tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

花壇は野菜畑になりました

2021年05月24日 22時46分41秒 | 環境
花壇は野菜畑になりました
 汗だくで庭の草取りをする陽気になりました。梅雨入り宣言はまだですが、紫陽花も少しずつ色がついてきました。

 我が家の狭い庭も様子が一変しました。ついこの間まで、チューリップと釣鐘水仙が姸を競っていましたが、あの花壇は、今は野菜畑です。



 ゴールデンウィークに花の写真を撮りのんびりというのは少し違って、花壇を畑に切り替えるのは年寄りには大分大変でした。
 長男に電話して手伝ってもらいながら何とか半日で全面改装することができました。

 毎年雑草がすごいので、今年はポリシートを張って、先ずは雑草防除の準備をしました。

 連休最後の日にホームセンターに行って、仕入れた苗は胡瓜4本、茄子3本、トマト2本という事でした。
 
 トマトの1本は、このPCを打っている2階の部屋の外のベランダの良く見える所のプランターに植え、あとは写真の通りです。
 北側の列は胡瓜4本、南側の列の西側の角にトマト1本、その向こうは茄子3本という配置です。

 2-3日で苗は元気になり、胡瓜の蔓も伸び始め、一昨日例年通り簡単な棚を作って、あとは元気に伸びて呉れと願うだけです。  
 
 考えてみれば、スーパーで買った方が、簡単で安上がりかも知れませんが、やっぱり人間には「収穫の喜び」というのが、脳細胞のどこかに、本能として埋め込まれているのでしょう。

 今年も、胡瓜、茄子、トマトの「今年の初物」を収穫して夕食の時に「これで75日生き延びるぞ」と言いながら、食べる日を待ち遠しく思う事になるのです。

 コロナもそろそろ先が見えてくるようで、何といっても、こうして過ごせる平和な日々は矢張素晴らしい事なのでしょう。

カルミヤは毎年咲くのか

2021年05月05日 17時54分29秒 | 環境
カルミヤは毎年咲くのか
 ゴールデンウィークも今日で終わりです。この間、なるべく「花」をテーマにしてきましたが、あすからふだんにもどることになります。
 
 共に身障手帳を持った老夫婦の生活、カレンダーとはほとんど関係ないのですが、なるべく世間様についていくために、本音は、介護・医療の日程やゴミ出しを間違わないためにカレンダーは大事です。
 
花の最後はカルミヤにしました。今年は少し用意をしておいたのです。
 というのも、わが家の玄関脇の カルミヤは、1年おきに綺麗に花をつけてくれていました。良く咲いた年の翌年はちらほらです。

 ところが誰かから「花がら(殻)」を取ってやれば毎年咲きますよ」と言われ手を思い出したのです。
 そこで去年は、花の後、実になる花がらを一つ一つむしってみたのです。さて、これで本当に来年も咲くのかな?でした。

 今年の春はかなり気になっていました。3月になると益々気になてき蕾らしきものが出てきたら写真を撮っておこうと思っていましたら、下旬になった明らかに出てきました。写真を撮りました。こんな感じです。



これで一安心。あとはいつ頃になったら蕾の先に赤みが差してくるのかなですが、安心して少し見ないうちに、もう蕾が膨らんでいました。
わが家のカルミヤは白い花ですが、花が開くまではカルミヤは真っ赤なな蕾です。実は赤いカルミヤも一緒に育てたのですが、大きくならずに枯れました。改良種は弱いようです。
真っ赤な蕾をご覧ください。




 そして、この連休、満開直前に達したところです。昨日の写真です。
 



これで、「花がら」さえ取ってやれば、カルミヤは毎年咲いてくれることが解りました。大変喜ばしいことですが。夏が来る頃、私のやる仕事が、一つ増えました。
 通る人も「きれいね」「良く咲いてるね」と喜んでくれる様ですから、それもいいかなということでしょう。

庭の片隅の小さな花の特集

2021年04月15日 21時29分32秒 | 環境
庭の片隅の小さな花の特集
 先週4月10日にチューリップ満開と書きましたが、今日現在、盛りは少し過ぎましたがまだ賑やかに咲いています。今になって正に満開なのは遅咲きだった白の八重です。今日は西の塀際の曙つつじがまさに満開です。

