「東日本大震災」を報道した地元紙の『河北新報のいちばん長い日』に感動した
2011年の最大の出来事は、「東日本大震災」ということは誰も異論がないだろう。その3月11日午後2時46分には、私は自宅でテレビを見ていた。旧作のテレビドラマが突然打ち切られ、地震報道に切り替わった。
その日はドキュメンタリー映画「無言館」の完成披露試写会での外出前だった。帰宅して、津波の激しさをテレビで見た。この世のものとは思えなかった。
その10年前の9月11日のニューヨーク・テロもテレビで見ていた。マンハッタン高層ビルへ飛行機が突っ込む光景を、現実とは思えないある種不思議な感覚で見ていた。私がニューヨークを訪れた翌年のことだ。
さて、今年の「東日本大震災」は誰にとっても衝撃を受け、記憶から消し去ることのできない未曾有の事態だったことは間違いない。
その「東日本大震災」と地元新聞社はどのように向き合い、報道し、読者の許に届けたのかを記録した本を読んだ。河北新報社刊『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(文藝春秋刊)だ。まさに感動の一冊だ。
新聞製作、輸送、配達を河北新報グループが一丸となって、大震災の困難の中でも途切らず、「河北新報」を発行し届け続けた記録は実に心を打った。もちろん新聞制作のための取材活動の苦労が中心だが、それを支えた後方支援部隊、輸送や配達の舞台の苦労も克明に記録されている。改めて新聞の果たす役割の大きさを確認もした。歴史に残したい一冊だ。
この本の中で、震災後1ヶ月経って記者たちへのアンケートの回答も掲載されている。その中で、その時々の判断について「正解だったのか、今も答えを得られずにいる」というのが、いくつも紹介されていた。
私もこれまでの人生の中で、「山場、土壇場、そして修羅場」を幾度となく経験してきたが、その時々の判断が正しかったかどうか今でも考えることがあるが、それでもその時々で「これしかない」と心に決めて前に進んできたように思う。そんないくつかの場面を思い出したりもした。
さて、この本の中で、「普通の日常がいかに貴重か」というフレーズがある。今年はその言葉の重みを実感して生きてきたように思う。「普通の日常」を大切にして、今年の3・11をしっかりと我が心に刻んで、残された人生を歩いて行きたいと考える。
来年は大阪松竹座の歌舞伎観劇から文化三昧がスタート、「こんぴら歌舞伎」は思案中
私が参加している「おかやま・歌舞伎・観る会」は、1998年1月から毎年欠かさず1月と7月に、バスでの大阪松竹座観劇ツアーを実施している。
来年の1月もツアーを実施し、私も参加する予定としている。そのツアーが来年の文化三昧のスタートとなる。
そして松竹座1月公演は市川團十郎・海老蔵親子の出演で、海老蔵は昼・夜の全ての演目の舞台に立つ。とても楽しみだ。
さてその大阪松竹座では、来年7月は来年4月の「こんぴら歌舞伎」に出演する中村吉右衛門が登場する。そして、9月は中村勘九郎襲名披露公演と続く。また再来年・2013年1月は、今年「一本刀土俵入り」でステキな「おかみさん」を演じてくれた市川亀治郎の市川猿之助襲名披露公演があり、市川中車(香川照之)も出演する。まさに楽しみな舞台が連続する。
私たちの「歌舞伎・観る会」では「歌舞伎・貧乏」という言葉があるが、まさに来年はより「歌舞伎貧乏」に拍車がかかりそうだ。それでも、全ての公演に観劇ツアーバスを出そうと今計画中だ。
ただ、来年からそろそろ歌舞伎や演劇の舞台を楽しむ回数を減らそうと今から考えているのだが、果たしてどうなることやらだ。毎年恒例としている「こんぴら歌舞伎大芝居」についても、今年見た「一本刀土俵入り」の演目とご縁もあり、是非共と考えたりする。ただその反面、一人観劇は寂しいものもあり、加えて貧しい懐故に始末しようかと考えたりもしている。