今年の春闘では、賃上げの要求をする連合は勿論ですが経営サイドの代表である経団連も賃上げの必要性を強調しています。
これは大変結構なことで、思い切って少し高めの賃上げをすれば日本経済は随分良くなるとでしょう
更に結構なことは、労使が共に中小企業や非正規社員の賃金の積極体な改善を言って言う事です。
政府は、もともと賃上げには熱心で、政府の圧力で引き上げ可能な最低賃金についてはこのところ随分無理をして上げてきています。
特に日本社会の「格差社会化」阻止のために重要な、中小企業、非正規従業員の問題ですので、改めて取り上げました。
欧米社会は元々「市民と奴隷」という形を取ってきたようですが、日本には縄文時代から奴隷制度が無かったというのが特徴のようです。恐らく身分差別のない「人間集団」というのが一般的な姿だったのでしょう。
海外から輸入文化が入って来て舶来崇拝の中で制度が作られたのでしょうが、今でも基本的に変わっていないのは「企業は人間集団」という見方です。
欧米では企業は職務の集合体で、その職務に適切な人間を採用するのですが、日本では、好ましい人間を採用して企業の中で仕事、社会性、人間性も磨かれていく、つまり企業が人を育てるのが日本的経営の基本なのです。
明治時代に会社というシステムが入って来て、会社の中では身分制度がありましたが、思い出すのは、戦後の日本経済再建の中で、当時の日経連(現経団連)会長だった桜田武が「戦後、日本企業では身分制を廃し、総て「社員」とした」と話したり書いたりしていることです。
その日本の企業社会に今は「正規」と「非正規」という明確な身分がうまれ、しかも非正規の比率が4割近くに高まり、減る気配がないという状態です。
これはどう考えても「日本的経営」の基本からの逸脱ですから、その副作用が必ず出てくると考えてきました。
今それが、就職氷河期の卒業生の中の残された問題という形で、中堅社員の不足、生産性向上への障害、社会の劣化など様々な面で現れているのです。
たしかに1995~2006年あたりでしょうか、円高不況の日本経済の中では、失業率の上昇を避けることが最優先、雇用の質までは問えない、という現実があったことは否定出来ないとは思います。
しかし、このコスト削減の手法が、為替レートの正常 化以降も続けられたことは。経営者の意識が変化(劣化)した結果ではないかと感じられます。
このブログでは、円高不況で増えた非正規社員は、円レートの正常化とともに復元(正社員化)が起きる予想していました。
残念ながらその予想は、ごく一部の企業を除いて当たりませんでした。そしてようやく今、非正規の賃金問題として気づかれてきたようです。
しかし、日本的経営の(日本の社会的伝統・文化の)視点から言えば、単に賃上げではなく教育訓練、正規化、生産性向上の積極化です。
遅きに失した感はありますが、日本の経営者が、非正規の正規化問題を企業の社会的責任と考え、本気で取り組んでほしいと思っています。