年内で閉店するとのことだ。そして、さとちゃんは本格的に「脚本の世界」に復帰することとしているようだ。
早く行かないと閉店してしまうと、焦る気持ちだったが、やっと今日行けた。有名になる前にと記念写真をお願いし、我がブログに貼ることの了解を求めたら、「あと数年もしたら事務所からNGの連絡があるかも」と笑いながらOKをもらった。
いつも自然体で、素敵なさとちゃんだ。「の村」そんなさとちゃんと向かい合うと、みんな肩の力を抜いて、自らを解放している。「の村」はそんなお店で、ファンが集まっている。今日も常連さんの予約で満員と、のれんを下ろさないでお店を開けていた。
そんなお店に集まる人たちはみんな個性的で魅力的だ。だからさとちゃうに言わせると書くネタ・エピソードはいっぱいあるそうだ。さとちゃんは、「NHKの朝ドラの脚本を書く」と宣言している。夢に向かう場合には、まず高く帆を上げることが大切だそうだ。その「朝ドラ」には、「私もモデルとしてドラマに登場させて」とお願いもした。さとちゃんの思いが実現することを心待ちにしている。
ともあれ4月からは雪のため閉鎖していた北海道の「お泊まりどころ」を再開するとのことだ。私とさとちゃんの再会も北海道となるのだろうか。
「映画の自主製作や上映をすすめる」、そんな組織があればと考えたりもするこの頃
昨日はクリスマス。JRAの1年を締めくくる総決算のグランプリレース、第56回GI有馬記念は三冠馬のオルフェーブルが強かった。ブエナビスタは引退レースを飾れなかった。レッドディヴィスに騎乗した武豊は、G1で今年は1勝もできず20年以上連続していた記録は途切れた。一方、フィギュアスケート全日本選手権では、母の死の悲しみを乗り越えて浅田真央が優勝した
ところで、クリスマスにかける女性の意気込みは強いものがあり、「クリスマスは、1年の中で一番プロポーズを期待する日」という記事に接した。そんな女性たちの思いは叶ったのだろうか。昨日心揺さぶられるようなプロポーズの言葉を受け取っている人もいることだろう。みんな幸せであって欲しい。
さて、ふと思い出したことなのだが、まだ高校生の頃のことだ。ある女子高の生徒さんに憧れをいただいてお話ししたいと、田舎者が勇気を出して喫茶店に誘った。「喫茶店には入ってはいけない」との校則があるとのことで断られた。それなら「映画は?」というと付き合ってくれた。観た映画は「シェーン」だったように思うが定かではない。それっきりの、ちょっぴり甘いそして少しだけ苦い思い出だ。
その当時はまだ洋画も観ていたのが、日本映画しか観なくなったのはいつ頃からだろうか。近年は「ゆふいん文化記録映画祭」にほぼ毎年のように参加することもあり、ドキュメンタリー映画も結構好きなジャンルとなっている。
その映画では山田洋次監督とご縁をいただいて、ある時期必ず撮影現場を見学に行かせてもらっていた。宮沢りえ、小泉今日子、木村拓哉などの出演するシーンの撮影を魅せていただいた。
ただ残念なのは、山田洋次監督作品に松たか子が出演した撮影現場は見学できなかった。しかし、ご厚意をいただき「完成披露試写会」へご招待いただき、生松たか子を近くで見ることができたことは、ステキな思い出だ。
ところで、そんな大手の映画会社ではなく、いわゆる「独立プロダクション」製作の映画作りや、そんな現場で誕生したいわゆる「自主製作映画」の上映を近年お手伝いさせていただいている。
岡山の地でそうしたことを支えてきたのが、「中国共同映画社」だ。全国加盟組織である「共同映画株式会社」は、「1950年に誕生しました。また、1953年には記録映画『月の輪古墳』が作られ、その普及を行った共同映画は教育映画の分野も視野に入れ事業の拡大を図」(共同映画のHPより)ったそうだ。
そして、「中国共同映画㈱」はHPには、1962年に設立と記載されている。すると、来年は50周年の節目の年ということになる。(ただ、映画「月の輪古墳」の製作に大きな力を発揮しており、実質的にはもっと長い歴史がある)。
その「中国共同映画㈱」が岡山の地で、自主上映を支えてきて、どれだけたくさんのステキな映画に出会うことができたか知れない。恩恵を受けた人たちがたくさんいることは間違いない。当然だが、私もその一人だ。
そんな感謝の思いを込めて、近年お役に立ってはいないが「石井のおとうさんありがとう」や「いのちの山河」、そして「無言館」等の普及の活動に参加させてもらっている。
その「中国共同映画㈱」は、昨今の厳しい自治体予算の中で、とりわけて学校での映画上映が激減し、かつ以前に「共同映画」を支えていた「親と子のよい映画を見る会」も活動が衰弱する中では、私は内実は知らないものの、その運営は決して楽ではないと考える。
自主製作・自主上映を支えるためにも、私は岡山の地の「中国共同映画㈱」の灯を消してはいけないと考える。そうした思いもあり、「自主製作・自主上映を勧める(もしくは支える)会」なんてものを旗揚げして、恒常的に岡山の地で独立プロなどの映画を上映・鑑賞する機会を作ってはどうだろうかと思ったりもする今日この頃だ。
ともあれそうした中で、私がその映画の「観る会」の事務局を担当している記録映画「無言館」の上映会が以下の日程で開催される。一人でも多くの方に観て欲しいと願う。
◆長編ドキュメンタリー映画「戦没画学生慰霊美術館 無言館」
*2月18日(土) 会場;岡山市立オリエント美術館 地下講堂
上映時間開始;10時30分、13時、15時
*2月19日(日) 会場;岡山県立美術館 デジタルシアター
上映時間開始;10時30分、13時、15時
*3月31日(土) 倉敷健康福祉プラザ プラザホール
上映時間開始;10時30分、14時
鑑賞料;一般1300のところ1000円(チラシ持参必要)