21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

オルフェ凱旋門賞は池添で挑んでほしかった

2012-07-16 09:45:16 | ヨレヨレ競馬ライフ
 宝塚記念で復活Vを果たしたクラシック3冠馬オルフェーブルが、凱旋門ではスミヨンを背に挑戦する。苦楽を共にした相棒池添からの手変わりは、陣営いわく勝つための苦渋の決断だという。ここは スミヨンの凱旋門賞の実績に賭けるというわけだ。陣営の本気度が伺えるが、心情的には池添で挑戦してほしかった。確かに、コースもレースのアヤも知り尽くしたジョッキーに手綱を任せるというのは勝つための戦略といえるが、オルフェと池添が辿った道のりを思うとこのコンビで世界に挑んでこそドラマになると思う。

 競馬に物語を重ねるファンとあくまでも勝負にこだわるファンの心情はこうした場面で異なるが、私は明らかに前者なのだろう。ギャンブル性や勝負だけを考えれば、競馬はリスクが高いゲームであり、血統やドラマという側面がなければとても馬券を買う気は起きない。レースの推理に自分なりの物語を重ねるから競馬は面白いのだ。もちろん、陣営が勝ちたい気持ちは本物だし、それを否定することなどできない。

 ただ、ファンとしては勝っても負けても池添が乗っていたら納得できるということだ。スミヨンに乗り替り勝てば万々歳だが、負けたときはオルフェの力不足となる。池添だったら、たとえ負けてもごくろうさん、また頑張れよ!という気になれる。もちろん、万全の状態でレースに挑み、ミスのない騎乗で負けた場合の話だ。むしろ、ミスして負けても池添なら仕方がないと思えてしまう。池添を過小評価しているのではなく、あの二度の敗戦を乗り越えたオルフェと池添には強い絆を感じるのだ。その絆にこそ、ファンの期待と思い入れがあるのだ。

 もし、これが同じ三冠馬でもルドルフやブライアンやディープだったら、勝つための手変わりに何とも思わないし、より期待感は増すだろう。先輩三冠馬たちとオルフェの違いは、オルフェがまだまだ競走馬として完成形ではないという点だ。だから無敗の三冠馬でもなければ、凡走もするのだ。引退目前ならまだしも、3歳で有馬記念まで勝った三冠馬があそこまでファンをアッと言わせて負けるのだ。どう見ても力負けでなく、レースになっていないのだ。だからこそあの時の池添の精神状態は計り知れないものだった。三冠ジョッキーとして称賛された矢先の逸走、凡走である。そんな経験をしたジョッキーは池添だけなのだ。岡部も武豊も吉永も南井も経験しなかったことなのだ。

 宝塚を勝った時、何事もなかったように悠然とウイニングランをするオルフェの上で、池添は泣いた、絶叫した。そして、ジョッキーを辞めることも考えたと明かした。そんなジョッキーとのコンビで大舞台に挑んでほしいと思うのだ。

 もちろん、ドラマなんてものは人間の勝手な妄想で、馬にはまさに耳に念仏なのかもしれないが、競馬が愛されるのはそんなドラマを見られるからなのだ。
コメント (1)
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