 ところで今日は、菅総理もバイデンさんに会いにアメリカ行きということですし、その「はなむけ」(ちょっと「はな:花/鼻」が違うかな)にと、狭い庭の隅に咲く、小さくて目立たないけれどよくみれば結構素敵で健気に咲いてくれる花たちを取り上げてみました。

 先ずは「しらゆきげし」です。白い花の芥子で、なかなか増えないというのですが、わが家ではどのドン増えて、南側の隣家との境のフェンスの下は点々と白いちいさな花です。つぎからつぎへと咲いています。



 その下の白雪芥子の葉の間からかおをだしているのが「蔓おどりこそう」です。蔓でないのもあるということでしょう。小さい黄色の花の踊り子が輪になって3階建てで咲くのです。1本とって洗面所の小さな花瓶にも挿しています。人が来て「かわいい!これ何でか?」といいます。



 単純な白い花ですが、群生すると清楚な美しさを感じさせるハナニラ。毎年同じ場所に群生します。薄紫のもありますが、なぜかぐんせいしないで1本ずつ生えています。



 今わが屋の庭で、最も権勢をふるっているのが青の「つりがねずいせん」(釣鐘水仙)、わが家には、昨年「釣鐘推薦3姉妹」と書きました様に、青のほかピンクと白とがあるのですが、この2~3ねん、青が猛烈に繁殖してピンクは2か所、白は一か所で、今年は白は青に囲まれて、見る影もなく、何とかしてやらなければと思っているところです。写真は、繁茂する青と残っているピンクの1株





 北側の塀のほとんど日の当たらない所で蔓がのびいていまして、抜いてしまおうと思って気が付くと1輪、2輪可憐な薄紫の花が咲いているのが「つるにちにちそう」です。雑草が生える中で、目立たない様に清楚に咲いている、何か奥ゆかしさを感じさせてくれます。



 ところで花壇のチューリップですが、単純な白の八重だと思っていたのが、いっぱいに開いてみるとピンクの縁取りの素晴らしく綺麗な花でした。これはびっくりでした。

春たけなわ、チューリップ満開

2021年04月10日 15時30分30秒 | 環境
春たけなわ、チューリップ満開
 コロナ、コロナといっているうちに、桜の時期は過ぎました。「はや葉桜の侯とはなりぬ」などと呟いていれば、わが家の狭い庭でも、有り難いことに、春の花たちが競って 咲いてくれます。
 
 緊急事態宣言から蔓延防止になって、武蔵野市と立川市の間にある国分寺市は、なぜか対象から外れていますが、コロナウィルスはそんな区別はしてくれないので、蟄居を旨とする私にとっては、庭の花々は素敵な鑑賞対象です。

 今日は土曜日、明日は日曜、毎日が日曜日の人生でも、やっぱり土曜、日曜は好天で、気持ちよい春の日和を期待するのが人情というものでしょうか。

 昨年12月、我が家の花壇にびっしり植えたに100球2000円という(売れ残り取り混ぜ)チューリップも順調に育って今や満開です。


 左端に点々とある紫色の花はツリガネ水仙で年々増える宿根草です。


 
 今年は先ず黄色が咲き出し、続いて赤橙色系統、そして最後に白の八重咲きがやっと開きました。黄色は、花びらが丸いのと、花びらの先がギザギザのがあるようで、両方とも背が高く伸びます。
 白の八重咲きは、背はあまり高くはならず、重たい八重の花を短めの茎で確り支えています。赤橙系統は、黄色と白の中間の背丈です。
 
 実は、狭い花壇では、いくらびっしり植えても100球は植えきれず、十数球残ったのは、庭のあちこちにも植えてあるので、この時期は随分賑やかです。

 そのほか家内が友人などから頂いてい来たいろいろな山野草等の宿根草もも元気に残っていて、狭いながらも自然の趣を感じさせてくれます。
 その中の一つ、割合珍しいウラシマソウが、二本向き合って咲いたので、これもついでに紹介させていただきます。


