政治資金規正法騒動の中で、最初からおかしいなと違和感を持っていたのは、この騒動の中で言われていた「政治にはカネがかかる」という言葉でした。
しかし自民党、公明党、それに日本維新の会の諸先生方がみんな賛成して改正法が衆院をすんなり通過し、言葉にうるさいマスコミでも「政治にはカネがかかる」という言葉に疑問を呈したのを見なかったものですから、この違和感は、私の認識や理解が間違っているのかとも思ったりしていました。
改正法成立で賛成と反対がはっきりしましたから、この際、やっぱり確かめておこうと思って、ウィキペディアを引いてみました。
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ウィキペディアで「政治とは」と引きますと、
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政治(せいじ)とは、国家の意思決定機関である主権をもとに、共同体の領土や資源を管理し、それに属する構成員間あるいは他共同体との利害を調整して社会全体を統合する行為、もしくは作用全般を指す言葉である[1]
広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。」とする[2]。
大辞泉では「1. 主権者が、領土・人民を治めること。2. ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。」とした[3]。
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、政治を研究する政治学を《善い社会》の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけた。
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と出て来ます。
民主主義社会では、これは、立法、司法、行政という活動をすべて含むと考えるべきでしょうか。
これはたしかにカネがかかることです。勿論それは国民も理解しています。ですから国民はきちんと税金や社会保険料を払っているのです。国民負担率は国によりますが、日本では50%弱で、昔から「五公五民」などと言われていたようです。
ところが、今、政治資金規正法騒動の中で意識されている政治資金というのは、税金以外のものです。そして、何に使うかは出来るだけ解らなくしておかねばならないというのがその性格です。
「然し隠すより現れる」で、多分、殆ど選挙資金でしょうと言われています。
少し長くなりますが、ここで社会における重要な類似の活動の例を挙げてみましょう。
医療というのは国や社会ではなくて人間の体の働きを整える仕事です。ですから勿論医療にはカネが掛ります。「医療・介護にカネが掛る」と言えば、個人的にも、国家財政でもみんな納得します。
然し医療従事者の仕事は誰でも出来るものではありません。努力して資格を取らなければなりません。
医療に金がかかると言えば理解されても、医療従事者になるのにカネが掛るといったら「カネでなったら患者がたまらん。ちゃんと勉強してなってくれ」と言われるでしょう。
政治家も同じではないでしょうか。それなのに、「政治にカネがかかる」という言い方で、そのための法律まで整備して、カネをかけて政治家を作る事を正当化しようとする政治家のグループがあり、その3大グループが今回明らかになったという事なのではないでしょうか。
いま日本は、経済を含め30年来のかなり重症の病気です。それを治す医者(政治家)にはカネでなく「志や勉強」を大事にする人になってもらいたいと思います。