tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

コンセンサス社会日本と社会経済政策

2016年02月18日 12時05分39秒 | 経済
コンセンサス社会日本と社会経済政策
 前々回の続きです。 前々回の最後にも書きましたが、日本は聖徳太子の昔から「コンセンサス社会」です。
 十七条の憲法の第一条の冒頭が「以和為貴」(和を以て貴しと為す)であることは皆さまご承知の通りです。
 そしてこれは、さらに遡れば、戦がなく、多様な人々が平和に共生していたといわれる縄文時代からの日本の伝統文化の中で醸成されてきたものなのでしょう。

 かつて、日本的経営が世界から注目されたころ、海外からこんな風に言われました。日本の意思決定は遅いように見える、しかし一旦決まった後はその実行は実に早い。
 決まった時はみんなが合意しているからスムーズに実施できるのです。

 今は日本企業でも経営も短期的、近視眼的になってきたようで、コンセンサス方式は流行らないと思う人も多いようですが、本来は経営そのものが長期的視点でないと長期的な成功は出来ないもの。
 戦後の日本経済の成長は「コンセンサス方式」によって支えられてきました。

 戦後の日本の貴重な経験の中に、2度の石油危機を世界に先駆けて克服したしたという実績があります。
 その時のことは、このブログでもいろいろな角度から取り上げてきましたが、世界を驚かせた成功の秘訣は「コンセンサス方式」でした。

 欧米主要国では、基本的に「労使は対立するのが健全な在り方」という認識が一般的で、話し合って共通な考え方に至るなどというアプローチはないのが普通です。労使交渉は対立しつつ、力関係や、客観情勢で致し方なく妥協して決着するのです。

 1970年代の後半から80年代にかけて、OPECによる大幅な原油価格引き上げによる二度の石油危機の後遺症で欧米主要国がインフレやスタグフレーションに苦しんだころ、日本は労使の話し合いを徹底して進め、政府はそれに協力して、経済合理性に叶った対応策を取り、 いち早く苦境からの脱出を果たしたのです。

 当時、労使の代表組織である労働4団体や金属労協と日経連の間では多様なチャネルで公式非公式の対話の機会があったようです。
 そしてそれに加えて、労働大臣の私的諮問機関で「産業労働懇話会(産労懇)」という「場」がありました。

 これは戦後「経済の奇跡」ともいわれたエアハルト時代の西ドイツの「協調行動」を参考に作られたようですが、日本流に改変され、極めて頻繁な毎月1回ほどのペースで、公・労・使・官の関係者が集まって、様々な意見交換をするシステムでした。

 当時労働省で所管していた方からお聞きしたことがありますが、首相も出席し、各界代表から自由な意見が飛び交っていたのと同時に、会の前後に、休憩室のソファで非公式の本音の意見交換が常に行われていたという状況だったとのことです。
 ああした、頻繁で直接的なコミュニケーションがコンセンサス作りに大きく役立っていたのではないかというのが率直な感想とお伺いしました。

 日本人が好きなコンセンサスの醸成には、それだけのコミュニケーションのための場所と頻度と努力が必要なのでしょう。
 政労使の話し合いは、去年はあったようですが、今年は労働組合には話がなかったと聞いています。

 参加がなければコンセンサスは生まれません。新3本の矢でも、最も不足しているのは、労使や国民との多様、多頻度のコミュニケーション、それによるコンセンサスづくりの努力ではないでしょうか。