 サトイモ科で、マムシグサ、コンニャク芋、水芭蕉やカラーの仲間だそうです。

豊後梅の受粉、中間報告

2021年04月05日 15時13分25秒 | 環境
豊後梅の受粉、中間報告



 2月の26日に、毎年ほとんど実をつけない我が家の豊後梅に人工授粉をしてみたという事を書きました。

 小さなメジロや大きいヒヨドリなども来て、受粉の手伝いをしてくれましたが、人工授粉が役に立ってくれますようにと願っているうちに花は散って赤い小さな「がく」が残り,雨風にさらされていました。

 そのうち、若葉が出てくれば、それに合わせるように青い小さな梅の実がついているかどうか解るのですが、何となくそれが待ち遠しいなと思っているうちに、この数日急に若葉が出てきました。

 昨日、そろそろ実がついたのが見える頃かなと気づいて窓越しに見ますと、葉の間になにか梅の実らしいものも見えるようです。老眼鏡を外しても、夕方でよく見えないし天気も悪いので明日の朝、生ゴミを埋めるときによく見て、実がついていたら写真も撮ってこようと思っていました。。

 という事で今朝スマホを持って生ごみを埋めに出ますと、たしかに小さな実がついています。それぞれの枝を見ていきますと、受粉はまんべんなくしたのに、確り実がついているのは一番高い所の枝2~3本で、あとはところどころにポツリポツリです。

 それでも例年よりはかなり成績がいいようなので大分気をよくして、実のついて枝のところを写真にとりました。それが上の写真です。

 さて、そこでこれからですが、混んでいる所も摘果するのも、なにか勿体ないので、自然淘汰に任せることにして、6月の収穫を待つことにしました。

 以上4月時点での中間報告です。

貝母(ばいも=あみがさゆり)が盛りです

2021年03月22日 15時35分13秒 | 環境
貝母(ばいも=あみがさゆり)が盛りです
 以前にも貝母の花の写真を載せた記憶がありますが、今年も元気に咲いて来ているので、写真で紹介する事にしました。



もともと家内がお茶をやっている知人から頂いて植えたものですが、ネットで見ると栽培が結構難しいように書いてあったりします。  
 幸いなことに我が家では、放っておいても毎年元気に伸びてきて沢山の花をつけてくれます。



 ご覧の通り貝母の花は、うす緑に網状の筋があり、楚々として地味な花です。貝母ユリともいわれるようで、もともと中国原産のユリ科の属する花のようです。
 日本では、茶人が好んで使うようで、わび、さびの世界にぴったりくるのでしょうか。

 半日蔭ぐらいの所が良いのでしょうか、狭い庭の東の端のオオムラサキの下、西に端のアケボノの下が住みやすいようで群生して勢力を広げています。



 西側のアケボノの下は朝日が当たるのでリュウキンカがますます広がっていますが、その背景に貝母が立ち上がっている感じです。

 花壇にびっしりと植えたチューリップは、やっと葉が育ち始めたところです。こちらは花が咲いてから載せたいと思っています。

太陽エネルギーの効率的付加価値化:SDGsのために

2021年03月14日 16時52分43秒 | 環境
太陽エネルギーの効率的付加価値化:SDGsのために
 過日「番外編」で「付加価値って何ですか」を書きました。
 その時は、布地などの500円の材料からワイシャツをミシンを使って縫製し、1000円で売れ、500円の付加価値が生まれたと書きました。

 またその後日本の伝統文化がSDGs(持続可能な開発目標)の思想によく似合うとも書きました。これはともに、日本人がもともと綺麗な水と太陽エネルギーに感謝する気持ちを大事にするからです。

 そこで今回は、地球環境の素晴らしい自然を作り出し、維持してくれている太陽エネルギーと人間の経済活動を支える基本概念である付加価値の関係をどのように考えていったらいいかをSDGsの立場から見てみたいと思います。

