猫の額程の野菜畑の土づくりをほんの少ししただけで、手に豆ができてしまった
とても恥ずかしい話だが、やはり告白しておこう。過日、春もの野菜の準備のために、猫の額程の野菜畑の土づくりをした。するとどうだろう、手に豆ができてしまった。これまで箸より重いものを持ったことがなかった我が生活故のことで、そのことがばれてしまった感じだ。運転の際にハンドルを握ると痛む。悩ましい。
さて今日は、これから植えるジャガイモの種いもを購入した。メークインと北あかり、そして男爵を各キロづつ購入した。切り口を灰で覆うのではなく、乾かして植えようと思っている。こうしたジャガイモづくりも、どなたかの作業を見てやりたいものだが、ネットで調べつつやるしかない。これまた、悩ましい。
そうした中で、今読んでいる秋山豊著『農人(のうじん)日記』(新潮社刊)を今読んでいるが、とても参考になることが多い。ジャガイモで言えば「畝幅は60㎝、株間は30㎝、植える前に1週間くらいは陽に当てる。これを『浴光催芽(よくこうさいが)』という」と書いてある。
また、「タネイモの日光浴は、丈夫な苗の必要条件」とも書いてある。購入した先で聞くと、1日もあれが乾くので大丈夫と言われた。またまた、悩ましい。悩ましいが、花が咲き収穫を考えるとワクワクする。
ともあれ、そろそろジャガイモを植えようと思っている。そう言えば、まだエンドウの支柱を立てていない。これまた急がなければ。忙しいが楽しい日々だ。
「賞は贈るものではなく、受け取っていただくもの」という考えに導かれてきた
私が「坪田譲治文学賞」の事務局を担当させていただいていた頃、ある年の「選考委員会」の席上で、その年の受賞作が決定した後、作家の五木寛之さんが「この受賞作について、“贈るものではなく受け取っていただくもの”という考えで対応してください」と言われたことがある。
それまでの私は受賞作家さんたちからの「受賞は嬉しい、ありがとうございます」という言葉を聞いている内に、ある種「賞をあげる」という感じとなり、「もらっていただく」という意識が希薄だったことを深く反省した。
その当時、「坪田譲治文学賞」を担当していたことから、多くの報道関係者の方々とも対応する機会があったが、そうした方々の中にも、「報道してやる」的な意識が見え隠れすることも少なくなかった。
「坪田譲治文学賞」を広く知っていただくために、報道で取り上げてくれることが嬉しいこと間違いない。しかし、「放送(或いは報道)してあげるのだから、嬉しいはず」といった考えが根底にある、その振る舞いにいささかの違和感を感じたこともあった。
その五木寛之さんの言葉に導かれて、私が公民館で働かせていただいていた際には、「公民館を使っていただく」と気持ちで利用者の方々と対応させていただく努力を重ねたつもりだ。
最近の私の周辺で起こったあることから、そんなことを思い出したので自戒を込めて書かせていただいた。