2016春闘:経済成長と格差社会化阻止の関係から見れば
これまで、今春闘への政府、労使の主張点を見てきましたが、端的に言ってしまえば、政府は、何はともあれ経済成長の促進で、そのためには賃上げが必要という主張でしょう。そして、経済が成長すれば、格差解消に繋がるとしているようです。
これに対して、労使は、春闘で、企業が創出した付加価値を、「自分たちの責任で」、企業と働く人たちの間で、どう分配するかを決定する立場です。
労働組合は、その中で、賃上げを取れるところから取って行こうと考えずに、すべての働く人達の賃金の底上げを重視しています。ベアにこだわるのはそのせいでしょう
そのためには、業績好調のところを基準にするのではなく、日本経済全体の動向を基準にして、業績好調の企業の下受代金の改善なども含め、サプライチェーン全体のバランスの取れた収益性(付加価値生産性)の改善を目指し、それをベースアップによって働く者全体の賃金の底上げにつなげるという姿勢です。
その点、経営側は、政府に気兼ねするのか、大手企業に、「総額で昨年以上の賃上げ」を要請するという形です。もちろん同時に従業員の健康維持、仕事と介護の両立、政府の育児・介護政策への積極対応、さらには非正規従業員(特に不本意非正規)の正規化促進にも言及して、格差縮小への姿勢も示しています。
しかし、経団連自体が主要企業の組織体です。こうしたコストのかかる施策を中小企業でどう進めるかは、経営者のリーダシップ、生産性の向上の指摘にとどまっています。
このように見てくると、政府は賃上げさえすれば経済の好循環は実現するとの単純な理解で、結果的に大企業の大幅賃上げ、格差拡大という結末を読めていません。
一方、労働組合は格差社会化の最大の原因でもある企業間格差を縮小するために、あえて賃金要求を日本経済の平均に合わせ、収益性の高い大企業から中小企業への付加価値の均霑を企図し、格差社会化の阻止・是正に主眼を置いているように見えます。
経営側は、両方の顔を立てるように、広く総てに言及しながら、最後は政府の顔を立て、「昨年以上の賃上げ」を主張していると誤解されるような形に、結果的になってしまっているように思われます。
日本の経済社会をより良いものにするという本来の春闘の視点から見ると、これではなかなか議論はかみ合わないでしょう。
経済が安定的に成長していくための条件の主要なものとして「格差の少ない社会」があります。最近の世界の主要国の格差社会化が、健全な経済成長の阻害要因であることは、ピケティーも含め多くの識者の警告している通りでしょう。
政府の主張する「まず成長、だから賃上げ」では、経済も社会も良くならないようです。トリクルダウン仮説が否定されてきていますが、トリクルダウンは人間がその気になってやらなければ起きません。ただ待っていても「待ちぼうけ」でしょう。
アダムスミスが「神の見えざる手」を言いながら、道徳の裏打ちがなければそれは実現しないと考えていたのと同じです。
そして、格差の少ない、国民がみんな元気の出る社会になって、初めて持続的な健全な経済成長が可能なるのでしょう。
そんな社会を作るために、労使が相互に一致点を見出すために真剣に意見を戦わせるのが春闘でしょう。
さて、政府も介入している春闘の中で、こうしたあるべき姿に最も整合的なのは、政府、労働組合、経営者のうちどれでしょうか。
これまで、今春闘への政府、労使の主張点を見てきましたが、端的に言ってしまえば、政府は、何はともあれ経済成長の促進で、そのためには賃上げが必要という主張でしょう。そして、経済が成長すれば、格差解消に繋がるとしているようです。
これに対して、労使は、春闘で、企業が創出した付加価値を、「自分たちの責任で」、企業と働く人たちの間で、どう分配するかを決定する立場です。
労働組合は、その中で、賃上げを取れるところから取って行こうと考えずに、すべての働く人達の賃金の底上げを重視しています。ベアにこだわるのはそのせいでしょう
そのためには、業績好調のところを基準にするのではなく、日本経済全体の動向を基準にして、業績好調の企業の下受代金の改善なども含め、サプライチェーン全体のバランスの取れた収益性(付加価値生産性)の改善を目指し、それをベースアップによって働く者全体の賃金の底上げにつなげるという姿勢です。
その点、経営側は、政府に気兼ねするのか、大手企業に、「総額で昨年以上の賃上げ」を要請するという形です。もちろん同時に従業員の健康維持、仕事と介護の両立、政府の育児・介護政策への積極対応、さらには非正規従業員(特に不本意非正規)の正規化促進にも言及して、格差縮小への姿勢も示しています。
しかし、経団連自体が主要企業の組織体です。こうしたコストのかかる施策を中小企業でどう進めるかは、経営者のリーダシップ、生産性の向上の指摘にとどまっています。
このように見てくると、政府は賃上げさえすれば経済の好循環は実現するとの単純な理解で、結果的に大企業の大幅賃上げ、格差拡大という結末を読めていません。
一方、労働組合は格差社会化の最大の原因でもある企業間格差を縮小するために、あえて賃金要求を日本経済の平均に合わせ、収益性の高い大企業から中小企業への付加価値の均霑を企図し、格差社会化の阻止・是正に主眼を置いているように見えます。
経営側は、両方の顔を立てるように、広く総てに言及しながら、最後は政府の顔を立て、「昨年以上の賃上げ」を主張していると誤解されるような形に、結果的になってしまっているように思われます。
日本の経済社会をより良いものにするという本来の春闘の視点から見ると、これではなかなか議論はかみ合わないでしょう。
経済が安定的に成長していくための条件の主要なものとして「格差の少ない社会」があります。最近の世界の主要国の格差社会化が、健全な経済成長の阻害要因であることは、ピケティーも含め多くの識者の警告している通りでしょう。
政府の主張する「まず成長、だから賃上げ」では、経済も社会も良くならないようです。トリクルダウン仮説が否定されてきていますが、トリクルダウンは人間がその気になってやらなければ起きません。ただ待っていても「待ちぼうけ」でしょう。
アダムスミスが「神の見えざる手」を言いながら、道徳の裏打ちがなければそれは実現しないと考えていたのと同じです。
そして、格差の少ない、国民がみんな元気の出る社会になって、初めて持続的な健全な経済成長が可能なるのでしょう。
そんな社会を作るために、労使が相互に一致点を見出すために真剣に意見を戦わせるのが春闘でしょう。
さて、政府も介入している春闘の中で、こうしたあるべき姿に最も整合的なのは、政府、労働組合、経営者のうちどれでしょうか。