太陽からの恩恵、毎日、無償で地球の生態系に提供される太陽エネルギーを最大限の経済価値に転換して週末時計を巻き戻すような生態系の循環を作り、われわれ人類も、より豊かで快適な暮らしをしていくために、いかに無償で万物に平等な太陽エネルギーを、より効率的に付加価値に変換する努力をすることが、いまこそ必要になって来ているのではないかという問題提起をしたいと思っているのです。

SDGsと日本文化について書いた折、自然は、人間が適切に返礼をすれば、それに対してより豊かな実りをもって報いてくれると書きました。これは、里山や水田を作ればより豊かな生物多様性を以て我々に応えてくれますし、畑は深く耕せが深く耕すほど、更に、適切な施肥をすれば、一層豊かな収穫を保障してくれるという意味です。

 しかるに、この100年~200年人類は、地球の自然を徹底収奪することによって、当面の豊かさを選び取ってきました。化石燃料を金に換えることに狂奔し、熱帯雨林を伐採して合板などの生産を優先し生物多様性に影響を与え、更に酸素の供給にも 負の影響を与えるような行動が加速し、更には、核分裂エネルギーの利用を進めることで地球の放射能汚染を急速に深刻化しつつある状況です。

 もともと太陽光線は時間をかけて植物を育て、植物が酸素を供給して生態系の循環を支えてきていたわけですから、そのサイクルを人間が支援し、より効率的そのプロセスが進められれば、あるいは代替物、だいたいプロセスが開発されれば、同じ太陽エネルギーで、至急環境を汚染しない、より効率的で豊かな生態系の循環が可能になるわけです。

 こうして太陽エネルギーがより効率的に使われるようになれば、もし太陽に心があれば喜んでくれるでしょうし、人類にとっても同じ太陽エネルギーからより多くの付加価値を生み出すことも可能になるわけです。言い換えれば太陽エネルギーの付加価値生産性の向上という事にもなります。

 勿論現状は、太陽が無償で提供してくれ、地球の生態系維持を可能にしている太陽エネルギーのうち、人間が付加価値化している部分などは知れたものでしょうから、太陽エネルギーの生み出す多様なエネルギー(光、熱、風、水力、海流、潮夕、などなど)、の効率よい付加価値化を追求することは、まさに、今日の人類の最大の目標の一つであるSDGsに合致するものであり、それは、顧みれば日本の伝統文化を貫いてきた思想ともまさに相容れるものでもあることに気付くのではないでしょうか。

 日本が世界に役立つことの重要な基盤に太陽エネルギーの効率的付加価値化という概念を組み込む必要があるように思うところです。

SDGsと日本の伝統文化:余談

2021年03月09日 21時17分18秒 | 環境
SDGsと日本の伝統文化:余談
 SDGs、持続化能な開発目標の大前提は先ず持続可能性でしょう。
 持続可能性ということになりますと、私は子供の時に教わったこんな歌を思い出します。
 あまり上品な歌ではありませんが

「世の中は食うて ばばして 寝て起きて
        子が親になる 子が親になる」

 これは、世の中というものは所詮こんなものだ、という事を言っているのでしょうが、考えてみると、随分意味は深いのかもしれません。
 因みに、何か解説する資料があるかと思ってネットを繰ってみましたが。この歌は発見できませんでした。

 この歌の通りに世の中が進んでいけば、人類社会の持続可能性は保証されるわけです。しかし、例えば。今回の新型コロナ禍の様な事が起きると持続可能性はあちこちで切れてしまいます。
 今日は3月10日ですが自然災害でも同じです。さらに悲惨なのは、人と人とが殺し合う戦争でしょう。

 今、SDGsで主要な課題になっているのは温室効果ガスによる地球環境の変化ですが、原爆戦争で地球環境が人が住めなくなる可能性も無きにしも非ずでしょう。( アインシュタインの予言)
 現に、一部には、化石燃料の代わりに原子力を使おうという意見もあります。

 しかし、原子力には環境汚染はないかというと、とんでもありません。核融合は別として核分裂のエネルギー利用は、長期かつ広範な放射能汚染を伴います。
簡単に言えば、時間をかけて少しづつ原爆戦争をやっておるようなものです。

