tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

企業経営の不祥事と行政との関係

2019年01月08日 12時39分19秒 | 経営
企業経営の不祥事と行政との関係
 近年、特に昨年は企業の不祥事が多くマスコミに取り上げられ、トップの交代にまで至る事態も発生しました。
 マスコミでは、企業のデータ改ざん、無資格者による検査、財務諸表の不正確な記述などなど、企業のコンプライアンス、企業倫理の劣化などとの批判が多くみられました。

 確かに企業現場での、まさにケアレスミスのような事故など、企業内の教育訓練の不足によるような事も多く、平成時代の大部分を占める深刻な不況によるコストダウンの行き過ぎという見方の当たっている部分もあるのでしょう。
 経営全体にそうした劣化が起きているとすれば、日本企業の信頼への大きな警鐘です。

 確かに現場での事故などの場合は、不注意や法令違反など、マスコミを通じて情報を得る庶民にとっても比較的解り易いものもありますが、例えば、耐震装置のデータや金属の強度が改竄されていたといった問題は、大地震でも起きてみないと解りません。

 それを取り仕切るのは行政ですから、行政の、判断、洞察力、権限、責任は極めて大きいと思います。
 
 これに関して、われわれは、2つの大きな具体例を経験しています。1つは原発、もう1つは自動車です。

 原発につては、政府は十分安全を満たすという基準を用意したはずです。私もかつて原発の見学をした際「ここは何処よりも安全です。大地震などの際などはここに逃げ込んでいただくのがベストの選択です」と聞かされ、流石日本の技術は凄いと感心したものです。
(因みに、小泉元総理も「騙されていた」と述懐しておられますね。)

 しかし、東日本大震災の際には「全電源喪失」という事態が起き、「一つの電源だけでも繋がっていたら」という声がありました。

 自動車については、 最終検査が無資格者によって行われていたという問題で、行政の担当責任者が即座に出庫を差し止めたそうですが、前の日までに出庫、販売され、すでに道路を走っている車については、当面そのままでいいから、早く車検を受けるように、という事だったと記憶します。

 担当省庁でも、無資格者の検査ではあるが、製造過程が確りしているので、実害はないと判断しているのでしょう。(因みに、日本車は世界でも最も故障が少ない車と評価されています。)

 原発の場合は基準が不十分だったことが現実に解ってしまった例、自動車の場合は、形骸化した基準がまかり通っている例という事でしょうか。
 
 一概に「企業の不祥事」と言われていることの中にも、多種多様なケースがあるのでしょう。新幹線のギアケースの破損などがあり、他方では金属製品の強度の改竄などは報道されています。

両者に関連があるのかないのか解りませんが、安全・安心の社会を創るためには、基準の中身と、基準順守の在り方が「しっくり」していることが肝心でしょう。
そのためには、基準を作る方と守る方の十分な相互理解、そのための十分な対話、情報の共有が必要なのでしょう。

最近何か、政治、行政、産業界、労働界などの情報共有が不十分で、種々にちぐはぐな所が見られ、そのために時には異常な忖度、時にはデータ改竄などという事が起きるのではないかといった感じがします。

 日本の伝統文化である「和の心」は今様に言えば、「徹底した情報の共有」につながる文化ではないかと思うところですが、逆に社会の分断が進む昨今、何か心配です。