世界経済は将来どちらを選ぶか:金融機能のあり方 1
今回は今年3月7日の「蓄積社会に必要な金融の安定」の続きです。
このブログでは、これまで、いろいろな言い方で金融の問題を取り上げてきましたが、基本は次のように考えてのことです。現生人類は発生以来その能力(脳力)を活用し、「働く」ことによって、より豊かで快適な生活を実現してきました。
具体的に言えば、人間は、地球の自然に働きかけ、自然と共存、共栄の関係の中で、ここまでの実績(生産性向上成果)を上げてきました。
その成果は、通常、GDP(付加価値)という形で測られます。A.マズローの欲求5段解説になぞらえて言えば、GDPが小さいうちは基礎的な欲求を満たすことが中心ですが、「1人当たりのGDP」(付加価値生産性)が大きくなれば、それはより高次の欲求の満足に使われるようになり、人間生活は、多様な意味でより快適なものになります。
ここには1つの基準があります。それは、人間生活の豊かさ、快適さの大きさを決めるのは、「生産性」であるという原則です。
個人でも、社会でも、地球全体でも、より良い生活を実現するためには、「生産性」を上げねばなりませ。
芸術活動のようなものに、生産性概念を当てはめるのは芸術の冒涜だという考え方もあるでしょう。私も賛成です。
しかし、孤高の芸術家が、どんな素晴らしい絵をかいても世の中がみんなその日の生活に追われていたら、その絵はいつか朽ち果てるでしょう。
世の中が豊かであって初めてその絵は発掘され、立派な美術館に飾られ、世界中の人々がその絵を鑑賞し、より快適な「素敵な人生」を実現することが出来ます。芸術作品の価値も、その社会の「生産性」が高まらなければ生きてきません。
より快適で素晴らしい世の中も、矢張り「生産性の水準」に依存しているのです。
ところで、金融の所得の中には、付加価値生産に協力して、その中からの分け前に与る所得と、他人の作った付加価値を、自分の所に移転させる所得とがあることはご存知の通りです。大まかに分けて、前者をインカムゲイン、後者をキャピタルゲインと言います。
今。アメリカの推進する政策は、この両者を同じゲイン(所得)として認めようとしているようにしか見えません。これが良いのでしょうかというのが第一の疑問です。
今回は今年3月7日の「蓄積社会に必要な金融の安定」の続きです。
このブログでは、これまで、いろいろな言い方で金融の問題を取り上げてきましたが、基本は次のように考えてのことです。現生人類は発生以来その能力(脳力)を活用し、「働く」ことによって、より豊かで快適な生活を実現してきました。
具体的に言えば、人間は、地球の自然に働きかけ、自然と共存、共栄の関係の中で、ここまでの実績(生産性向上成果)を上げてきました。
その成果は、通常、GDP(付加価値)という形で測られます。A.マズローの欲求5段解説になぞらえて言えば、GDPが小さいうちは基礎的な欲求を満たすことが中心ですが、「1人当たりのGDP」(付加価値生産性)が大きくなれば、それはより高次の欲求の満足に使われるようになり、人間生活は、多様な意味でより快適なものになります。
ここには1つの基準があります。それは、人間生活の豊かさ、快適さの大きさを決めるのは、「生産性」であるという原則です。
個人でも、社会でも、地球全体でも、より良い生活を実現するためには、「生産性」を上げねばなりませ。
芸術活動のようなものに、生産性概念を当てはめるのは芸術の冒涜だという考え方もあるでしょう。私も賛成です。
しかし、孤高の芸術家が、どんな素晴らしい絵をかいても世の中がみんなその日の生活に追われていたら、その絵はいつか朽ち果てるでしょう。
世の中が豊かであって初めてその絵は発掘され、立派な美術館に飾られ、世界中の人々がその絵を鑑賞し、より快適な「素敵な人生」を実現することが出来ます。芸術作品の価値も、その社会の「生産性」が高まらなければ生きてきません。
より快適で素晴らしい世の中も、矢張り「生産性の水準」に依存しているのです。
ところで、金融の所得の中には、付加価値生産に協力して、その中からの分け前に与る所得と、他人の作った付加価値を、自分の所に移転させる所得とがあることはご存知の通りです。大まかに分けて、前者をインカムゲイン、後者をキャピタルゲインと言います。
今。アメリカの推進する政策は、この両者を同じゲイン(所得)として認めようとしているようにしか見えません。これが良いのでしょうかというのが第一の疑問です。