経済成長の原動力 その2
1990年代の後半、何年か続けてベトナムにいく機会がありました。ベトナムがいよいよ本格的な経済成長の時代に入る頃でした。
日本は当時、円高とバブルの崩壊によるダブルデフレ で、いわゆる「失われた10年」の真っ最中、経済成長率はゼロとかマイナスで、日本人は全く元気がありませんでした。
ベトナムにいってみると、まさに正反対、街は活気にあふれ、当時、若者たちが、中古のホンダ・スーパーカブに乗って、夜中まで街を疾走しているのです。
ハノイではまだ、モーターバイクは少数で大多数は自転車でしたが、ホーチーミンではモーターバイクが随分多くなっていました。
夜中の街を切れ目なくバイクの行列が走り続けていくのです。
「夜中までバイクに乗って何をしてるんですか」
「うちにいても熱いし、バイクに乗ると涼しいから。要するにバイクを楽しんでいるんですよ」
「でもバイクは高いんでしょう」
当時ベトナムでは月給の平均は5000円か1万円程度、それで10万円もするような中古バイクを買っているというのです。
たまたま知っている現地の人に聞きましたら、「自分でも貯めて、足りない分は、親や親戚にまで借りて買っているんですよ」ということでした。
バイクに乗りたくて仕方がない、後ろに彼女を乗せて走りたいとの思いで借金してバイクを買って、ただ楽しんで走るだけであれば、バイクが壊れ、ガソリン代がなくなればそれで終わりです。
しかし、そうした多くの人の願望達成が刺激になり達成動機になって、本人も家族も働いて、バイクのための借金を返済し、今度はもう少し良いバイクを買おうと努力して働くプロセスで、国の経済活動としては、それがバイク工場を誘致となって生産力が生まれ、国民はそこで働いて所得を増大し、購買力も増えることになり、結果的に、生産も消費も増えて、「経済成長」は実現するということになるようです。
何年かするうちに、バイクは輸入中古品から国産になり、新車が多くなり、街全体をふくめて、ベトナム経済全体が様変わりになった頃には21世紀を迎えていました。
1990年代の後半、何年か続けてベトナムにいく機会がありました。ベトナムがいよいよ本格的な経済成長の時代に入る頃でした。
日本は当時、円高とバブルの崩壊によるダブルデフレ で、いわゆる「失われた10年」の真っ最中、経済成長率はゼロとかマイナスで、日本人は全く元気がありませんでした。
ベトナムにいってみると、まさに正反対、街は活気にあふれ、当時、若者たちが、中古のホンダ・スーパーカブに乗って、夜中まで街を疾走しているのです。
ハノイではまだ、モーターバイクは少数で大多数は自転車でしたが、ホーチーミンではモーターバイクが随分多くなっていました。
夜中の街を切れ目なくバイクの行列が走り続けていくのです。
「夜中までバイクに乗って何をしてるんですか」
「うちにいても熱いし、バイクに乗ると涼しいから。要するにバイクを楽しんでいるんですよ」
「でもバイクは高いんでしょう」
当時ベトナムでは月給の平均は5000円か1万円程度、それで10万円もするような中古バイクを買っているというのです。
たまたま知っている現地の人に聞きましたら、「自分でも貯めて、足りない分は、親や親戚にまで借りて買っているんですよ」ということでした。
バイクに乗りたくて仕方がない、後ろに彼女を乗せて走りたいとの思いで借金してバイクを買って、ただ楽しんで走るだけであれば、バイクが壊れ、ガソリン代がなくなればそれで終わりです。
しかし、そうした多くの人の願望達成が刺激になり達成動機になって、本人も家族も働いて、バイクのための借金を返済し、今度はもう少し良いバイクを買おうと努力して働くプロセスで、国の経済活動としては、それがバイク工場を誘致となって生産力が生まれ、国民はそこで働いて所得を増大し、購買力も増えることになり、結果的に、生産も消費も増えて、「経済成長」は実現するということになるようです。
何年かするうちに、バイクは輸入中古品から国産になり、新車が多くなり、街全体をふくめて、ベトナム経済全体が様変わりになった頃には21世紀を迎えていました。