tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

為替レートと経済価値基準

2012年04月07日 22時27分02秒 | 経済
為替レートと経済価値基準
 支点があれば地球を動かすといったのはアルキメデスだったでしょうか。幾何学では点の位置を示すのに直交するx軸とy軸の座標を書き、原点からそれぞれの軸にそった距離を測って(x,y)という形で正確な位置を示します。メートル法にはメートル原器があり厳格に保管されています。人に対しても「あの人は軸のぶれない人だから信用できる」などと言います

 すべて物事を計測、評価する場合には、基準を明確にしなければなりません。
 ところで、経済というのは、経済的な価値を計測し評価する活動が基本になります。
 一国経済の規模を表すGDP,国民の生活のレベルを示す消費水準、経済活動の効率を表す生産性、などなど、すべて通貨価値を基準にして計測されて示されます。

 一国内の経済活動についてはこれでいいのでしょう。米ドル、ユーロ、人民元、円、皆それぞれの国ないし通貨圏の中ではそれぞれの中央銀行によって管理され、それぞれの国内の共通の経済価値基準として認識され、それなりの信用を維持しています。

 しかし、今は、経済グローバル化の時代です。グローバル化が本格化すればするほど、国際的な経済価値の基準が安定したものでなければなりません。
 ところが、現実を見てください。グローバル化が進むのと反比例するように、国際価値基準の不安定性、不規則な変動が激化し、しかも、それが殆ど放置されています。アメリカは赤字を垂れ流し続け米ドルは基軸通貨の用をなしません。

 何故なのか? これが、今の国際経済体制について持っている私の第二の疑問 です。
 世界には、ノーベル賞をもらった人々も含め、優れた経済学者は山ほどいます。優れた社会学者も哲学者も思想家もいくらでもいます。大国の政権担当者やリーダーは、そうした頭脳を政策に活用することはいくらでもできるはずです。

 それなのに現実を見れば、第二次大戦の惨禍の反省の上に先人(優れた政治家や思想家)の主導で築かれたブレトンウッズ体制は、とうに打ち捨てられて顧みられることもなく、ヨーロッパ平和の理想の上に築かれたEU、ユーロ体制は加盟国の内紛にまみれ、それらを栄養に増殖する国際投機資本が、国際経済の価値基準である為替レートを勝手に操るような無秩序が蔓延しています。

 国内を見渡せば、リーダーたちは、為替不安の泥沼に沈む日本経済の中で、非現実的な成長数字を前提に、政策論議と政権抗争に明け暮れ、唯一、大震災被災地の普通の日本人がその悲惨な状況にもめげず、整然と生真面目に行う行動だけが、世界に感銘を与えるといった状況です。これでいいのでしょうか。