人事異動が内示された、毎年のことだが悲喜こもごもの人生模様が展開される
昨日、以前の職場である岡山市役所の人事異動が内示された。1,500人にものぼるたくさんの異動内示であり、見ているだけで目が疲れた。退職して、4年目になるので、もう知らない名前が多くなっている。
この人事異動は、まさに悲喜こもごもだ。様々な思いが交錯する。職員は格別に「偉くなりたい」と思っているわけではない。もちろん、立身出世のみを考えている職員もいないではないが、圧倒的にはそうでない職員が多い。
ただ、仕事をしようと思えば、それなりの地位・役職が必要となる。というか、それなりの地位・役職に就くと、より自分がしたい仕事ができやすい環境となることは確かだ。加えて、人事は自分が頑張ったことへの評価となる。評価は人事しかないとも言えるのだから。その意味でも、年一回の人事異動は、最大の関心事ともなる。
そんな中で、昨日発表された人事異動で、何とも納得のいかないというか不可解な内示(異動)が目についた。私自身が働かせていただいた公民館のことだけに気になる。それは、中央公民館館長補佐の件だ。彼は社会教育主事として採用され、社会教育課(現生涯学習課)と中央公民館と一筋に働いてきて、まさに社会教育(生涯学習)・公民館分野では、全国的な第一人者の一人である。
そんな館長補佐が、今回生涯学習ではない分野へ異動となった。彼は、公民館で勤務する傍ら、市の許可を得て某大学で非常勤講師として学生に教えている(無報酬である)。岡山大学での社会教育主事講習の講師や他のいくつかの大学などでも教えている。そんな彼が、何故という気がしてならない。どうしてこんな人事が起こるのか、なんとも疑問である。
一人の力に依存するのは、組織としてはあるべきではないが、それでも特別な分野では、そうした高い専門性を有している職員の果たす役割が極めて大きいと思う。その意味で、来年度からの社会教育(生涯学習)・公民館はどうなるのだろうと危惧する。
ただ、組織であり、彼がいなくても当たり前のように進んでいく。それが恐い。まさに公民館の役割を考えない、人を生かさない人事と思えてならない。我が事のように、気持ちがブルーになっている。