21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

この期に及んで刺客とは?呆れた民主の精神構造

2012-07-13 09:01:33 | 政治にモノ申す
 民主が次期総選挙で、小沢新党の候補者すべての選挙区に刺客を送るという。小泉の郵政選挙の再現に開いた口が塞がらない。反消費増税勢力の根絶が目的なのだろうが、国民としてはいつまでも馬鹿やってんじゃないよと声を大にして言いたい。

 考えてもみろ、小泉の時もそこまでやるかと劇場型政治に半ばあきれたが、当時と今の政局とは明らかに情勢が違っていた。当時の自民には政権交代の危機が迫っていたのだ。結果として、なりふり構わない行動に出たのは、小泉の英断だった。

 しかし、今はどうだ。案件は三党合意であり、しかも交代の危機はすでに危機ではなく確実ともいえる状況だ。そんな政党が刺客を送るというのは、まるで現実が分かっていない。もし、政権にとどまる気があれば、絶対に増税は踏みとどまるべきだったし、三党合意などもってのほかではないか。民主の支持率低下の要因は、3代にわたる能なし首相交代劇、無駄削減による財源捻出の空振りがすべてだ。そこに消費増税では、打つ手なしを国民に宣言したも同じで、国民はそんなだらしのない政権に退場を求めるのは至極当然の結果ではないか。

 民主党が政権に留まりたいなら、絶対に着手しなければならなかったのは霞が関の解体だった。無駄を産む構造にメスを入れなければ、財源など出ないのはあたりまえではないか。事業仕分けなどという対処療法では財源など出てくるはずがないのだ。そして、野田政権は諦めて、自民が敷いた錆びたレールに三度乗った。もはやジ・エンドである。

 今回の刺客は、明らかに民主の恥と馬鹿の上塗り以外の何物でもない。
 
コメント
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