 オンカロの事はすでに書きましたが(下記10万年前、10万年後参照)、放射能は10万年も残ります。トイレの無いマンションにトイレを作り結局は埋めたり海に流したり空中に放出したりで汚染は10万年後迄堆積します。放射能の半減期は決まっていますからどうにもならないでしょう。

 例えば東海事業所の汚染水も、フランスの再処理工場の汚染水も結局は海に流す以外にはないのです。
 10万年前、ホモサピエンスは何をしていたか「 10万年前、10万年後」で触れましたが10万年はホモサピエンスの歴史には長すぎます。

 SDGsの立場からは、結局、核分裂のエネルギーは利用しない方が良いのでしょう。
 こうして結論は矢張り太陽エネルギーに戻って来ます。

 太陽光も、太陽熱も、風力も、水力も、海流もすべては日々降り注ぐ太陽エネルギーの所産です。これを如何に巧く活用するかが腕の見せ所でしょう。

 「子が親になる 子が親になる」というサイクルが安定して繰り返されるためのエネルギーは、幸にも太陽が無償で提供してくれているのです。

日本の伝統文化はSDGsに良く似合う

2021年03月09日 00時19分17秒 | 環境
日本の伝統文化はSDGsに良く似合う
 現在、終末時計は残り100秒だそうです。
 SDGsが言われる所以ですが、方向転換は容易ではありません。 

 何とか終末時計を少しでも巻き戻すには、SDGsを徹底する以外にありません。
 SDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)の、問題は「持続可能」という言葉でしょう。

 今やっていることを続けていくことが出来るのか出來ないのか、あらゆることにこの判断が必要になるのでしょう。

 今、喫緊の課題は、温室効果ガスの削減です。このままCO2をはじめとした温室効果ガスを出し続けることは地球環境を壊滅させると予想されています。日本も2050年までにCO2排出実質ゼロを掲げました。

ところで、ここで考えてみたいのは、日本は伝統的に「自然」を大事にしてきたということです。
地球環境を守るということは、地球の自然を大事にするということです。

 地球は46億年の歴史の中で火だるまの鉱物の塊から多様な変遷を経て生物の原型が発生し、それが進化してヒトにまでなったのが400万年ぐらい前、いわばつい最近です、我々ホモサピエンスが生まれたのはせいぜい30万年ぐらい前の事でしょう。

そんな奇跡の発展を可能にした地球の自然を、ホモサピエンスがこの100~200年の間に生物多様性の存在を許さないような環境にしてしまう可能性があるというのです。
具体的にいえば、多様な生物が住めないような自然環境にしてしまうということです。勿論多様な生物の中には人間もはいることになるのでしょう。

残念ながら、今の日本人は舶来尊重のあまり、日本の伝統文化を忘れ去ってしまったような気が私はしているのです。

日本人はもともと自然を大事にして繁栄してきたのです。山川草木に霊性を認め、自分たちも自然の一部と認識し、自分たちの生存の原点が自然の恵みにあることをよく理解し、常に自然にその返礼をしながら発展してきたのです。

自然の恵みに感謝し返礼をすれば、自然はより豊かな恵みを与えてくれる、というのが基本的な思想だったのです。

典型的な例は、里山や田んぼでしょう。急峻な日本地形の山と里の中間に、動物と人減の緩衝地帯を作り、また急峻は流れを蛇行させ網の目の水路を作り、水田耕作をする。
人間が自然に手を入れることにより、人間と動物の交流の場、狩猟の場が生まれ、網の目の水路は扇状地の上にも豊かな水田が可能なるのです。
また、山を育てれば海が育つといった関係を理解し、山林面積を多く残し豊かな海産物を利用しているのです。
これらはすべて人間と自然のwin=winの関係で、持続可能な開発を可能にするものです。

本来地球上に生物が発生し、ホモサピエンスにまで進化したのは、地球に水があり、太陽が無償のエネルギーを与えてくれているからにほかなりません。

こう考えてくれば、SDGs実現の基本は、水を汚さないこと、そして太陽エネルギーを感謝しつつ最大限の利用をあらゆる科学技術の開発で実現していくという事でしょう。
毎日無償で与えられている太陽エネルギー、これを徹底利用すれば人類にはあり余る程のエネルギー活用が可能になるのではないでしょうか。

