格差の拡大:マルクスの時代、ピケティの時代 1
格差問題が世界的に問題になっている中で、ピケティ人気は続いているようです。やはり我々庶民は格差の拡大には敏感で、格差縮小を言うピケティに共感します。
ピケティの実証したことは、資本主義社会では通常、金持ちは益々金持ちになり、それは世代を超えて続き、それにストップをかけたり逆回転させるのは、経験的には、戦争、恐慌、それに加えて、第二次大戦後の高度成長期だったということです。
かつて、マルクスも資本家は富み、労働者は貧困に喘ぐと言ってマルクス主義を説きました。マルクスもピケティも、社会正義を掲げて論陣を張ったということでしょう。
ところで、マルクスの時代の資本の増殖過程、資本家がますます富み、格差が拡大するプロセスというのは基本的にこんなことだったあのではないでしょうか。
資本を持つものは事業を起こし、労働力を安く使って大きな利益を上げ、それで事業を拡大し益々利益を上げる。資本家の資本は蓄積・拡大、増殖する一方で、労働者は安い賃金で酷使され、搾取の対象となり、何時までも貧しい。
こんな資本主義は長続きするはずがないとマルクスは正義感を持って資本論を書いたのでしょう。
しかし資本主義は変わりました。企業経営では 経営者革命で資本家は後退、経営は「経営者」の手によって行われ、賃金は労働組合との交渉で決まり、政治では社会保障制度が生まれ、福祉国家の概念が生まれ、格差の拡大は止まりました。戦後の高度成長期が典型です。
北欧は福祉国家といわれ、日本は一億総中流といわれました。結果は資本主義が生き残り、全体主義に堕した共産主義は崩壊しました。
これで資本主義は健全な経済社会を齎すシステムとなり、世界経済は安定するかに思われましたが、事態は思わぬ方向に発展し、ピケティの格差拡大論が人気を博すような困った状態になりました。
その理由は(繰り返し述べていますが)マネーゲーム、金融工学が正常な経済活動だとする「マネー資本主義」の跳梁です。
マルクスの言葉を借りれば、今世界経済の中で我が物顔に振る舞っている「妖怪」は「マネー資本主義という妖怪」です。そして、これは「正義の味方」ではなく、資本主義の産み落とした「 鬼子」で、所得・資産格差の拡大を齎す元凶です。
ピケティの時代の格差拡大のメカニズムは、マルクスの頃とはだいぶ違うようです。今日では資本は「生産活動」を経由することなく、資本が直接に資本を生んでいるのです。(以下次回)
格差問題が世界的に問題になっている中で、ピケティ人気は続いているようです。やはり我々庶民は格差の拡大には敏感で、格差縮小を言うピケティに共感します。
ピケティの実証したことは、資本主義社会では通常、金持ちは益々金持ちになり、それは世代を超えて続き、それにストップをかけたり逆回転させるのは、経験的には、戦争、恐慌、それに加えて、第二次大戦後の高度成長期だったということです。
かつて、マルクスも資本家は富み、労働者は貧困に喘ぐと言ってマルクス主義を説きました。マルクスもピケティも、社会正義を掲げて論陣を張ったということでしょう。
ところで、マルクスの時代の資本の増殖過程、資本家がますます富み、格差が拡大するプロセスというのは基本的にこんなことだったあのではないでしょうか。
資本を持つものは事業を起こし、労働力を安く使って大きな利益を上げ、それで事業を拡大し益々利益を上げる。資本家の資本は蓄積・拡大、増殖する一方で、労働者は安い賃金で酷使され、搾取の対象となり、何時までも貧しい。
こんな資本主義は長続きするはずがないとマルクスは正義感を持って資本論を書いたのでしょう。
しかし資本主義は変わりました。企業経営では 経営者革命で資本家は後退、経営は「経営者」の手によって行われ、賃金は労働組合との交渉で決まり、政治では社会保障制度が生まれ、福祉国家の概念が生まれ、格差の拡大は止まりました。戦後の高度成長期が典型です。
北欧は福祉国家といわれ、日本は一億総中流といわれました。結果は資本主義が生き残り、全体主義に堕した共産主義は崩壊しました。
これで資本主義は健全な経済社会を齎すシステムとなり、世界経済は安定するかに思われましたが、事態は思わぬ方向に発展し、ピケティの格差拡大論が人気を博すような困った状態になりました。
その理由は(繰り返し述べていますが)マネーゲーム、金融工学が正常な経済活動だとする「マネー資本主義」の跳梁です。
マルクスの言葉を借りれば、今世界経済の中で我が物顔に振る舞っている「妖怪」は「マネー資本主義という妖怪」です。そして、これは「正義の味方」ではなく、資本主義の産み落とした「 鬼子」で、所得・資産格差の拡大を齎す元凶です。
ピケティの時代の格差拡大のメカニズムは、マルクスの頃とはだいぶ違うようです。今日では資本は「生産活動」を経由することなく、資本が直接に資本を生んでいるのです。(以下次回)