参議院の存在意義
かつて第二次臨調で行革が論議されたころにも、衆議院のコピーでしかない参議院などは意味がない、止めたらどうかという意見がありました。
今回の参議院選挙の中でも、「ねじれ」がなければ参議院は衆議院のコピーになってしまう、という意見が聞かれたりします。
では、ねじれがあった方がいいのでしょうか、と言えば、誰しも、ねじれがなければならないとは考えていないでしょう。もともと、参議院には衆議院とは違った役割があるからこそ二院制になっているということのはずです。
議会制民主主義発祥の地と言われるイギリスを始めほとんどの民主主義国家は二院制です。これは、それぞれの国の政治の歴史的経験・教訓から、二院制の方が、チェック・アンド・バランスの効果が発揮され、政治が安定すると考えられてきたからでしょう。
もともと上院を指す senate と言うのは「元老院」という意味で、下院を指す commons とか representatives というのは一般庶民あるいはその代表という意味でしょう。もちろん上院には貴族院という言い方もあったわけです。
いずれにしても、上院と下院とではその役割が違っていて、庶民の意見を代表する下院と、それを一段高い識見・良識で判断し、誤りのない政治をしようというというのが本来の二院制の趣旨だということですし、日本でも参議院が、以前から「良識の府」と言われるのはそういう意味でしょう。
例えて言えば、衆議院で国際関係を「力を誇示して」という論議があったら、参議院では「力では解決しない、知恵で解決を」という識見を示すといった意味でしょう。
しかし国民を差別することがなくなった今の社会では、当然のことながら、上院と下院を区別するものは、被選挙権と任期制で差をつけるぐらいですが、それも現実にはほとんど意味を持ちません。衆議院と同じ政党の主張ばかりが聞こえてきます。
参議院にその存在意義を持たせるにはどうすればいいのでしょうか。参議院議員に、あなたは常に「良識を発揮」しなければなりませんと言っても多分詮無いことでしょう。
この状況の中で、矢張り二院制がいいという本質的な論拠を見つけるのは、残念ながら、かなり大変だと思いませんか。
せめて国民に出来ることは、何とか本来の参議院の意味を取り戻してもらうために選挙に行くという事でしょうか。
かつて第二次臨調で行革が論議されたころにも、衆議院のコピーでしかない参議院などは意味がない、止めたらどうかという意見がありました。
今回の参議院選挙の中でも、「ねじれ」がなければ参議院は衆議院のコピーになってしまう、という意見が聞かれたりします。
では、ねじれがあった方がいいのでしょうか、と言えば、誰しも、ねじれがなければならないとは考えていないでしょう。もともと、参議院には衆議院とは違った役割があるからこそ二院制になっているということのはずです。
議会制民主主義発祥の地と言われるイギリスを始めほとんどの民主主義国家は二院制です。これは、それぞれの国の政治の歴史的経験・教訓から、二院制の方が、チェック・アンド・バランスの効果が発揮され、政治が安定すると考えられてきたからでしょう。
もともと上院を指す senate と言うのは「元老院」という意味で、下院を指す commons とか representatives というのは一般庶民あるいはその代表という意味でしょう。もちろん上院には貴族院という言い方もあったわけです。
いずれにしても、上院と下院とではその役割が違っていて、庶民の意見を代表する下院と、それを一段高い識見・良識で判断し、誤りのない政治をしようというというのが本来の二院制の趣旨だということですし、日本でも参議院が、以前から「良識の府」と言われるのはそういう意味でしょう。
例えて言えば、衆議院で国際関係を「力を誇示して」という論議があったら、参議院では「力では解決しない、知恵で解決を」という識見を示すといった意味でしょう。
しかし国民を差別することがなくなった今の社会では、当然のことながら、上院と下院を区別するものは、被選挙権と任期制で差をつけるぐらいですが、それも現実にはほとんど意味を持ちません。衆議院と同じ政党の主張ばかりが聞こえてきます。
参議院にその存在意義を持たせるにはどうすればいいのでしょうか。参議院議員に、あなたは常に「良識を発揮」しなければなりませんと言っても多分詮無いことでしょう。
この状況の中で、矢張り二院制がいいという本質的な論拠を見つけるのは、残念ながら、かなり大変だと思いませんか。
せめて国民に出来ることは、何とか本来の参議院の意味を取り戻してもらうために選挙に行くという事でしょうか。