三寒四温、遅咲きの豊後梅の蕾膨らむ

2021年02月26日 19時54分16秒 | 環境
三寒四温、遅咲きの豊後梅の蕾膨らむ
 日本列島も気候変動で大雪、旱魃などいろいろと大変ですが、有り難い事に今年の都下国分寺は比較的平穏な天候です。

 昔から、この時期には、三寒四温、五風十雨などと言われますが、幸なことに何かそれが当て嵌まるような気もするなどと言いながら、コロナ蟄居で窓から外を眺めています。

 三寒四温の方は、もう少しサイクルが早く日替わりのようで、昨日は風が冷たくても日差しが強く日中は暖かく、今日は風はありませんが曇りで薄ら寒い日です。明日はまた晴天の予報です。そして今年も桜は早いようです。

 五風十雨の方は、関東平野は、必ずしも中国の諺どおりではありませんが、5日に1日風の日、10日に1度雨の日、という所でしょうか、これで今年も豊作なら結構という感じです。

 勿論桜の蕾はまだ膨らんでいないようですが、 我が家の遅咲きの豊後梅はようやく蕾が膨らんできました。
豊後梅は梅の中では遅咲きですが、わが家の遅咲きは日当たりが悪いせいで、近所ではもう咲いています。



ところで話の本題は、我が家の豊後梅は二代目で、先代はずいぶん実がなったのですが、今のは殆ど実がなりません。花は綺麗に咲くのですが、品種の違いか日当たりのせいかなと思っていました。  

ところが先日友人が、「家の梅も実がならないので、去年思いついて花が咲いた時、受粉をしてやったんですよ。そしたら結構実がつきましてね・・」という話をしてくれたのです。

ということで、やっと蕾が膨らんできたところですが、満開になったら、友人の真似をして受粉をしてみようと思っているところです。

これでうまくいったら、また以前のように、わが家の梅で自家製の梅酒が堪能できると、「取らぬ狸の皮算用」です。

結果は、時期が来ましたら、是非、報告させて頂きたいと思います。

大寒の霜柱、片隅の春:リュウキンカ

2021年01月31日 10時12分16秒 | 環境
大寒の霜柱、片隅の春:リュウキンカ
 今日で1月も終わり、もうすぐ今年は1日早い立春です。

 暦が「まだ大寒ですよ」と言いたかったのでしょうか、都下の国分寺では早朝の気温は零下2℃、寒い朝でした。

 朝の日課、生ごみを庭の端に掘った穴に捨てに出ましたら、狭い庭もチューリップの球根を植えた花壇も霜柱で一段高くなっていました。

 今年はずっとカラカラに乾いていましたので、霜柱が立たなかったのですが、先日来の霙や雨で立派な霜柱が立ったようす。

「 サクサクと霜柱を踏んで」という昔の教科書の一説を口の中で暗唱しながらごみを処理して、振り返れば、踏んだところは、2㎝近い霜柱が横倒しに倒れていました。



 その足で玄関わきの塀際のリュウキンカ(立金花)を見に行きました。ここは午前中だけ日が当たるところで、ここのリュウキンカの株は開花が最も早いのです。開花に気づいたのは昨日夕刊を取りに行った時ですが、予想通り、未だ1輪だけですが綺麗に咲いていました。





 このところ、わが家の庭で最も早く咲いてくれる花としてリュウキンカの事は、毎年このブログで取り上げているのですが、昨年「今年は早く」と書いたのが 2月の15日です。

 それにしても今年の早さは異常で、まだ1月、大寒の最中です。(なぜこんなに早いのかは解りませんが)
 確かにあけぼのつつじの下の株などは、未だ良く見れば蕾が出てきた程度ですが、玄関の塀際の株の開花の速さは驚きです。

 やはり毎朝、朝日を浴びると植物も特別元気が出るのでしょうか。そういえば今年は晴天の日が多かったですね。よく見ると同じように日の当たる玄関わきの窓の下の原種のチューっリップも、細い鋭い浅緑の葉が、少しづつ伸びてきていました。



