平成という時代:リーマンショックの前と後、1
「平成という時代」のシリーズで、いろいろな面から日本経済・社会の側面を書いてきましたが、今回は平成のほとんどを占める深刻な不況の時期を、アメリカ発の世界不況「サブプライム・リーマンショック」の前と後に分けてみるという事をしてみたいと思います。
1990年(平成2年)のバブル崩壊から始まる深刻なデフレ不況の原因をさかのぼれば1985年の「プラザ合意」による円高であることは繰り返し述べてきました。
プラザ合意は、アメリカが拡大する対日貿易赤字を何とか減らそうとG5の場で日本に円レートの切り上げを迫り、日本が「はいはい」と応じたことから始まります。
その後、2年で円は$1=¥240から$1=¥120に切りあがり、日本は世界で物価も賃金も最も高い国などと言われるようになりました。
本当はすぐにデフレ不況になる所でしたが、アメリカのアドバイスもあり超金融緩和をやりました。結果は土地バブルで担保の土地さえあれば銀行は金を貸し、地価も株価も暴騰、「ウサギ小屋売れてドイツで城を買い」などと言われる状態でした。
地価暴騰で手にしたカネは円高でドル換算では2倍の価値になっていましたから、円は世界で猛威を揮い都市銀行は殆ど世界のランキング入りでした。
1990~91年、株価と地価の暴落でバブルがはじけ、平成2年(1990年)から深刻な不況に突入したわけです。ですから、平成の不況は土地バブルの崩壊のせいという認識が強く、円高のせいという理解は当初ありませんでした。円は強くて当たり前と思う人も多かったようです。
しかし現実、2倍に切りあがった円では、日本企業は採算が取れません。そしてコストカットの時代に入るのです。
コストカットの時代はその後も長く続いたわけですが、よく見れば、2000年から2002で強引なコストカットはほぼ終了、その後は地道なコスト削減を続けながら、多少は利益も出るという「いざなぎ越え」(統計上は好況だが、実感は不況)に入ります。
「いざなぎ越え」の中では景気が回復しているという人はほとんどいませんでしたが、統計数字を見れば、利益率は改善、有効求人倍率も徐々に高まり、1997~8年ごろからは、日米の話し合いで$1=¥130にもなり、就職氷河期もいよいよ解消かという状態でした。
平成不況で典型的な非正規雇用者の増加の動きを見ますと、平成元年に19.1%だった非正規労働者は平成18年に33%に載せましたが、その後比率は伸びず、平成22年にも33.7%です。
平成20年(2008年)にはリーマンショックが起き世界で金融恐慌が懸念されましたが、当初日本には影響は少ないなどと言われ、比較的軽く済むとの見方もあって、企業もそれまでの「努力の成果にある程度の自信を持っていた」のではないでしょうか。
非正規比率がさらに40%に向けて増え始めたのは2010~11年からで、その、今日まで、ほぼ増え続けています。
以上がバブル崩壊から、「いざなぎ越え」までの素描ですが、何か、この時までは、日本の企業・経営者は、大幅円高も、バブル崩壊も、自力で克服したという自信を持っていたように感じています。
「平成という時代」のシリーズで、いろいろな面から日本経済・社会の側面を書いてきましたが、今回は平成のほとんどを占める深刻な不況の時期を、アメリカ発の世界不況「サブプライム・リーマンショック」の前と後に分けてみるという事をしてみたいと思います。
1990年(平成2年)のバブル崩壊から始まる深刻なデフレ不況の原因をさかのぼれば1985年の「プラザ合意」による円高であることは繰り返し述べてきました。
プラザ合意は、アメリカが拡大する対日貿易赤字を何とか減らそうとG5の場で日本に円レートの切り上げを迫り、日本が「はいはい」と応じたことから始まります。
その後、2年で円は$1=¥240から$1=¥120に切りあがり、日本は世界で物価も賃金も最も高い国などと言われるようになりました。
本当はすぐにデフレ不況になる所でしたが、アメリカのアドバイスもあり超金融緩和をやりました。結果は土地バブルで担保の土地さえあれば銀行は金を貸し、地価も株価も暴騰、「ウサギ小屋売れてドイツで城を買い」などと言われる状態でした。
地価暴騰で手にしたカネは円高でドル換算では2倍の価値になっていましたから、円は世界で猛威を揮い都市銀行は殆ど世界のランキング入りでした。
1990~91年、株価と地価の暴落でバブルがはじけ、平成2年(1990年)から深刻な不況に突入したわけです。ですから、平成の不況は土地バブルの崩壊のせいという認識が強く、円高のせいという理解は当初ありませんでした。円は強くて当たり前と思う人も多かったようです。
しかし現実、2倍に切りあがった円では、日本企業は採算が取れません。そしてコストカットの時代に入るのです。
コストカットの時代はその後も長く続いたわけですが、よく見れば、2000年から2002で強引なコストカットはほぼ終了、その後は地道なコスト削減を続けながら、多少は利益も出るという「いざなぎ越え」(統計上は好況だが、実感は不況)に入ります。
「いざなぎ越え」の中では景気が回復しているという人はほとんどいませんでしたが、統計数字を見れば、利益率は改善、有効求人倍率も徐々に高まり、1997~8年ごろからは、日米の話し合いで$1=¥130にもなり、就職氷河期もいよいよ解消かという状態でした。
平成不況で典型的な非正規雇用者の増加の動きを見ますと、平成元年に19.1%だった非正規労働者は平成18年に33%に載せましたが、その後比率は伸びず、平成22年にも33.7%です。
平成20年(2008年)にはリーマンショックが起き世界で金融恐慌が懸念されましたが、当初日本には影響は少ないなどと言われ、比較的軽く済むとの見方もあって、企業もそれまでの「努力の成果にある程度の自信を持っていた」のではないでしょうか。
非正規比率がさらに40%に向けて増え始めたのは2010~11年からで、その、今日まで、ほぼ増え続けています。
以上がバブル崩壊から、「いざなぎ越え」までの素描ですが、何か、この時までは、日本の企業・経営者は、大幅円高も、バブル崩壊も、自力で克服したという自信を持っていたように感じています。