桜には早いですが、今日は、春本番の暖かさの日曜日です。
世界中多事多端で、心の休まる暇もなく、人間というのは、仲良くすればいいのに、何でこんなに争いをするのだろう思うばかりです。
お蔭でこのブログも、世の中に注文を付けるような事ばかりなってしまっています。困った世のなかになってしまったものです。
「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得えない」と言ったのは宮沢賢治(農民芸術概論)ですが、そこまでの境地にはとても届かない凡人は、やはりささやかな安息の時を持ちたいという気にもなろうというところです。
たまたま先日気付いたのですが、何年振りかでセロジネという蘭の花が窓際で咲きました。
以前、家内が育てていたもので、手入れが大変なので放置状態だったものを、居間の窓際に持ってきて、加湿器の水注入と共に水をやっていたら、今年一本だけですが花芽が出て、花が咲いたのです。植物は正直なものです。
セロジネの花が咲いて喜んだついでに、今年も狭い庭に咲いている花の記録だけはしておこうと思い、昨年末からずっと咲いている日本水仙と、この2、3日咲き出したリュウキンカの花の写真を撮ってきました。
ついでにホタル飼育用のU字溝を除いて見ましたら、オオムラサキの落ち葉がいっぱい浮き沈みしている間を、昨年孵化した白や赤のメダカが元気に泳いでいました。(メダカが小さくて写真が撮れません)
何のわだかまりもなく、こんな自然をのんびりと堪能できる日が早く来てほしいと、つくずく思いながら、それでも、やっぱり今日は良い日です。
世界中多事多端で、心の休まる暇もなく、人間というのは、仲良くすればいいのに、何でこんなに争いをするのだろう思うばかりです。
お蔭でこのブログも、世の中に注文を付けるような事ばかりなってしまっています。困った世のなかになってしまったものです。
「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得えない」と言ったのは宮沢賢治(農民芸術概論)ですが、そこまでの境地にはとても届かない凡人は、やはりささやかな安息の時を持ちたいという気にもなろうというところです。
たまたま先日気付いたのですが、何年振りかでセロジネという蘭の花が窓際で咲きました。
以前、家内が育てていたもので、手入れが大変なので放置状態だったものを、居間の窓際に持ってきて、加湿器の水注入と共に水をやっていたら、今年一本だけですが花芽が出て、花が咲いたのです。植物は正直なものです。
セロジネの花が咲いて喜んだついでに、今年も狭い庭に咲いている花の記録だけはしておこうと思い、昨年末からずっと咲いている日本水仙と、この2、3日咲き出したリュウキンカの花の写真を撮ってきました。
ついでにホタル飼育用のU字溝を除いて見ましたら、オオムラサキの落ち葉がいっぱい浮き沈みしている間を、昨年孵化した白や赤のメダカが元気に泳いでいました。(メダカが小さくて写真が撮れません)
何のわだかまりもなく、こんな自然をのんびりと堪能できる日が早く来てほしいと、つくずく思いながら、それでも、やっぱり今日は良い日です。