 狭い庭でも、大寒と早春が混在する面白さを、すっきり晴れた空の下で爽やかに感じる日曜日の朝でした。 








 

皇帝ダリア今年は順調

2020年11月12日 13時38分52秒 | 環境
 秋が深まると楽しみにしているのが、皇帝ダリアの開花です。
 今年は、都下の三多摩地区は、有り難いことに、台風の直撃もなくて、皇帝ダリアは順調に育ちました。




 風で倒れないようにと丈夫な幹4本を、なるべく広がらないように、お隣の庭までフェンスを越えていかないようにまとめ、風で倒れないように、出来るだけ直立すように、ノウゼンカズラの根にまとめた紐を引っ張って結んでおきました。

 皇帝ダリアの幹は夏の間ぐんぐん伸びて太くなり、9月ごろ一度伸びが止まります。そして少し寒くなる9月下旬あたりでしょうか、その上に新しい幹が急速に伸び、3mぐらいまで背丈を伸ばし、10月下旬ぐらいにはその先に蕾の枝分かれが出て来るという育ち方です。

 去年は台風で倒れたのを折れていないものだけ何とか起こして花まで持っていきましたが、丈は2mちょっとぐらいでした。今年は優に3mはあります。蕾の数も随分多いようです。
 
 昨日は朝から真っ青な空でそたから、「今日がチャンス」と写真を撮りました。
 一番高いのにまず花が開き、2、3日遅れて二番目に高いのに、3番手、4番手は今日少しほころび始めています。通りを通る人にも眺めて頂けそうです。

  皇帝ダリアは霜が降りれば枯れてしまします。初霜までの短い寿命で、蕾が全部開くのは難しいかもしれませんが、ここ当分楽しめそうです。

自然の造形の妙、こんなキノコも!!

2020年10月25日 14時37分00秒 | 環境
 我が家では、台所のごみはすべて庭の隅に穴を掘って埋めることにしています。

 直径30㎝位の穴をなるべく深く掘って毎朝捨てに行くことになっていますが、シャベルでつついて土と混ぜておくと1か月以上OKです。一杯になったら隣に穴を掘ります.。それが一杯になる頃には初めの穴のごみは良い肥料になっています。

 昨日の朝、ごみを捨てに行ったとき、その穴の縁あたりに、何かカビのような小さな灰色の塊が群生しているのを見て、何だろうと思っていました。

 老眼鏡をかけてなかったのではっきり見えませんが、キノコなど菌類には興味を持っていますので、後から確り見に来ようと思っていました。

 午前中は忘れていて、午後、庭の雑草かじりでもしようかと庭へ出て思い出し、老眼鏡とスマホを用意してみてみました。

 よく見ると直径1㎝弱のカビの塊と思ったのはキノコなのです。掘った穴の左側の縁のあたりに何10本か生えてきています。



 なんで急に生えてきたのか解りませんが、捨てたごみに菌糸があったのでしょうか、それとも、よく来る雀やムクドリ、ひよどりなどのおみやげか、いずれにしても面白いので写真を撮った次第です。

 以前も皇帝ダリアの枯れた後に ムササビタケ というキノコが生えてきたことを書きました。これは昔から持っている『菌類』という図鑑で調べたら「むささび茸」というキノコだと解りました。食用と書いてるので、お付けの身にしようかといって、家内に一言で拒絶されたことはこのブログでも書きました。

 今回のキノコも、見たこともないものなので、早速上記の図鑑で調べてみましたが、残念ながら出ていませんでした。

 しかし、上の写真を見ていただくとお分かりのように、とても美しいキノコで、まさに自然の造形の妙というべきもののような気がしています。練達の職人が作った蛇の目傘にうっすらと雪、とでも言えばいいのでしょうか。

 狭い庭の台所のごみ捨ての穴の縁でも、自然は、こんな美しいものをそっと置いてくれるのです。お蔭様で昨日は1日いい気分でした。今朝行ってみましたら、もう新しいのがほんのまばらに開いているだけでした。

