「一専多能従業員」の育成:日本的経営の得意技
最近あまり聞かれなくなりましたが、かつて日本経済の進展が世界から注目され、いわゆる日本的経営も欧米からアジアまで広く関心を持たれていた頃、この言葉が仕事の現場でよく使われていました。
意味するところは、まさに読んで字の如しで「1つの専門領域を持っていて、その外にその専門領域を中心に多様な技能を持っている多能工」という事です。
多能工というのは単能工に対置される言葉で、複数の仕事をこなせる能力を持つ熟練工という事です。
欧米では、先ず仕事があって、その仕事の出来る人を採用するというのが一般的ですから、単能工が普通で、多能工はあまりいないという事のようでした。
日本では、職長クラスの人は部下の仕事はすべてこなせ、偶々部下がいないと、「お前の仕事、やっといたぞ」などというのが当たり前などと言われました。
日本企業と海外企業との接触が多くなり、欧米企業も多能工の有用性を認識し、multi-skilled worker が注目され、アジア新興国などではQC活動や5Sなどと一緒に日本式の多能工育成が流行していた時期もありました。
前工程から後工程まで、多くの仕事の中身を知っていれば、どうすれば仕事がより効率的に流れるかアイデアも出やすいでしょう。
事務部門でも、同じようなことはあります。労組の専従が異動で人事部に来て、労使の対立調整がより合理的になった、などいう話もありました。
多能工を養成するためには人事異動が必要です。これは職務給のもとではうまく出来ません。異動のたびに賃金が変わったのでは(馴れない仕事に行ったら賃金が下がったりして)巧く行きません。
日本の人事制度は、昔から社内ローテーションと言われますように、異動が盛んで、多能の人材を育て、その中での得意分野が「一専」となって「一専多能」の人間を育てて来ていたのです。
「多能」の裾野が広いほど「一専」の能力も高まり重要な仕事に配置されて(昇進して)行くのです。
政府は「同一労働同一賃金」を推進しようと言っていますが、これは見かけの労働が中心の話で、「一専多能」の多能の部分(これは日常業務では潜在していることも多いでしょう)をどう評価するかなど、欧米流の制度では測れない、幅も深さも違うといった問題をはらんでいます。
厚労省の「ガイドライン」の作り方が難しくなるわけですね。
最近あまり聞かれなくなりましたが、かつて日本経済の進展が世界から注目され、いわゆる日本的経営も欧米からアジアまで広く関心を持たれていた頃、この言葉が仕事の現場でよく使われていました。
意味するところは、まさに読んで字の如しで「1つの専門領域を持っていて、その外にその専門領域を中心に多様な技能を持っている多能工」という事です。
多能工というのは単能工に対置される言葉で、複数の仕事をこなせる能力を持つ熟練工という事です。
欧米では、先ず仕事があって、その仕事の出来る人を採用するというのが一般的ですから、単能工が普通で、多能工はあまりいないという事のようでした。
日本では、職長クラスの人は部下の仕事はすべてこなせ、偶々部下がいないと、「お前の仕事、やっといたぞ」などというのが当たり前などと言われました。
日本企業と海外企業との接触が多くなり、欧米企業も多能工の有用性を認識し、multi-skilled worker が注目され、アジア新興国などではQC活動や5Sなどと一緒に日本式の多能工育成が流行していた時期もありました。
前工程から後工程まで、多くの仕事の中身を知っていれば、どうすれば仕事がより効率的に流れるかアイデアも出やすいでしょう。
事務部門でも、同じようなことはあります。労組の専従が異動で人事部に来て、労使の対立調整がより合理的になった、などいう話もありました。
多能工を養成するためには人事異動が必要です。これは職務給のもとではうまく出来ません。異動のたびに賃金が変わったのでは(馴れない仕事に行ったら賃金が下がったりして)巧く行きません。
日本の人事制度は、昔から社内ローテーションと言われますように、異動が盛んで、多能の人材を育て、その中での得意分野が「一専」となって「一専多能」の人間を育てて来ていたのです。
「多能」の裾野が広いほど「一専」の能力も高まり重要な仕事に配置されて(昇進して)行くのです。
政府は「同一労働同一賃金」を推進しようと言っていますが、これは見かけの労働が中心の話で、「一専多能」の多能の部分(これは日常業務では潜在していることも多いでしょう)をどう評価するかなど、欧米流の制度では測れない、幅も深さも違うといった問題をはらんでいます。
厚労省の「ガイドライン」の作り方が難しくなるわけですね。