 


雨のち晴れ、ススキは元気

2020年10月15日 11時26分19秒 | 環境
雨のち晴れ、ススキは元気 
 今年は、例年晴れの特異日だった10月10日の体育の日も、8月にとられてしまったせいか雨でした。なにか「秋の長雨」の気配の日々です。

 その中で一昨日の13日は朝から晴れでした。天気予報が「洗濯日和」といっていましたが、その通りでした。朝日を浴びて庭のススキが光っていました。



 もうだいぶ昔ですが、家内が「葉が矢絣だから」と言ってススキの株を分けてもらってきました。その後、ススキの株は毎年大きくなって、この数年は毎年真ん中だけ残して、周りは春から夏まで伸ばさないように刈り込んでいます。

 今年は思い切って刈り込んで、一握りぐらいだけ残したつもりでしたが、それでも、立派に伸びてくれて8月末には出穂、遅かった中秋の名月までもつかと思われましたが、ずっと元気で、台風崩れの雨た、その後の秋の長雨にも耐えて、未だすっきりと端正にしています。

 ススキが高く伸びていると、狭い庭も少しは広く見え、毎年これこそ秋の風物詩だと、何時もいい気分で見られるのは大変有難いことだと思っています。

 もう少しするとススキの穂もぼわっと膨らんで、縁起物のフクロウを作るのに最適のようになるのでしょうが、それまではもう少しの間、日々楽しめると思っています。

暑かった夏、秋の気配と残暑の花

2020年09月17日 15時43分35秒 | 環境
出穂が例年より遅かったススキ


夏から秋まで100日頑張る矮性の百日紅(さるすべり)


今年は残暑も乗り切って元気なノウゼンカズラ



 今週末からの連休は秋の彼岸、「熱い、寒いも彼岸まで」と言われますが、暑かった夏も過ぎたようで、漸く涼しくなりました。

 今最も暑いのは政治の世界といいたいところですが、何かこちらも、半分とは言いませんが3分の1ぐらいしらけていて、熱気や期待感も、もう一つ足りないようです。やはり「安倍路線の継承」という一言が影響しているのでしょうか。

 涼しくなって、 熱中症の恐れはなくなりましたが、今度は、インフルエンザと新型コロナも競合問題でしょうか、当分安心できない状態が続きます。

 今月19日から、県をまたいでの往来の自由化で、国内ならどこからどこへ行ってもOKという事になり、経済活動は一層活発になるという予想で、期待の声も多く、街も少しづつ活気が出て来るのかもしれません。

 とは言え、新型コロナ対策は、何も変わった事はないので、これで第3波が来るのかどうかも誰にも解りません。

 勝手な予測をすれば、やはり新規感染者は多少は増加するでしょう。しかし、前回のこのブログの「うつのみや観光」の例もありますように、民間では企業も個人も、政府の言葉を借りればまさに「自助努力」でいろいろな対策を講じ、新規感染者が増えないように多様な努力するでしょうから、大きな波にはならないと考える(本当は「願う」)所です。

 それでも、我々のような高齢者は、まず感染したら「アウト」でしょうから。中央線に乗って都心へ行っても、新宿や神田や丸の内のレストランで食事をしても、車で出かけて、サービスエリアや道の駅で食事や買い物をしても、感染の確率が100万分の1以下になるまで(確率が100万分の1以下になると人間は確率ゼロと同じに認識するそうですので)出来るだけそれまで家に謹慎蟄居して安全を守り、家族感染も絶対しないように努力するしかないと思って行動しています。

 お蔭様で、いままで、スーパー、コンビニ、近所のかかりつけ医、車の高齢者講習、免許更新で試験場など行きましたが、運よく無事過ごしていますので、ここにきて、九仞の功を一簣に欠くようなことはしたくないというのが正直な心境です。

 という事で、狭い庭の花などを愛でて、四季のうつろいの中に感受性の涵養や自然への感謝と同化のすすめを実行することにしています。
 以上年寄りのたわごとですが、季節の花なの写真に免じて、御寛恕ください。